hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

伊坂幸太郎『バイバイ・ブラックバード』を読む

2013年04月30日 | 読書2

伊坂幸太郎著『バイバイ・ブラックバード』(2010年7月双葉社発行)を読んだ。

面倒を起こし、監視役の繭美に連れられて恐ろしい所へ拉致される主人公の星野君。その前に5人の恋人達に別れとお詫び行脚をする。別れる理由は、この繭美と結婚することになったと言うのだが。

繭美とは、身長180cm、体重180kg、凶悪、粗暴。口から毒をまき散らし、人を傷つけることが何より面白いという怪獣、性悪女。

星野君は、実は優柔不断で気のいい奴。だからこそ5股になってしまったのだが、繭美には「ヤマタノオロチというか、ゴマタノホシノだよ」とからかわれる。

この本は、『短編を書き終えるたび、五十名の方のポストに小説が届く』という50人だけのために書かれた「ゆうびん小説」に、書き下ろしの最終話が加えられて単行本化された。

しおり紐が色違いで2本ついている。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

伊坂ファンの私は「五つ星」なのだが、癖が強いので、四つ星に抑えた。

人の傷口に塩をすり込み喜ぶ巨漢女性、繭美が、話が進むにつれて、マツコ・デラックスかと思うばかりに魅力的に思えてくる。伊坂さんの魔力だ。

弱気の星野君と、強引な繭美の組合せと、バリエーション豊かな5人の女性たちの漫画チックな強力なキャラクタに加えて、相変わらずの強引な筋立てだが、生活感ゼロで軽いノリの文章に乗ってスイスイ読める。

いつものように「ハードボイルドだど!」と言った風の軽妙なセリフがポンポン飛び出してきて、たびたびクスリと笑わされる。



伊坂幸太郎&既読本リスト




Ⅰ(廣瀬 あかり)
 苺狩りで出会い、星野がジャンボラーメンを食べきれるかどうかで別れを決めさせられる。
「あれも嘘だったわけね」「あれって、どれのこと」

Ⅱ(霜月 りさ子)
 ジーン・ハックマンがフレンチコネクションで一般の車を止めて奪い、犯人を追う。そんな話を熱心にして知り合う。離婚後、海斗を女手ひとつで育ててきた彼女も言う。「あれも嘘だったんですね」

Ⅲ(如月 ユミ)
 星野は、メールに挿入する「(汗)」を発明し特許で生活していると言って、なぜか深夜ロープを担いだユミをからかう。

Ⅳ(神田 那美子)
耳鼻科で点滴中に知り合った那美子は、計算(フェルミ推定)が得意。例えば、全国に耳鼻科医は何人いるか?(推定1万人)。那美子は乳ガンかもしれない。

Ⅴ(有須 睦子)
小学生のとき、幼稚園児が「お姉ちゃん、女優になったら? 綺麗だし」と言った。それが女優に関心をいだいたきっかけだった。そのとき、その子は自分がなりたいのは「パン!」だと言ったのだ。今、女優の睦子の周りには、興味を持つ人か、持たないふりをする人ばかり。睦子はどちらでもない星野に「別れたくないからね。別れても、別れないんだから」と宣言する。
繭美「星野ちゃん、未来のないおまえにも、子供の時は、将来の夢とかあったんだろ?」彼は恥ずかしそうに答える「パン」。聞いていた睦子の目には涙が。

Ⅵ(繭美)
緑のバスは星野を乗せて去る。繭美は・・・。



繭美「タイムマシンがあったら、おまえを小学校に送り返すのはやめた。おまえの生まれる前に行って、おまえの親たちに避妊を進める。」

「星野ちゃん、・・・何で? 何で? どうして? どうして? ってわたしはおまえのママじゃねぇんだから、聞くなよ」「じゃあ、教えて、パパ」

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おのぼりさん東京駅へ

2013年04月28日 | 行楽
今頃、改装なった東京駅へ行った。

まず、駅構内の丸の内中央口へ。壁に説明の看板がずらりと並ぶ。
駅見物の順路、見どころの解説がある。



あとは、今回の復元のポイントの説明。











原首相、浜口首相暗殺の歴史も。



東京駅の模型と、



新幹線の模型。



レンガの壁の展示。



丸の内南口改札を出て、ドームへ。



ウエッジウッドのようなレリーフの十二支が気になる。上から覗いている人は、ホテルの滞在者だろうか。



外に出て、建物を振り返る。



中央口の方を見る。ステーションホテルの入口がある。



広場の向こう側から、中央口を見る。



北口のドームは、南口と同様だ。



真下から見上げる。



南口を出たところに屋根を支えるこんなものが。



窓枠は、大理石の物と、擬石とがあると説明もあるが、よくわからない。窓枠は創建時は木製だったが、アルミサッシにしている。





戦災復興時、3階建てを2階建てにしたときに、柱頭飾りを3階から2階へ移したが、今回3階へ戻した。そんなこと言われても、よくわからないが。



その説明がこちら。



レンガの目地もべったり平でなく、盛り上がった覆輪目地になっている。目地が縦横交差するところは蟇股(かえるまた)となって、丁寧な仕事だ。



屋根の手すりのような部分(パラペット)は、徳利になっていて、緑青塗装せずに銅版そのままにしてあり、いずれ経年により変化する。輝いているのは、今だけ。





中央口のヴォールト屋根。



駅から高層ビルを見る。昔とは様変わりだ。南側は、JPタワーとKITTE、丸ビル。



北側に新マルビル。



KITTEの6階屋上テラスから東京駅を見下ろす。



駅前広場もよく見える。



駅のずらりと並ぶ線路もよく見える。



新しい新幹線だ。東海道?



