hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「リベルテ」でランチ

2023年08月31日 | 食べ物

 

このところの暑さで家籠り。たまの散歩は日が落ちてからだし、毎月届く花も、7月と8月は花もちが悪いので断っている。ということで一時は一か月以上先行予約UPしていたこのブログも、ネタ切れで、ついに明日を心配する羽目に。

 

用があって2カ月ぶりだろうか、吉祥寺に出て用事を済ますと、気が付けば11時で、東急を出て、大正通りをブラブラ。「月和茶」を過ぎ、つぎの西三条通りを北に入ってすぐ右側の「リベルテ・パティスリー・ブーランジェリ-」に入った。

 

「リベルテ・パティスリー・ブーランジェリ-」は、パリには1,200店以上ブーランジェリー(パン屋)があるが、3年前創業にもかかわらず人気店となった。世界展開1号店として2018年3月24日に本社を吉祥寺にオープンした。

1階は、店内で毎日作るスイーツやパンを販売している。2階はカフェで“オリジナルメニュー”を提供。9時~11時までなら、1階で買ったパンを2階で食べることもできる。

 

2階はテーブル間隔も広く、明るい。全面ガラスの窓際の席から西三条通りを見下ろす。

 

私は、リベルテ風無水ビーフカレーと、セットのホットコーヒーを注文。

これが、現物で、まず、パンが出てくる。これはお代わりできて、いろいろなパンが楽しめる。

 

こちらが無水ビーフカレー。

特別辛くはないが、複雑な味で、パンに乗せて食べると、イケる。

 

 

相方は、単品フルーツサンドに、セットのアイスティー

 

 

久しぶりの外食を楽しんだ。

帰り道、ムーバス(コミュニティーバス)を待っていて、レストランの外観写真を撮り忘れたことに気が付き、以前UPした時の写真を使うか、店のホームページの写真を借りるか、など考えていて、スマホを探ると、無い!

あわてて、人込みをかき分けて、戻って、取り戻して、良かった! スマホを失くすと、後がいろいろ面倒だ。

 

スマホを店に置き忘れると、その時点で気が付くように、店の外観写真はいつも、店を出てから撮るようにしている。今回は、置き忘れと撮り忘れのミスが重なってしまった。負け惜しみで言うと、この規則のおかげで帰宅途中で気が付いたとも言えるのだが??

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高田郁の略歴と既読本リスト

2023年08月30日 | 読書2

高田郁(たかだ・かおる)

1959年、兵庫県宝塚市生れ。中央大学法学部卒。
1993年、川富士立夏の名前で漫画原作者としてデビュー。高田郁は本名。
2006年、短編「志乃の桜」
2007年、短編「出世花」(『出世花 新版』、『出世花 蓮花の契り』)
2009年~2010年、『みをつくし料理帖』シリーズ『第1弾「八朔の雪」、第2弾「花散らしの雨」、第3弾「想い雲」
2010年『 第4弾「今朝の春」
2011年『 第5弾「小夜しぐれ」
第6弾「心星ひとつ」』
2012年『 第7弾「夏天の虹」』
みをつくし献立帖
2013年『 第8弾「残月」』
2014年『第9弾「美雪晴れ』『第10弾「天の梯」
2016年『あきない世傳 金と銀 源流篇』、『あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇』、『あきない世傳 金と銀 三 奔流篇

 2019年『花だより みをつくし料理帖 特別巻

その他、『 ふるさと銀河線 軌道春秋』『駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』『銀二貫』『あい 永遠に在り

エッセイ、『晴れときどき涙雨 高田郁のできるまで』『晴ときどき涙雨

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高田郁『晴れときどき涙雨』を読む

2023年08月29日 | 読書2

 

高田郁著『晴れときどき涙雨』(ハルキ文庫た19-30、2023年2月18日角川春樹事務所発行)を読んだ。

 

高田郁(かおる)の初のエッセイ集『晴れときどき涙雨 高田郁のできるまで』(創美社)に加え、同名の本(幻冬舎)が刊行されていて、今回の本は、2012年と2014年刊行分にその後の九年間の出来事を加筆した3冊目のエッセイ集。

 

  • 川富士立夏のころ(2005~2009)45編+現在のコメント
  • 高田郁のできるまで(~2014)1冊目と2冊目のあとがきの2編
  • 明日に繋ぐ想い(~2023) 10編

 

法曹界を志し10年ほど頑張ったが挫折、交通事故に遭い後遺症に苦しんだ日々、阪神淡路大震災、作者の歩みは順風満帆ではなかった。山本周五郎に衝撃を受け、生きることの切なさを表現できる作家になりたいと漫画原作者から時代小説作家への転身に苦労する。

 

著者は、あちらこちらと曲がりくねりながら、誰かの人生の伴走者になりうるような小説を目指して、ひたむきな努力を重ねる。この間、著者は運よく多くの素晴らしい人たちに助けられたと語るが、それは真面目、生一本で努力を重ねる著者をまのあたりにして、どうしても手を伸ばしたくなったためだろう。

 

 

「あかんたれ」

司法試験の論文式の合格発表の日、危篤状態の父に合格の知らせを届けたくて電話で問い合わせた。ダメだった。・・・

トイレの手洗いで顔をバシャバシャと洗いながら、あかんたれ、あかんたれ、と胸のうちで繰り返した。・・・病室に戻ると、父が目を開けて私の帰りを待っていた。・・・「まだ死なれへんなァ」

 