古い型も



丸ビルの前に来ると、東京駅が良く見えますとの張り紙が。さっそく入ってテラスから。





ここからナイトアップをビールでも飲みながら眺めるのもよいかも。






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円城塔『道化師の蝶』を読む

2013年04月25日 | 読書2

円城塔著『道化師の蝶』(2012年1月講談社発行)を読んだ。

芥川賞受賞した「道化師の蝶」と、同じ群像初出の中編「松ノ枝の記」を加えて単行本化。

講談社の宣伝はこうだ。
正体不明&行方不明の作家、友幸友幸。作家を捜す富豪、エイブラムス氏。氏のエージェントで友幸友幸の翻訳者「わたし」。小説内をすりぬける架空の蝶、通称「道化師」。
東京-シアトル-モロッコ-サンフランシスコと、 世界各地で繰り広げられる“追いかけっこ”と“物語”はやがて、“小説と言語”の謎を浮かび上がらせてゆく――。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

私にはこの本の良さが、ほとんど理解できなかったが、言語とは何かについて考えさせられる部分もあり、部分的には面白いところもあった。
しかし、筋がなんとなくしか読み取れなかったので、小説の構造が理解できなかった。ストーリーをとらえられないと面白いと感じない癖がついてしまっているのだろう。小説には、もっと違う楽しみ方があるのだろうが。
『寝床で読むに限る』小説、「睡眠導入剤」という評判は哀しい。



円城 塔(えんじょう・とう)
1972年北海道生まれ。
東北大学理学部物理学科卒業。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。
北大や京大などの研究員を経て、2007年「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞、2010年『烏有此譚』で野間文芸新人賞、2011年に早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。他の作品に『Self-Reference ENGINE』『Boy's Surface』『後藤さんのこと』『これはペンです』などがある。



第1章で、語り手の「わたし」は、銀色の虫取り網で着想を捕まえてはビジネスにしているエイブラムス氏に飛行機の中で会う。彼は「旅の間にしか読めない本があるとよい」という「わたし」の着想を捉え、『飛行機の中で読むに限る』など、一連の『~で読むに限る』シリーズをヒットさせる。

第2章では、この第1章は、希代の多言語作家の友幸友幸の『猫の下で読むに限る』という小説であることが明らかになる。この作家の無活用ラテン語で書いた作品の、1章とは別の「わたし」の日本語訳だ。友幸友幸は、行く先々の国の言語を約1年で習得し、その国の言葉で小説を書き、別の国に移動する。

第3章は、モロッコの古都フェズで、お婆さんからフェズ刺繍と土地の言葉を習っている女性が語り手。
この女性が飛行機の中で隣同士の席にすわった女性二人のおしゃべりをそばで聞いている過去の場面に移る。そして、女性は自分がいつかその小さな捕虫網を編み、骨董屋で売られ、機内の女性の片方(A・A・エイブラムス)がそれを買うことになると直感する。第1章の二人は女性だったらしく、この章の"わたし"こそ、友幸友幸らしい。

第4章の語り手は第2章の翻訳者と同じ(多分)で、「手芸を読めます」といってA・A・エイブラムス私設記念館に採用され、友幸友幸の捜索をして定期報告をする。ここでも言語そのものについて、ややこしい話が展開される。

第5章の語り手は、3章の語り手と同じ(多分、友幸友幸)。エイブラムス氏が捕まえた蝶を見せた学者らしき老人が訪ねてきて、ある特殊な蝶を捕まえる網を編んでほしいという。わたしが編みはじめると、物語は第1章に戻り、全体が円環構造になる。







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石田衣良『てのひらの迷路』を読む

2013年04月23日 | 読書2

石田衣良著『てのひらの迷路』(講談社文庫い-101、2007年12月い発行)を読んだ。

あなたに向かって話すようにゆっくりと解かりやすく書かれていて、人気作家の素顔を垣間見ることができる24の掌編集。
内容構成などは自由にしてよいと言われ、「久々に読者のことをまったく考えずに作った作品集である。」と語っている。
各掌編の前に著者自身の解説付き。



「ナンバーズ」:回復の見込みのない脳出血で入院した母の病室には、1、2桁の9個の数字が書かれていた。その数字は入院した患者の年齢で、いなくなると数字が消えた。著者は、このことをいつか小説に書こうと思う。26歳のときの話で、ガールフレンドが訪ねてくる部分だけがフィクションだという。結局、母の58(?)という数字は消えた。

「銀紙の星」:学生時代に軽い対人恐怖症で半ひきこもりになった著者は、青年にこう語らせる。
すべての人が立派に見えたり、次の瞬間これ以上なく貪欲にも見える。世界は冷酷無比で、自分が生きていく場所などないように感じられたりする。
自室に引きこもりの青年は、過眠、不眠を繰り返したあげく、本やCDをあらゆる順番に並べ直して時を過ごす。やがて、少しずつ小さく窓を開けて、・・・。

「片脚」:遠距離恋愛の彼女の片脚だけが、宅配便で送られてきて、彼女の片脚と夜を過ごす。パーツ・デート。川端康成の「片腕」を「片脚」に変えた試み。著者はこのため、十数冊の脚の細部が写っている写真集を購入して描写を工夫したという。

「左手」:片脚を送ってくれた彼女に、今度は彼の左手が届く。その夜、彼の左手は、・・・。

「I氏の生活と意見」:「作家になるのは簡単だが、作家であり続けるのはたいへんだ。果てしないのぼり坂がまっているのだから」30歳過ぎてフリーランスで広告の仕事をしているI氏。何もかもうまく行くI氏。筆者のデビュー前の状況。

「コンプレックス」: 「なぜ女性はあんなにみんなコンプレックスを持っているんだろうか。それもほとんど男性からは、意味不明な微細な部分ばかりであることが多いのだ。」すべて男と女の会話で構成。

「短編小説のレシピ」:次の作品「最期と。最期のひとつまえの嘘」のテーマ、構成を思いつくまでのあれこれ。直木賞受賞後、新聞などの取材が月に60本、一晩で50枚書くことは珍しくなくなった。

「最期と。最期のひとつまえの嘘」:男は愛人とホテルにいるときに倒れる。愛人には、「すぐこのまま逃げてくれ、そして嘘を突き通してくれ」と伝えたいが声がでない。なにしろ愛人は妻の友人なのだ。

「さよなら さよなら さよなら」:13歳で買ってもらい、7年間ポップスを聞き続けたラジカセ。毎日片道10キロを駆け抜けたプジョーのロードレーサー(自転車)。キャノンのワープロで書いた3作目の「池袋ウエストゲートパーク」が締切まで数日のところで、最初の半分42枚が操作ミスで消えた。追い詰められ一晩で42枚をほぼ完璧に再現した。二度目なので滑らかさが増し、勢いで後半の60枚にも手を入れた。そして、受賞した。

初出:「新刊展望」2003年7月号~2005年6月号、「左手」「小説現代」2004年1月号、2005年11月単行本



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

掌編小説というと、星新一風の技巧的なショートショートを思い出すが、私小説風のものも多く、自分のことを素直に語ってしみじみしたものが多い。ひらひらして、軽々しているような石田さんも、けっこういろいろあったんだな、と思う。

しかし、石田さんという人は、TVでのしゃべりを聞いていても、書き物を読んでも、気持ちの熱さが感じられない、いや、表に出さない人だ。特に話すときには、いかにも気持ちが入っていないようにしゃべる。
「ひとりぼっちの世界」で、女性から言われている。「真夜中に抱きあっていても、やっぱりあなたはひとりだった。」そして彼は答える。「きみが望むような形ではないかもしれないけど、きみのことは好きだった。でも、ぼくにはみんなのように人のことを好きになるというのが、よくわからないところがあるんだ。」


石田衣良(いしだ いら):本名は石平(いしだいら)
1960年東京生まれ。成蹊大学経済学部卒。フリーター、広告制作会社勤務(コピーライター)。
1997年『池袋ウエストゲートパーク』でオール読物推理小説新人賞受賞しデビュー
2003年『4TEEN(フォーティーン』で直木賞受賞
2006年『眠れぬ真珠』で島清恋愛文学賞受賞
他に、『下北沢サンディーズ』



以下、メモ

「旅する本」:拾って読んだ人に希望の光を灯すように内容が変わる本。 

「完璧な砂時計」:バーで出会った有能で冷静な30代初めのアナウンサー。彼女は何も見ずに正確に時を計ることができる、例えば3分を一秒もたがえずに。

「無職の空」:突然会社を辞めてしまい横浜の公園で本を読む青年。これは私小説だという著者は半年間横浜で遊んでいたことがあるという。

「ひとりぼっちの世界」:女性のセリフはかっこよく変えているが、横浜で同棲していたときの実話。「別れ話は夜の11時に始まった」で始まる。

「ウエイトレスの天才」:彼女は、以前ぼくらが頼んだ料理を正確に記憶していた。勤めて2年半、すべての客の注文を覚えているという。友人の妹というモデルがいる。

「0.03mm」:コンビニでバイトするぼくはコンドームを買う年上の女性から誘われ・・・

「書棚と旅する男」:客船で旅しながら世界でたった一冊の自分のための本を探す男。

「タクシー」:12人ほどのタクシー運転手の会話が並ぶ。

「終わりのない散歩」:街を歩いていて顔見知りになった老女が、ある日、不安そうな顔でぼくに声をかけてきた。

「レイン、レインレイン」:小学生から小説家になるまでの好きな雨との出会い。

「ジェラシー」:仲のいい夫婦に赤ん坊が生まれて、夫が壊れていく。

「オリンピックの人」:結納直前で男は突然婚約などしたくないと言い出す。そんな時に、4年に一度、偶然出逢う人に会った。そして、・・・女は、嘘だとわかっている人生に戻るだろうと思う。