「煙に目が沁みる」

小学校の頃、学校のすぐ傍に火葬場があった。……高い煙突から上がる煙を眺めて「ああ、焼いてはるわ」と友達と話しながら登下校したものだ。

(私の小学校も全く同じで、煙と同時に独特のくさい臭いがしたものだった。)

 

「明日は味方」

両眼の網膜に立て続けに孔が開いた。もし今、筆を折るとしたら一番の後悔は何だろう、と。「まだ時代小説を書いていない」――それが大きな心残りだった。

時代小説の文学賞の奨励賞に選ばれ、憧れの山本一力からサインをもらった。「明日は味方」とあった。

皆の衆、今日は試練の一日だったとしても、「明日は味方」だ。

 

 

 

初出:2012年7月集英社クリエイティブより刊行

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

 

『みをつくし料理帖』で絶賛の人気作家となりながら、顔出しせず、謎が多い高田郁の過去から現在までがわかり、ファンとしては面白く読める。ただし、前半部は『晴れときどき涙雨 高田郁のできるまで』と同じ。

 

エッセイとしては、真面目一直線で、遊び、面白味が少ない。

 

 

高田郁(たかだ・かおる)の略歴と既読本リスト 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帯状疱疹ワクチンを打つ

2023年08月27日 | 健康

 

愛読ブログに「もはやコロナワクチンはパスするが、帯状疱疹ワクチンを打つことにした」との記述を見た。

その上、相方の知人から帯状疱疹の痛みが酷くて、一週間まともに横になれなかったという話を聞いた。とくに高齢者は、後遺症や合併症が酷い場合もあるらしい。

我々は子供の頃、水疱瘡(みずぼうそう)にかかったかどうか、もはや確かめるすべはないが、日本人の成人の90%以上が水疱瘡ウイルスを持っているという。
その上、このところTVやSNSで帯状疱疹予防の宣伝を見ることが多い。

 

オッチョコチョイの私は、デメリットよりメリットが多ければ、予防はした方が良いに決まっていると、相方と共にさっそく帯状疱疹ワクチンを打つことにした。

二人とも何回目かのコロナワクチン接種を月の中頃に既に済ませていたのに、趣味がワクチンと言われそうだが、続いて月末に帯状疱疹ワクチンを打った。

 

わが区の補助金だと、2回で2万円少々と高くなるが、予防効果の大きい2回接種のシングリックスにした。

先日2回目を接種したので、1年目97%、2年目91%、4年目85%の予防効果だという。予防効果は9年以上持続すると書いてあったが、89歳でもう一回接種するのかな??

 

副反応は、注射した所の痛みが78%起こるらしいが、私は、本当に効いているのか疑われるようにまったく何もなしだった。しかし、相方は、18%起こるという発熱があり、38度で、2日ほどだるそうだった(疲労は39%)。

 

 

帯状疱疹については、例えば「帯状疱疹予防.jp」をご覧あれ。

お好きな人は、クリックして画像を表示すると、エグイ症状の写真がズラズラ出て来て、十分楽しめます。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤崎彩織『ざくろちゃん、はじめまして』を読む

2023年08月25日 | 読書2

 

藤崎彩織著『ざくろちゃん、はじめまして』(2023年4月25日水鈴社発行、発売所文藝春秋)を読んだ。

 

水鈴社の作品紹介

結婚を決めたとき、すぐにSEKAI NO OWARIのバンドメンバーとスタッフに言わなくては、と思ったことがある。
「結婚するということは、妊娠したら出産するということだからっ」
啖呵を切ってみた私にも、実際よくわかってはいなかった。
それは、未開の地を開拓するようなものだった――。
(本文より)

妊娠後、コントロールできなくなった体と心。膨らむ被害妄想。
愛しい息子の誕生後、夫婦に襲いかかった産後うつ――。

こんなに幸せなのに、幸せだと気づくのは
なんて大変なのだろう。


スタジオから直行した出産、ステージ上での失禁、そしてメンバーからのメールに涙した日……。

アーティストとして、一人の女性として、妊娠・出産、育児の全てを包み隠さず綴り、切実な願いを込めた、笑って泣ける傑作書き下ろしエッセイ!
子どもを生んだ人、生まなかった人、生むかもしれない人、そして男性にこそ読んで頂きたい1冊です。

 

2022年末に日本レコード大賞を初受賞した4人組バンド・SEKAI NO OWARIのSaoriこと藤崎彩織さん、2017年発売の初小説『ふたご』が直木賞候補になった文筆家でもある。

 

妊娠出産篇 妊娠しながら、メンバーの男性3名との曲創り・アジアツアー、小説『ふたご』執筆

出産宣言、妊娠発覚、妊娠6週(ざくろの種位の大きさ)、妊娠7週、妊娠10~11週、

妊娠13週(手足、頭があり人間の形になっている大きめのプラム、夫と二人で初めて我が子が可愛いと思ったこのシーンは、人生最後に見る走馬灯に加えて欲しいな、と思った。)

以下、妊娠35~39週(小さめのスイカ)まで6刻みの妊娠とツアー生活など、出産(妊娠40週)

 

育児編  夫は精一杯育児しているのに、夫婦の気持ちがすれ違う、バンドメンバーに子育に協力してもらう

生後3日(餅つき)、生後1週~2週(作り立てのモッツァレラチーズ)~くたくたのキムチ鍋(生後3年)まで8刻みの育児記録

 

あとがき(生後5年・土付きネギ3本セット)

 

 