「LOST IN 渋谷」:飲み会帰りに一人はぐれて渋谷の街をぶらぶらする夜の描写。

「地の精」:マンション住まいのぼくは、「人間が好んで住む条件というのは、縄文時代から変わらないということです」という不動産会社の営業部員の言葉に釣られ、貝塚の上という土地を衝動買いする。

「イン・ザ・カラオケボックス」:NHKのTV番組で出逢ったフリーターの彼女との会話。エキセントリックな格好をした彼女は、家を出ると3日くらい帰らないという。

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林真理子『RURIKO』を読む

2013年04月21日 | 読書2


林真理子著『RURIKO』(2008年角川書店発行)を読んだ。

浅丘ルリ子を中心に、石原裕次郎、小林旭、美空ひばりなどが実名で登場する小説。

浅丘ルリ子、本名浅井信子が4歳の時、「すごい美人になりますよ。きっと女優にしてください」と、満州映画協会理事長の甘粕正彦が父にそう語った。甘粕とは、大杉栄、伊藤野枝、幼子を惨殺した男だ。

バンコックで終戦となって、日本に戻った信子は、画家の中原淳一に見いだされ、「浅丘ルリ子」としてデビューした。昭和30年代、石原裕次郎、小林旭、美空ひばりなどがすでに大スターになっていた。

ルリ子は、調布撮影所で石原裕次郎と出会い16歳で初恋を知る。看板女優として睡眠時間3、4時間という中での小林旭とのデート、美空ひばりとの深夜の電話。(具体的場面はすべて林さんの創作だという)

やがて、映画は斜陽となり、TVの時代となる。そこで、ルリ子の前に石坂浩二が現れる。

林さんの質問にルリ子が言った。「そういえば男の人とのおつきあいは途切れたことはないけど、この次の人は誰だったのか忘れちゃった……思い出すわね」

初出:「野生時代」2006年12月号~2008年2月号
巻末には、「本書は取材に基づいて、実在の人物をモデルに書かれたフィクションです。」とある。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

暇つぶしで読むには「いいんじゃない」。

ルリ子さんと時代を共有する人が、ワイドショー的興味で読むには良いが、だいたい知った話が多い。だれもが知っている大物芸能人が実名で登場し、イメージ通りの動きをするので、読みやすく、下世話におもしろい。

山口組三代目の田岡が、小林旭に美空ひばりとの結婚や、離婚を迫るなんて話もはっきり書いてある。

林さんらしい筆使いは感じられず、表面的事実の羅列で、小説としては物足りない。

林真理子の略歴と既読本リスト



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『向田邦子ふたたび』を読む

2013年04月19日 | 読書2

文藝春秋編『向田邦子ふたたび』(文春文庫-ビジュラル版 む1-24、2011年7月文藝春秋発行)を読んだ。

飛行機事故による急逝から30年、今なお、愛され続けるその素顔に、文壇関係者らが寄せた追悼文、弔辞、回想から迫る。愛猫、愛用品、旅の土産、ままやの献立、旨いものなど、百余点の秘蔵写真も収録。不世出の作家の全魅力が蘇る、ファン必携の1冊。

本書は昭和58年文芸春秋臨時増刊「向田邦子ふたたび」を改訂増補した文庫の新装版。

「はじめに」には、世界を駆け回った向田さんの旅行トランクの写真があり、向田さんの愛猫「マミオ」にまつわる須賀氏の文とマミオの数枚の写真が続く。

山口瞳、澤地久枝、山本夏彦、吉行淳之介、綱淵謙錠、野坂昭如、中川一政、品田雄吉、本田靖春、小泉タエ、桐島洋子、秋山ちえ子達16人による向田さんへの回想が続く。

山本夏彦が選ぶ「向田邦子エッセイベスト5」が掲載され、

最後は、向田邦子年譜、著作リストが並ぶ。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

改めて向田邦子という作家、人間の魅力にハマる。怖いくらい凛として、思いやり深く、猛烈に仕事する。澤地久枝さんが「昭和ヒトケタの長女」と書いている。

向田さんの人となりを表すエピソードの他に、エッセイがいくつも引用されていて、かって読んだ美味しいところを改めてつまみ食いできる。そして、なんといっても100点余り写真が掲載されていて、向田邦子ファンには5つ星。

向田さんが一目惚れしたコラット種の猫のマミオは、猫好きでない私が見ても、確かに美しく神秘的でさえある。ちょっと撫でてみたい毛並みだ。その前に引っかかれるだろうけど。

黒ずくめの若いころの向田さん、決めている。帽子をかぶった写真も8枚ほどある。謎の恋人だったカメラマンが撮ったものなのだろう。



以下、メモ

寺内貫太郎のモデルと言われ、暴君とも言ってよい父親

祖母の通夜の晩、突然弔問に現れた社長を迎えに玄関に飛んで出た父上の、式台に手をついて平伏している姿を見て、はじめて「私達に見せないところで、父はこの姿で戦ってきたことを知り、<父だけ夜のおかずが一品多いこと>も、<八つ当たりの感じで飛んできた拳固>をも許そうと思った。」(父の詫び状)