藤崎彩織(ふじさき・さおり)
1986年大阪府生まれ。2010年、突如音楽シーンに現れ、圧倒的なポップセンスとキャッチーな存在感で「セカオワ現象」と呼ばれるほどの認知を得た4人組バンド「SEKAI NO OWARI」では“Saori”としてピアノ演奏とライブ演出、作詞、作曲などを担当。2017年に発売された初小説『ふたご』は直木賞の候補となった。
他の著書は『読書間奏文』『ねじねじ録』。

夫は俳優の池田大だが、SEKAI NO OWARIのミュージックビデオの監督となり、6作目の監督作『Habit』でMTVの「Video of the Year」を受賞した。

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき、 最大は五つ星)

 

妊娠、出産、子育てと時系列に、細かく区切って書かれていて、文章も巧みで、スラスラ読める。

 

ステージやツアーをこなしながら、妊娠、出産という大きな身体の変化、心のアップ、ダウンの経験が凄まじいが、大阪人らしいユーモアを持って語られる。
夫婦ともに罹った産後うつでの厳しい相互のやりとりも、ギクシャクしながら、「まてよ」と相手の立場も思いやることで治める。なかなかの知恵者だと思う。

 

あーでもあり、こーでもあるという複雑な心理の話を、分かりやすく言葉にしていて、これから子供を持つような若い人たちは共感でき、参考になる点が多いのではないかと思う。

 

それにしても、出産の凄まじさには読むだけでビビる。

川上未映子さんは『きみは赤ちゃん』で言っていた。

案ずるより生むが易し、という言葉がある。
・・・男発信だったとしたらまじむかつくな、・・・。生むの、ぜんぜん易しくねえよ! 案じさせろや!っていうのもこれ、じつにたしかな実感である。

 

メモ

 

妻も夫も極限状態にある時に、「傷つけあわないことは難しいので、せめてその後に癒しあい、労(いたわ)りあえるところを目指したい」。

 

5歳になった今、親のどちらかがワンオペ育児をし、どちらかが一人の時間を作る「意図的ワンオペシステム」を導入している。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至福の時

2023年08月23日 | 個人的記録

 

はるか昔、息子がまだ幼かった時、妻と私で真ん中の息子の両手をつないで歩いていて、水たまりにぶつかった。二人で息子を持ち上げ、ひょいと水たまりの向う側へ降ろした。幼い子供を持つ家族のよくある風景だ。

我が息子は自分で飛んだ気分になって二人の顔をみて嬉しくてたまらないと身体をよじってケラケラと笑った。あの時が、私たち家族の若葉の時だった。年老いた今でも、幼い息子の笑顔と笑い声がよみがえり、おもわず微笑んでしまう。

 

すでに数年前のことになったが、同じように妻と私で幼い孫娘の両手をつないで歩いていて、マンホールのところで持ち上げて飛び越した。孫娘は本当に楽しそうに笑って、「すっごく楽しい!」と叫んだ。
「おお、女の子ってまた違うな!」と思った。

 

小学生になった頃、同じように、二人で孫娘の両手をつないで歩いていた。私が孫の手をつかんでいたのに、孫が逆に私の手をつかんだ。何をするのかと、不審に見ていると、同じように妻の手もつかみ直し、二人の手をつながされた。孫娘はいたずらっぽくニコニコと二人を見上げる。

妻は直ぐに振りほどくわけにもいかず、久しぶりにちょっとの間だが二人で手をつないで歩いた。私にとって二重の喜びで、「すっごく楽しい!」と叫びたかった。

 

「女の子ってあんなことやるのね」と、昔、女の子だった妻が言った。

 

「男の子もいいけど、女の子っていい!」

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中村富士美『「おかえり」と言えるその日まで』を読む

2023年08月21日 | 読書2

 

中村富士美著『「おかえり」と言えるその日まで 山岳遭難捜索の現場から』(2023年4月15日新潮社発行)を読んだ。

 

新潮社の内容紹介

発見の鍵を握るのは、行方不明者の「癖」。プロファイリングによる捜索実話。

「せめてお別れだけでもしたい」――いくら探しても見つからないという家族から依頼を受け、著者は山へ向かう。たとえ身近な低山でも、運命の分かれ道は登山道の随所に潜んでいるのだ。家族のケアをしながら丹念に話を聞き、プロファイリングで消えた足跡を辿る6つのエピソード。予防と早期発見に役立つコラム付き。 

 

山での遭難者の探索・救出は警察主体の山岳救助隊が行う。一方、民間の捜索チーム、例えば著者が代表のLiSS(リス)への捜索依頼の多くは、山岳救助隊の捜索が打ち切られたあとに寄せられる。生存の可能性が著しく低くなった遭難者、遺体を探すが著者たちの主な仕事だ。待ちわびるご家族の心のケアも大事な役割となる。

 

依頼されて、まず行うのは、家族からの遭難者の年齢、山登りのキャリア、性格、職業、癖などのプロファイリング。事前の登山計画には書かれていない、場所のヒントが得られる。

 

 

第1章 偶然の発見

登山経験が少なかった著者が、地元の里山で、ベテランが発見できなかった遭難者の遺体を、初心者の眼で見て発見することが2回起こった。看護師だった彼女は、「山岳遭難捜索」の世界へ導かれた。

 

第2章 母が帰らない

60代の女性が一人で奥秩父へ登山し、行方不明になった。彼女は友人から春に登った時の写真を手渡され、持って登っていたことが分かった。夏には植物が成長し、看板は見えなくなり、景色は大きく変わる。家族は現地で10日間も待ち、ようやく彼女が道を間違えた地点が分かり、……。

 