拳骨より前におかずが一品多いと書くのが、子供らしく、グルメの向田さんらしい(そこじゃないだろう! 感心するところは)。

元気の日にはマルを書いて、毎日一枚ずつポストにいれなさいと、これは父が学童疎開する末の妹に葉書を山ほど持たせたときの言葉である。末の妹は一年にあがったばかりでまだ字が書けないのである。初めの日は特大のマルが来たが、みるみるそれは小さくなって、しまいにはバツになった。やがて百日咳を患ったので三ヶ月目に母がつれ戻しに行った。夜遅く見張っていた弟が「帰ってきたよ」と叫ぶと、茶の間で待ちかねていた父ははだしで表へとびだして、防火用水の前でやせ衰えた妹の肩をだき声をあげて泣いた(字のない葉書)

わざわざ「防火用水」と書いてリアルさを演出するのが脚本家らしい(指摘するのが、そこかよ!)。

小学4年のとき、片足、片目が悪く、小さくて勉強もビリでひねくれたIがいた。遠足のときIの母親が大きな風呂敷に大量のゆでたまごを、「これみんなで」と級長の向田さんに押し付けた。これを持って遠足に行くのはと一瞬ひるんだが、いやとは言えなかった。さらに、運動会のかけっこで、皆から大幅に遅れたIが途中で止まってしまった。皆が困ったなと思ったとき、何かというと口うるさく注意するので、学校でもっとも人気のない女教師が飛び出してきて、Iと一緒にゴールする。そして、参加賞をもらうところまで連れていく。
「私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり、「小さな部分」なのです。」
この話(「ゆでたまご」)、いい話なのだが、現在ではちょっと差別的と取られるおそれがあり、残念だ。



向田邦子(むこうだ・くにこ)
1929(昭和4)年東京生れ。
実践女子大学卒業。秘書、「映画ストーリー」編集者を経て、脚本・エッセイ・小説家。
1952年「映画ストーリーズ」編集部へ
1962年「森繁の重役読本」脚本
「七人の孫」(1964年)「時間ですよ」(1970年)「寺内貫太郎一家」(1974年)「阿修羅のごとく」(1979年)などTVドラマ脚本
1975年 乳がん
1980年 短編連作小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞受賞
1981年8月22日台湾の飛行機事故で死亡(享年51歳)
向田邦子さんのお墓には森繁久彌さんの挽歌「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」
が刻まれている。
その他、『父の詫び状』『無名仮名人名簿』『霊長類ヒト科動物図鑑』『眠る盃』『思い出トランプ』『あ・うん』『家族熱』『女の人差し指

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KITTEへ

2013年04月15日 | 行楽
東京駅見物のついでに、JPタワーKITTEへ行った。
東京中央郵便局の建物を手前に残し、後ろ側に高層ビルを建てたのだ。



JPタワーというのは、高層のオフィス棟で、地上38 階、地下4 階、高 さ約 200 m あり、日本郵便(1F)などが入っている。

KITTEというのは、商業施設で、B1から6Fまでを占める。3月21日オープンだった。
全国各地のご当地銘品98のショップ&レストランがある。

東京駅丸の内南口を出て左手を見る。



入口には、わかりにくいが、すだれ状の一番下が「KITTE」と読める。



中は6Fまで吹き抜け、



ところが、2F以上は11時からということで、とりあえず、B1へ降りて、imprestionという洋菓子&ジュースの店で一休み。



クレマンティーヌとマンゴ・パッション・バナナ 420円と、JPタワー開業記念 糸島〇〇〇レディア苺フランス産苺315円を注文。ああくたびれた。



11時を過ぎたのでエレベータで東京駅が見える6Fの屋上庭園へ。
ところが、このエレベータの入口が極端に狭い。ベビーカーがすれすれ。



6Fは奥まで広がる低い植込み。





開けてはいるが、横を見ると、ビルの谷間



端まで行くと、東京駅が見下ろせる。



ずらりと並ぶ線路も見える。



緑を見ながら、





ビル内に戻る。



12時前にレストランに入ろうと、6Fの近くにあった「魚匠 銀平」で、昼のミニコース2100円なりとご注文。

サラダは取り分けてしまってから慌てて写真とりました。


刺身は、太刀魚とブリ



タイの尾頭付き、というかお頭。しかし、スーパーのアラと違い、食べでがあった。



豆腐もおいしく、



漬物、汁も結構で、おなか一杯。



2F、3Fに東京大学の博物館?インターメディアテクがあることを発見。
学術標本が展示されているのだが、内容はバラバラ。ミイラ、動物の骨格、魚の骨、タイプライターなどの機械類、洋服、火星表面の写真などなど。
なんとか捕まえて説明したそうな人を避けて、ざっと通り過ぎる。