第3章 一枚の看板

その日、山頂を示す看板の矢印が反対側を示しているようだったとの証言が得られた。風で動いたのだろう。

 

第4章 捜索の空白地帯

丹沢のすべての沢の制覇を目指し、毎週通うベテランKさんは、3枚の登山計画書を、自宅冷蔵庫、登山ポスト、持ち歩き後のベースキャンプのテントに置いていた。3枚目が無かった。ということは……。

 

第5章 目的の人だけが見つからない

日光で縦走中のWさんが遭難した。Wさんはココヘリの受信機を持っていて、いざと言う時にはヘリコプターか、地上隊の受信機に反応するはずなのだが反応しなかった。結果的に受信機のスイッチが入っていなかった。
そこで、SNSや登山サイトの投稿記録を調べ、Wさんと山で遭遇した登山者を探した。Wさんとすれ違った人と連絡がとれ、捜索を広げていく中で同じ山で遭難していた生存者と遺体を見つけ、そしてようやくWさんの遺体を発見した。

 

第6章 長いお別れ

雪渓は谷や斜面に局所的に残っている積雪のことで、平なので歩きやすいが、下には水が流れていて、雪を踏み抜いて沢に落ちる危険がある。
Sさんは2年経っても行方知れずで、会社経営に支障がでていた。死亡が認められるのは、7年経過後の「普通失踪」と、船の沈没や震災などの危難に遭遇し1年経過後の「危難失踪」による。準備を重ね、裁判所から、ようやく危難失踪認定を受けたが、山岳遭難で認められたのは、おそらく2例目だろう。2日後に、遺留品が発見され、遺体も見つかった。

 

 

中村富士美(なかむら・ふじみ)

1978年、東京生まれ。山岳行方不明遭難者捜索活動および行方不明者家族のサポートを行う民間の山岳遭難捜索チームLiSS(リス)代表。DiMM国際山岳看護師、(一社)WMAJ(ウィルダネス・メディカルアソシエイツ・ジャパン)野外災害救急法医療アドバイザー、青梅市立総合病院外来看護師。遭難事故の行方不明者について、丁寧な聞き取りをしながら、家族に寄り添った捜索活動を行っている。また遭難捜索や野外救急法についての講演などの情報発信もしている。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)

 

それほど高くも、厳しくもない一般登山における遭難の実例が示され、登山の危険を再認識できる。説得力をもって、遭難予防の対策のヒントが得られる。

低い山でも、ちょっとしたことで遭難がありうるのだとよくわかった。

 

家族にすれば、どこの山に行くのか、どのようなルートを取るのかなどの話はいつものようにされなくて、ただ山に出かけたと思っていたのに、そのまま帰ってこない。気持ちがプツンと切れたままになってしまう。もはや生きて帰ってくるとは思えなくなっても、どこでどうなったのか、遺体、遺品を家族の手に取り戻して、「おかえりなさい」と言ってあげたいとの思いもわかる。

 

 

コラム 捜索費用・保険:山岳遭難件数は2021年2,635件で遭難者は3,075名(単独行が多い?)。死者255名、行方不明者28名。
捜索隊員一人の日当は3~5万円+交通費。山岳保険に加入し、登山届やルートなどのメモを残して欲しい。

 

コラム 遺留品:遺体は数か月で白骨化し小さくなるが、登山道具は残り、見つけやすい。特に大きなリュックが目立ち、色は自然界にない「青」が最適だ。

 

山中での死因

外傷、もしくは低体温症が多いと思われる。人間の体は、脳や心臓など深部体温が35度を下回ると低体温症になり、血液が身体全体に行き渡らなくなり、意識が遠のき、死に至る。

 

登山時の注意点

道に迷い遭難をしやすいパターンは、「登りの沢、下りの尾根」。沢を渡りながら登ると、登山道の傾斜を感じにくい。尾根は末広がりでルートを外れても気づきにくい。

 

人は山で迷ったとき、沢に出会うと、下る選択をしがちだ。沢は足場が悪く、降りられない滝にぶつかることが多い。下るのではなく、とにかく上へ登るべきだ。

私も若い時、丹沢で遭難しそうになった経験がある。尾根を下っての下山途中で、予定より遅れてきたのに焦り、地図を見て近道の沢に降りてしまった。足場が悪く、滝を迂回しながらの下山で時間を食い、暗くなってしまい、川岸で一夜を過ごすはめになった。友人はあせって崖を登りだしたり、飛行機に懐中電灯を振ったり、半分パニックになって、なだめるのに苦労した。結局、無事帰宅できたが、山を甘く見ていて、その上、沢の怖さを知らなかった。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田修一『ミス・サンシャイン』を読む

2023年08月19日 | 読書2

 

吉田修一著『ミス・サンシャイン』(2022年1月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

文藝春秋BOOKSの内容紹介

僕が恋したのは、美しい80代の女性でした…。大学院生の岡田一心は、伝説の映画女優「和楽京子」こと、鈴さんの家に通って、荷物整理のアルバイトをするようになった。鈴さんは一心と同じ長崎出身で、かつてはハリウッドでも活躍していた銀幕のスターだった。せつない恋に溺れていた一心は、いまは静かに暮らしている鈴さんとの交流によって、大切なものに触れる。まったく新しい優しさの物語。

吉永小百合、推薦。
「彼女は亡くなり、私は生きた」 以下略

和楽(わらく)京子:鈴(すず)さん。80代。昭和の大女優。本名は石田鈴。ヴィンテージマンションの最上階に住む。自宅とは別のマンションにある荷物を歴史的資料として整理し、五十嵐教授に渡す仕事に一心を日給1万円で雇う。

岡田一心:大学院生。長崎出身。「いっくん」と呼ばれる。妹・一愛は9歳で病死。

市井昌子:鈴さんより一回りほど若いが、長年のマネージャーで、現在はお手伝い。

桃田真希:桃ちゃん。カフェの店員で、一心の恋人となる。

五十嵐教授:一心のゼミの担当教授。映画演劇史研究者。

林佳乃子:和楽京子の幼馴染で親友。鈴さん曰く、私と違って本当の美人。

 

和楽京子(鈴さん)は、国際的大女優。長崎で育つが、一度しか会ったことのない日系米兵カメラマンを頼って、夜汽車で一人東京へ出て、大手映画会社「日映」のカメラテストを受けた。成田三善監督作品で肉体派アプレ女優として人気となり、1950年代、千家監督の「竹取物語」でカンヌ国際映画祭グランプリ、彼女が女優賞を獲得する。1950年代の終わりの3年ほどハリウッドで「ミス・サンシャイン」として活躍。

 

以下、鈴さんの映画、舞台での活躍・陰りの過去の話と、一心の、鈴さんとの交流、桃ちゃんとの恋の行く末の話が交互に進む。

 

 

文藝春秋BOOKSでのインタビューで吉田修一は語っている。

1945年にアメリカの「LIFE」誌に掲載された、「ラッキー・ガール」という写真があるんです。原爆が投下された直後の長崎の焼野原で、防空壕から顔を出した日本人女性の写真で、……

その女性は、後に原爆症で亡くなるんです。……この写真を見ているうちに、彼女のありえたかもしれない人生について思いを馳せるようになりました。たとえば女優さんとかになって、アメリカに行って人気者になっていたら……とか。そうして生まれたのが鈴さんです。鈴さんの輝かしい人生を書くことで、(鈴さんの亡くなった親友)佳乃子さんのように、原爆に人生を歪められた人たちの人生を照らし出すことができるのではないかと。

 

初出:「文藝春秋」2020年10月号~2021年10月号

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき、 最大は五つ星)

邦画が黄金期にあった時代と、文字通り大スターだった女優たちへの憧れと懐かしさ。年寄りの私は、過ぎ去った時代、今や永遠に失われてしまったものへの哀悼に、静かな哀しみを感じながら読んだ。

 

京マチ子がモデルかなと思いながら、原節子もちょっとだけだが登場し、鈴さんがまるで実在している人物のように思えてきた。その鈴さんが、凛として、気高く、可愛く、ステキ!

 

一心や、桃ちゃんなどの鈴さんのまわりの登場人物が今一つ深みがないし、かといってキャラも立っていない点はあるが、懐かしのあの時代の憧れだった映画へのオマージュとして、私としては五つ星。

 

 

吉田修一の略歴と既読本リスト

 

 

以下、メモ。

 

鈴さんが大スター・リチャードにべたぼれされた。

昌子「彼の後ろ盾はかなり役立ったでしょうよ」

一心「計算ずくってことですか?」

昌子「いっくん、あなたも、つまんないこと聞くわね。あなた、もてないでしょ。……男と女のあいだのことよ。愛も恋もあれば、計算だってあるわよ」

(う~ん、勉強になります。私がモテなかったのは、これだったのか!? )

 

鈴さんは、健康診断で「80代の健康優良児」と言われた。

 

恋心というのは嫌われたくないと思う気持ちで、愛するというのは嫌われてもいいと思う気持ち。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉澤公寿『ローランサン』を読む

2023年08月17日 | 読書2

 

吉澤公寿著、アート・ビギナーズ・コレクション『もっと知りたい ローランサン 生涯と作品』(2023年1月30日東京美術発行)を読んだ。

 

東京美術による内容紹介

女性が画家になることが難しかった時代に自分のスタイルを確立したマリー・ローランサン。ピカソやブラックとの出会い、戦争と亡命、そして画家としての成功――波乱に満ちた人生とその作品の変遷をたどる唯一の入門書。

 

柔らかな曲線と淡い色彩で、綺麗で可愛い女性の絵を描く画家という印象のマリー・ローランサンだが、プロフェッショナルの画家としてはじめて成功した女性でもある。

彼女はデッサン力や構成力に秀でていて、ピカソやブラックが集まったアトリエ兼住宅の洗濯船に加わり、そのコミュニティーに入れたたった一人の女性画家だった。華やかな交流関係とともに著名人からの肖像画作成を依頼も殺到し、商業的にも大成功した。

 

この本は、マリー・ローランサンの生涯をたどりながら、その作品はもちろん、華やかな交流を示す写真も含めた、写真+文のB5版80頁。

 

 

マリーはお針子として働くシングルマザーの娘として、普仏戦争の敗北から輝きを取り戻しつつあったパリで1883年に生まれた。志賀直哉、カフカ、シャネルと同年だ。

 

マリーは19歳で私塾アカデミー・アンベールで本格的に絵画を学び始め、ジョルジュ・ブラックと知り合い、彼女のデッサン力に驚いた彼は一緒に新しい芸術を創ろうと、ピカソなどが集まるアトリエ長屋「洗濯船」に連れて行く。

マリーは、ピカソやブラックが始めたキュビスムに影響されたが、直線でなく曲線を、形ではなく色彩を優先させた。1907年、ピカソが≪アヴィニョンの娘たち≫を完成させ、彼女はいくつかの群像絵画を描き、唯一の前衛画家として高額で売れた。