もう一度、吹き抜けを見下ろして、



KITTEを後にした。

駅前ロータリーの皇居側を歩いていると、丸ビルに「5Fテラスから東京駅が眺められます」と書いてある。
さっそく入って、5Fへ。





確かに、駅舎も駅前広場もよく見える。20時までやっているそうだから、夜も良いかも。我々は夜は原則出歩ないのだが。

吹き抜けを見下ろして、



外に出て、東京駅をスケッチする人を見ながら、帰宅の途につく。













































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井上純一『中国嫁日記』を読む

2013年04月14日 | 読書2

井上純一『中国嫁日記』(2011年8月エンターブレイン発行)(漫画)を読んだ。

大人気になった著者による「中国嫁日記」ブログ(2010年の7月の開始)の書籍化だ。(本ブログでは 『中国嫁日記 二』を先に紹介してしまった)

アニメと漫画に囲まれ美少女フィギュアを買い漁る40歳オタク純一(中国読みでジンサンと呼ばれる)に、20代の中国嫁の月(ユエ)が来た。ちょっと変わった中国嫁の珍行動、変な日本語、オタクの夫が笑える。

●月(ゆえ)が日本へ来てびっくりしたのは「トイレに紙がある」こと。なぜ日本人は紙を盗っていかないのか?
●スーパーで、「ニンニクを1キロも買うの?」「すぐ使っちゃうよ。フツーよ」
●月は寝ているジンサンの腹をもみにやってくる。「つきたてのモチみたいデス」「朝は今ひとつデス。やわらかくない」「ジンサンの胸もむ気持ち分かりますネ。こっちの方が量おおいデスケド」
●「電気閉めてクダさい!」「ジンサン、歯磨かナイの大(だい)イヤ」「なれたダカラ」(何にでもダカラを付ける)

後半は、書籍化のための描きおろし漫画で、月との中国での最初の出会いまで。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

直情、ひたむきで頑固なユエさんの言動が、驚きで、可愛い。

月さんに黙ってwebに「中国嫁日記」を公開していて、ついにバレてしまう。そして、この本の最後は、
「月は何万人もに自分が知られていることをどう思う?」「関係ないデショ。同じよ」「毎日ごはん作って食べてるデショ。二人とも元気。同じよ」
「なんつーか、月がいてよかったな」「でしょネー。リンゴ食べる?」「うん食べる」
なんか、新婚のイチャイチャのようだが、いいんじゃない!



井上純一(いのうえ・じゅんいち)
1970年宮崎県宮崎市出身。ゲームデザイナー、イラストレーター、漫画家。純弌とも書く。
多摩美術大学二部中退。
コンピュータを使用しないロールプレイングゲームであるテーブルトークRPG(TRPG)のゲームデザイナーや、ゲーム雑誌を中心としたイラストレーターとして1990年代から活躍している。

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中村文則『最後の命』を読む

2013年04月12日 | 読書2
中村文則著『最後の命』(2007年6月講談社発行)を読んだ。

帯にはこうある。
ある日、帰宅するとベッドの上で女が死んでいた。警察で取り調べを受ける私は、そこで意外な名前を聞く。その名は、私を強制的に記憶の奥底へと引き戻す―。少年時代に起こったひとつの強姦殺人事件。その日を境に心の奥底に宿った欲望の種子は、ふたりの男の運命を切断していく。暴力、欲望の生みだす罪。その残酷さの中にある人の希望とは!深遠なテーマと向きあい、たどり着いた著者の新境地!渾身の傑作長篇小説。


秘密基地を作って2人だけで遊んでいた小2の私と冴木は、ある夜、浮浪者たちに襲われている女・やっちりを目撃する。暴行者たちからようやく逃れる。仕返しをおそれ警察にも届け出なかったが、その後、やっちりは死体となって発見される。

この体験により、二人の生き方は徐々に社会から外れていく。そして、大人になった私のもとに冴木から電話がかかり・・・。

初出:「群像」2007年2月号



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

芥川賞受賞後はじめての長編ということで、目一杯がんばって書いているのが目立つ。観念的な記述が青臭く、逆に、やたら社会から距離をとり、死を意識したりと、わざとらしく、引いてしまう。小2で、正しい行動をとれなかったという体験が、それほど引きずるものだろうか。

最後の方に、告白メールが30頁も延々続く。こんな長いメール打てる?



中村文則は、1977年愛知県東海市生れ。福島大学行政社会学部卒。
作家になるまでフリーター。
2002年『銃』で新潮新人賞、(芥川賞候補)
2004年『光』で野間文芸新人賞、
2005年『土の中の子供』で芥川賞、
2010年『掏摸』で大江健三郎賞を受賞。
その他、本書『最後の命』、『悪意の手記』、『何もかも憂鬱な夜に』、『世界の果て』

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ビートたけし『間抜けの構造』を読む

2013年04月10日 | 読書2

ビートたけし著『間抜けの構造』(新潮新書490、2012年10月)を読んだ。

「間」とは何かと言われても答えにくい。しかし、とくに日本では「間」は大事とされる。たけしさんによれば、「間」を制した奴だけが、それぞれの世界で成功することができる
という。
最後の章は、たけしさんの半生記で、芸人になる前からを振り返っている。

漫才、落語、テレビ番組、映画の撮り方、さらに日常会話まで、「間」の大切さを実例で示している。軍団メンバーなどの笑える話が多くはさまれ、一気に読める。

討論のときにどこで話に入っていくかというのは、・・・相手が呼吸するタイミングで入ってくるよね。・・・
・・・
最近のバラエティ番組には、「ひな壇芸人」というのがいるじゃない。多いときには
20人位並べて座らされている。
全員、血走った目で、少しでもしゃべるチャンスを今か今かと狙っている。司会者が息を吸った瞬間にひな壇芸人全員が一斉にしゃべりだす。その中で目立つためには、他のやつらが考えていないこと、興味を持っていないことを見つけ出して・・・