 

ピカソは彼女を、シュールレアリズムの詩人・アポリネールに「君の奥さんだ」と紹介し、そのとおり彼らは恋人になる。やがて、彼は、モナリザ盗難事件の容疑者として誤認逮捕されたことがきっかけで二人は別れた。彼はこの別れを代表作『ミラボー橋』に謳いあげた。

ミラボー橋の下セーヌは流れる

そして私たちの愛も

私は思い出さねばならない

喜びは悲しみの後にやってくることを   アポリネール『ミラボー橋』

 

小説家のサマセット・モームは1926年、南仏に邸宅を建て、食堂を5枚のローランサンの作品で飾った。そのうちの1枚がこの本の表紙の≪接吻≫。招かれたローランサンは自作を見て「モームさん、あなた良い趣味していらっしゃるわ」と語ったという。

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき、 最大は五つ星)

 

マリー・ローランサンの作品が好きな人、パリでの彼女の波乱の交際歴に下世話な興味がある人(それは私です)はツボにはまるだろう。

 

この本で、ローランサンの絵を全体として眺めてきたが、やっぱり肖像画が「いいね!」。
写真技術が進展し、肖像画が駆逐されると考えられてが、人々に求められ続けた彼女の肖像画は、絵とは写真と何が違うのか、絵とはいったい何なのかと、感じさせてくれる。

 

ピカソが何を描こうが、気鋭の美術評論家が何を語ろうが、心を和やかにしてくれる作品はローランサンの柔らかな、優しい絵画だ。居間を飾るにはピカソよりローランサンが最適だ。デコラティブアートに近いのだろう。
相方が好きで、長らく居間に飾っていた絵もこの本にあった。もちろんプリント画なのだが、終活の一貫で、メルカリで売ってしまった。利益0だったが、どなたかが心穏やかになってくれていればそれでよい。

 

 

 

吉澤公寿(よしざわ・ひろひさ)

1961年東京生まれ。私立暁星学園から立教大学文学部フランス文学科を卒業し、父親の高野将弘が経営するタクシー会社、グリーンキャブの役員に就任、学芸員資格を取得し、マリー・ローランサン美術館の担当となる。1998年フランス共和国文化通信省の実習生としてパリ第9大学で文化金融・経済・マネジメントの研修を修了。

現在、東京のタクシー会社グリーンキャブ・グループの常務取締役およびマリー・ローランサン美術館館長。

父親の高野将弘は東京のタクシー会社グリーンキャブを経営するかたわら、数十年をかけてマリー・ローランサンの作品を蒐集。そのコレクションは、質量ともに世界最大を誇る。

2023/2/14~4/9、Bunkamuraザ・ミュージアムで、「マリー・ローランサンとモード」が開かれていたが(そのホームページでは、多くの絵画が見られる)、現在は、6/24~9/3まで名古屋市美術館で開催中

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小山登美夫『現代アートビジネス』を読む

2023年08月15日 | 読書2

 

小山登美夫著『現代アートビジネス』(アスキー新書061、2008年4月10日アスキー・メディアワークス発行)を読んだ。

 

表紙裏にはこうある。

アンディ・ウォーホルの作品に80億円もの高値が付くのはなぜか?世界の富が現代アートに集まる今、「作品の価値」に基づいた健全なマーケットこそが、芸術文化の底力となる―。種も仕掛けもあるアートビジネスの世界を、奈良美智、村上隆を世に出したギャラリストがすべて教えます。

 

同じ著者の『“お金”から見る現代アート』と重なる部分が多い後半は除き、前半のみご紹介。

 

第1章 誰も見たことのないものに価値を見出す ギャラリストの仕事

著者の小山さんは中学3年生のとき、ジャスパー・ジョーンズの絵にショックを受けた。「何がなんだか、まったくわけがわからない」ものだったから。「わからないもの」に夢中になった。自転車でただで作品が見られる画廊巡りをする変な中学生は、東京藝大卒業後、銀座のクラブでバーテンのアルバイトをしながら、昼は現代アートの画廊で働くようになる。そして、やがて日本にも現代アートの市場を創ろうと自ら画廊を始めた。

 

しかし、若手アーティストの作品はさっぱり売れず、経営は逼迫する。小山さんは日本を離れ、作品をトランクに詰め、たった一人でアメリカに渡った。宿泊したホテルの部屋を朝になると整えて、ベッドの上や壁に作品を掛けてお客さんを迎えるという若いギャラリストが集まるアート・フェアーだった。
そこでは、ほとんどの客には見慣れないはずの、奈良美智、杉戸洋、村上隆の作品が次々と売れていったのだ。村上さんのアシスタントだったMr.がレシートの裏に書いたポップな女の子の絵を一点50ドルの値を付けて冷蔵庫に貼っておいたら、次々に売れた。ふつうの人たちが、見知らぬアジアのアーティストの作品をどんどん買っていく。

 

第2章 村上さんと奈良さん アーティストはどこにいる?

村上隆は芸大の日本画科の博士課程で10年以上在学し、一歳下の著者は芸術学科に6年在学した。当時から村上さんは作った作品をどのようにプレゼンするか、どのようにブランディングするかを考えていた。今の時代や社会構造のコミットし、まさに「自分たちの時代のアート」だった。
村上さんは、当時から自分が手を動かしてつくることより、コンセプトを第一に考え、多くの人の頭脳や技術を集結させた結果を作品にしていく作風だった。

 

2003年、村上さんのフィギュア作品≪Miss ko2≫が6800万円で落札された。

この作品はオタクをテーマとして扱っていますが、オタク彫刻ではありません。オタクという日本固有の文化風土で生まれて広がりを見せている「欲望現象」を、徹底的に調査・分析して作品のかたちで表現した、きわめてコンセプチュアルな試みなのです。

 

アニメやオタク、マンガといった、自分たちが日常の生活空間で親しんでいた新しい文化が芸術にまで昇華されて、なんらかの人間の普遍的な部分に到達できる、そして世界で通用するものになる……。

 

以下、略

第3章 アートの価値はどう決まる 投資を考えている人へ

第4章 マーケットを動かすのはコレクター アートを買ってみる

第5章 日本をアート大国へ アートビジネスの展望

あとがき

 

 

小山登美夫(こやま・とみお)

小山登美夫ギャラリー株式会社代表取締役。1963年、東京生まれ。東京藝術大学芸術学科卒業。西村画廊、白石コンテンポラリーアート勤務を経て、1996年に小山登美夫ギャラリーを開廊。2005年11月に江東区清澄白河にギャラリーを移転。2012年、シンガポールに支店をオープン。2008年より明治大学国際日本学部特任准教授

著書、本書『現代アートビジネス』(アスキー新書)、『見た、訊いた、買った古美術』(新潮社)、『小山登美夫の何もしないプロデュース術』(東洋経済新報社)、『“お金”から見る現代アート』(講談社+α文庫)。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)

 

お金の余っている人が好きなものに自分の金を何億円出そうが、カラスの勝手だ。しかし、村上さんの下品なフィギャーが16億円、奈良さんの漫画っぽい絵が2億円と言われても、そのお金で買えるものと等価とは、とても納得できない。金持ちだけが盛り上がっている、一種のバブルとしか思えない。

個人的趣味で言えば、具象画でなくとも、例えば抽象表現主義のマーク・ロスコは大好きなのだが、村上さんのフィギュアは趣味でない。

 

したがって、いくら現代アートビジネスの構造を説明されても、その結果としての金額に納得できない。現実ではあるのだが。

 

まあ、裸一貫で現代アート市場を日本に作ろうという小山さんの心意気には感心する。しかし、日本人アーティストの海外への売込みには成功したが、良いことか、悪いことなのかわからないが、日本での市場は形成されているとは思えない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小山登美夫『“お金”から見る現代アート』を読む

2023年08月13日 | 読書2

 

小山登美夫著『“お金”から見る現代アート』(講談社+α文庫、2015年1月20日講談社発行)を読んだ。

 

村上隆、奈良美智など数多くの日本人アーティストを世界に紹介してきたギャラリスト・小山登美夫が、現代アートビジネスの仕組み、アートマーケットの実状、オークションの裏側を、初心者に解説する。

ギャラリスト:最初に作家の作品が展示・販売されるギャラリーの運営者

 

「なぜこの絵がこんなに高額なの?」という素朴な疑問に答え、現代アートとお金の関係をわかりやすく解説する。お金がわかると現代アートがおもしろくなる。ギャラリストの本音(?)が聞けるので、面白い。

 

はじめに

2008年、3月、ニューヨークのオークションで、運慶作と伝えられる「木造大日如来像」が約12億円で落札された。5月、ニューヨークのサザビーズのオークションで、村上隆のフィギュア「マイ・ロンサム・カウボーイ」が約16億円で落札された。素材はグラスファイバーなど、高さ254㎝、顔はアニメの主人公風の少年、全裸でペニスは勃起、精液が身体を包むように高く宙に渦巻いている。

村上隆が運慶を上回る16億円! 現代アートがわかりづらいのは、このお金の問題だろう。

 

第1章 なぜ村上フィギュアが16億円になったか

1998年頃、著者のギャラリーでこの「マイ・ロンサム・カウボーイ」(エディション(複製した限定数)が5つある)を展示していて、約500万円で売った。10年で300倍になった。
著者によれば、この作品は質の高いコンセプチュアル・アートで、アニメ風の少年フィギュアにすることで、エロティックな生々しさはなく、気軽さや親しみやすさが生まれている。また、制作するための技術もさまざまな専門分野の優秀な職人と技術者が多数関わっている。

それにしても高すぎるが、現代アートを買うことは富と名声のシンボルになっている面がある。

 

1996年当時、現代アートは抽象的だったり、逆にメッセージ性が強すぎたりして、美術のための美術だった。見る人を楽しませる要素が少なかった。
そこで登場したのが、「イラスト」とか「マンガ」と言われていた村上さんや奈良さんだ。村上作品は、技術的に優れていて、主題が重層的で社会性を持っているし、奈良さんの絵(目つきの悪いおかっぱの女の子の絵)は、絵画の歴史の正統な流れの中にありながら、彼が少年期に感じていただろう感情が、あどけない子供や犬の表情の奥に込められている。

 

村上さんは「売れないと自分の作品は完結しない」「歴史に残らなければ芸術作品ではない」と言う。美術は、欲しいという人が増えていくほど希少価値としての作品が高くなっていき、歴史の中で残っていく。

 

著者が最初に奈良さんに会った頃、「奈良さんの作品って、イラストとどう違うの?」と聞いた。彼の答えは「僕は描きたいものしか描かない」と答えた。

 

 

本作品は2008年8月、講談社より刊行された『その絵、いくら? 現代アートの相場がわかる』を改題、加筆・訂正し文庫収録したもの。

 

小山登美夫(こやま・とみお)