私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

さらりと面白く読め、大方その通りと納得もするのだが、たけしさんファンでもない私にはとくに感心するところもない。
バラバラなテーマで書き散らしたエッセイを束にした本が最近多いが、一冊全部を「間」でまとめたことは評価したい。そのため薄まったところを、笑い話でつないでいるのだが。



第一章 間抜けなやつら
第二章 〝間" を制すもの、笑いを制す――漫才の〝間"
第三章 お辞儀がきれいな人に落語の下手な人はいない――落語の〝間"
第四章 司会者の〝間" を盗め――テレビの〝間"
第五章 いかに相手の〝間" を外すか――スポーツ・芸術の〝間"
第六章 映画は〝間" の芸術である――映画の〝間"
第七章 〝間" の功罪――日本人の〝間"
第八章 死んで永遠の〝間" を生きる――人生の〝間"

ビートたけし
1947年東京足立区生れ。浅草フランス座で芸人修業中に知り合ったきよしと漫才コンビ「ツービート」を結成、漫才ブームで一躍人気者となる。その後もソロとして、テレビやラジオの出演、映画や出版の世界などで活躍。映画監督・北野武としても1997年には「HANA-BI」でベネチア国際映画祭グランプリを受賞。
著書に『たけしくん、ハイ!』『裸の王様』『漫才』など。

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宮下奈都『メロディー・フェア』を読む

2013年04月07日 | 読書2
宮下奈都著『メロディー・フェア』(2011年1月ポプラ社発行)を読んだ。

結乃は、大学を卒業し実家に戻り、ひとをきれいにする仕事、化粧品カウンターで働く道を選んだ。
職場で敏腕との噂の先輩の馬場さんは、とくに御愛想も言わずさっぱりした対応なのに、お客さんがとても多い。一方、できる限りの愛想を振りまく結乃にはお客さんは来ない。
家では口紅が好きの結乃に対し、化粧嫌いの妹との間には溝がある。

そんなある日、世間話しかせず買物しない浜崎さんが真剣な顔で化粧品カウンターを訪れて・・・。
また、鉄仮面のようなメイクの女性は、幼なじみのミズキだった。

メイクを通して自分と向き合い、成長してゆく女性たちの物語。

初出:「astra」2009年10月号~2010年8月号



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

なにしろ、最初から最後までメイクの話だ。男性には、少なくとも昔の男性が読み通すのはキツイ。「ビューティーパートナー」というわざとらしい名前にも馴染めない。

接客業をしていて、人間嫌いになりそうな女性たちにとっては、真っ直ぐなヒロインの「様々な個性を持つ人々と接するのは素敵な仕事なのだ」という考えは癒しなのかもしれない。

若い女性の日常がしっかり書けているのだが、登場する脇役の女性たち(馬場さん、ミズキ、妹や母)についてはさらりと書きすぎていて、物足りない。それが著者の持ち味とも感じられるのだが。

幼いときには、勉強も運動も出来て元気だったミズキが、やがて、女の子は可愛い事が一番の尺度になり、10歳で失恋し、鉄仮面の化粧になるという話も、少々極端で説得力が不足する。



宮下奈都(みやした・なつ)
1967年福井県生れ。 上智大学文学部哲学科卒。
2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に入選、デビュー。
2007年『スコーレNo.4』がメディアで絶賛され、ヒット。
その他、『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『 誰かが足りない』、本書『メロディ・フェア』。
参考「作家の読書道



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絲山秋子『沖で待つ』を読む

2013年04月04日 | 読書2
絲山秋子著『沖で待つ』(文春文庫い62-2、2009年2月文藝春秋発行)を読んだ。

「勤労感謝の日」「沖で待つ」「みなみのしまのぶんたろう」の合計3編の短編集。文字、字間、行間も大きい174頁と解説10頁で極薄い。

「勤労感謝の日」
とんでもないことで失業中の36歳の女性。近所の世話になった小母さんの義理でお見合いする羽目になる。相手の第一声が「スリーサイズ教えてくれますか?」。「日本経済は結局僕ら大企業が支えているわけですよ」とのたまう男。

「沖で待つ」
住宅設備機器メーカーに女性総合職で入社した私と太っちゃんは、同期で、最初の赴任地が同じだった。特約店、設計事務所、クレーム現場を回りゼロから営業を学んでゆく。そんな中で同期の連帯感を深める2人。
バカにされ、可愛がられ、奮闘する布袋様のような太っちゃんは、意外なことに、何を聞かれても即答する事務の井口さんと結婚する。私は言う。「井口さん、捨てないでやって下さいね、かわいそうだから」
バブルの頃は新築物件が多く、私たちは注文をさばいて、クレーム対処するだけで精一杯でした。・・・やっとのことでキリをつけて、朝3時とか4時にタクシーに乗っていると何台もの屋台が帰っていくのを追い越して、なんで屋台は夕方からなのに私たちは20時間も働かなければならないんだろうと心底嫌になりました。


「みなみのしまのぶんたろう」
田園調布という町に「しいはらぶんたろう」という・・・ブンガクをやったり、ヨットにのったり、マツリゴトをしたり・・・と始まり、総理大臣の弁当を盗み食いした事が見つかって、南の島に左遷され、その島での生活をするぶんたろうの話。漢字なしで読みにくく、途中でパス。

初出は、勤労感謝の日:文學界2004年5月号、沖で待つ:文學界2005年9月号、単行本:2006年2月、みなみしまのぶんたろう:エソラvol.3 2006年3月



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

著者のINAXでの長年の経験が生きていて、職場での会話、会社の給湯室での話や、型番の説明、トラブル対応など、仕事での日々は具体的に生き生きと描かれている。

ドジだが、一生懸命なだけ、余計可笑しい太っちゃんが良く書けていて、笑える。漫才に近い小説で、「これ、芥川賞?」。

子供が出来て井口さんが会社を辞めることになると、「太っちゃんが辞めて子育てすべきだ」「あいつに生ませろ。あの腹ならいけるよ絶対」といわれる。

「福岡になれてくると、だんだん学生時代の友達とは話が合わなくなって来ました。」



絲山秋子(いとやま あきこ)
1966年東京生まれ。早大・政治経済学部卒後INAXに入社し、営業職で数度転勤。
1998年に躁鬱病を患い休職、入院。入院中に小説の執筆を始め、2001年退職。
2003年『イッツ・オンリー・トーク』で文學界新人賞を受賞。芥川賞候補。
2004年『袋小路の男』で川端康成文学賞受賞。
2005年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。『逃亡くそたわけ』で直木賞候補。
2006年『沖で待つ』で芥川賞受賞。
他に、『ばかもの』『北緯14度』など。


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宮本常一『忘れられた日本人』を読む

2013年04月02日 | 読書2

宮本常一著『忘れられた日本人』(ワイド版岩波文庫160、1995年2月岩波書店発行)を読んだ。

著者は、日本中を歩いて、その土地、土地で夜を徹して老人たちの話に耳を傾け、それをもとに百姓の一般生活、習俗を描きあげた。本書は、宮本さんの代表作で、古老たちの語り口まで一心に書き留められている。

読者は、まるで宮本さんとともに対馬や土佐の奥深い田舎に入っていくのを実感できる。道を急ぎ、寄り合いに同席し、囲炉裏端で古老の話を聴きこむ。道具や帳箱をあけて丹念に見せてもらう。

近代化や高度経済成長の陰で失われてゆく民の生活、とくに西日本の「無字社会の日本」に焦点を当てている。

もとの本は未来社から1960年に刊行。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

今から50年以上前に書かれており、その時既に田舎でも失われていた文化を探し求めている。はるか昔の日本だが、小説や書物によく出てくる江戸、幕末や明治初期ではなく、都会でもなく草深い田舎の世界、文化が描き出されていて、私にはとても興味深い。

村に留まり、地道に農業を続けた人たちではなく、村を飛び出し、各地を流れた人が、経験、見聞を広めて地域に戻り、古老となった。そんな人たちの話は面白い。

心をひらいて話をしてくれるように村人の中に潜り込み、こんな話を聞き出す宮本さんにはびっくりだ。そして、様々な個々の面白い体験談から、村の構成、生活方法、人間関係などが浮かび上がる。これも同時に宮本さんの民俗学者としての腕前なのだろう。



宮本常一(みやもと つねいち)
1907年(明治40)、山口県周防大島町生まれ。小学校高等科を出て農業に従事。
1923年大阪逓信講習所に入り、郵便局に勤務。
大阪府天王寺師範学校第二部、同専攻科を経て、教職のかたわら民俗学の研究に
1934年柳田国男、1935年に渋沢敬三に出会い、1939年、渋沢主宰のアチックミュージアムに入り、全国の民俗調査を開始。戦後に再開して、精力的に離島や山村を巡る。
1960年、『忘れられた日本人』刊行。
1964年から武蔵野美術大学で教鞭を執りながら、研究や著作に励む。
1980年退職後に、郷里の周防大島に「郷土大学」を設立し、学長として講義。
1981年73歳で死去。



以下、メモ。

対馬界隈の海の社会では、メシモライとは船が遠くにわたっていくときに船に乗せてもらう者のことだ。少年が多い。

世間師とは、ならずものとも無宿者ともいえるが、仕事を求めて旅をしながら無鉄砲なことをする。幕末や維新のときには、彼らが隊員となって活躍した。

「対馬にて」には、伊奈という村で「とり決め」を行うために昼も夜もなく、延々と続く村人たちの寄り合いがあった。共同体運営の知恵が実践されていた。

とくに面白い話は「土佐源氏」だ。
橋の下でほとんど乞食のようにして暮らす80歳を過ぎた盲目の老人。彼が語る社会の底辺に生きた波乱の人生。彼はばくろう(牛の売り買いをする人)で、一生、牛と女しか知らなかったという。町の名士の奥様との恋などは、ロマンさえ漂う。


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