小山登美夫ギャラリー株式会社代表取締役。1963年、東京生まれ。東京藝術大学芸術学科卒業。西村画廊、白石コンテンポラリーアート勤務を経て、1996年に小山登美夫ギャラリーを開廊。2005年11月に江東区清澄白河にギャラリーを移転。2012年、シンガポールに支店をオープン。2008年より明治大学国際日本学部特任准教授

著書、『現代アートビジネス』(アスキー新書)、『見た、訊いた、買った古美術』(新潮社)、『小山登美夫の何もしないプロデュース術』(東洋経済新報社)。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)

 

アート市場で価格がどのような仕組みで決定するかが良く分かった。しかし、仕組みはわかっても、アートの価値(価格)については、例えば村上さんのフィギャーや、奈良さんの漫画っぽい絵が何億もすると言われても、納得できない。

 

 

 

以下、アート産業の仕組みの説明

 

アートの価格

プライマリー・プライスと、セカンダリー・プライスがある。

プライマリー・プライス:ギャラリーで新作を展示し販売するときにつける値段で、アーティストとギャラリストの間で決定される。アーティストのアトリエから直接ギャラリーに持ち込まれるので贋作は99%ない。
作品のサイズが大きいと高く、素材がドローイング(水彩画や線画)よりペインティング(油彩画、アクリル画)の方が高くなる。
作品が売れた場合の画料は、洋画や日本画では20%位といわれるが、現代アートではギャラリストとアーティストの取り分は50:50。

セカンダリー・プライス:2回目以降のつけられる値段。オークションに出た場合の価格や、コレクターが手放すときの価格など。オークション価格こそが作品の本当の流通価格といえる。
日本最大手のオークションハウスはシンワアートオークションだが、手数料は落札価格200万円以下は16.2%、200万円~5000万円は12.96%、5000万円以上で10.8%。購入者に加え、出品者からも出品料をとるケースが多い。
高額で落札されても、そのアーティストの作品価格が底上げされる可能性は高いが、直接は一銭も入らない。

 

デコラティブ・アート(装飾美術):インテリアや家具などの調度類を飾るための美術。

クリスチャン・ラッセン、ヒロ・ヤマガタ、トーマス・マックナイト、笹倉鉄平の作品。オークションには出てこない。プライマリーで完結していて、セコンだりーはほとんど成立しない。

 

アートの価値

「技術」「感情」「コンセプト」で、作品の価値を判断する。
セザンヌの絵は、感情表現は見られないが、アカデミックに突き詰めた「技術」と「コンセプト」は革新的。エゴン・シーレは感情表現が優れている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薬丸岳の略歴と既読本リスト

2023年08月12日 | 読書2

薬丸岳(やくまる・がく)

1969年兵庫県明石市生まれ。駒澤大学高等学校卒業。

2005年、『天使のナイフ』で第51回江戸川乱歩賞を受賞してデビュー。
2016年『Aではない君と』で第37回吉川英治文学新人賞
2017年「黄昏」で第70回日本推理作家協会賞(短編部門) を受賞。

他、連続ドラマ化された刑事・夏目信人シリーズ、『誓約』『ブレークニュース』『友罪』『ガーディアン』『告解』『悪党』『刑事弁護人』『罪の境界』など。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薬丸岳『罪の境界』を読む

2023年08月11日 | 読書2

 

薬丸岳著『罪の境界』(2022年12月15日幻冬舎発行)を読んだ。

 

幻冬舎の内容紹介

無差別通り魔事件の加害者と被害者。決して交わるはずのなかった人生が交錯した時、慟哭の真実が明らかになる感動長編ミステリー。「約束は守った……伝えてほしい……」それが、無差別通り魔事件の被害者となった飯山晃弘の最期の言葉だった。自らも重症を負った明香里だったが、身代わりとなって死んでしまった飯山の言葉を伝えるために、彼の人生を辿り始める。この言葉は誰に向けたものだったのか、約束とは何なのか。

 

明香里は、26歳の誕生日に恋人の航平が予約していた松濤の高級イタリアンに向かっていた。途中で航平は仕事で来られなくなったと連絡が入る。
明香里が怒ったまま渋谷のスクランブル交差点を横断中に、若い男(26歳の小野寺圭一)と目が合って、突然斧で襲われた。「死ね――死ね――」と遠くから聞こえる。明香里を助けてくれた男(48歳の飯山晃弘)は刺され倒れて死ぬ前に、明香里の耳元で、「約束は守った……伝えてほしい……」とつぶやく。

 

明香里は、全身を17か所刺されながらも、なんとか身体は回復したが、心に大きな傷を負い、静岡の実家に戻った。しかし、PTSDに悩まされ事件前の明るさはどこかに、家族ともうまくいかなくなって、航平とも距離を置き、酒びたりとなる。

やがて、飯山はどんな人だったのか、誰とどんな約束したのか、手掛かりがなかったが、なんとか調べ始め、必死に前を向いて生きていこうとする。

 

航平も、待ち合わせをドタキャンしたことを後悔し、原因となったわがままな担当作家に反感を持ち、担当を外され、明香里からは拒否されて会えない。

 

一方、風俗嬢にインタビューして週刊誌に記事を売り込むライターの溝口省吾は、母からひどい虐待を受けたという共通点を持つ通り魔の小野寺圭一に興味を持ち、何を望んで事件を起こしたか、調べ始める。

 

 

明香里の視点から、恩人・飯山の過去をたどる話と、ライター・溝口が犯人・圭一と面会するなど犯人側からの話が交互に繰り返されて、話は進んでいく。

 

 

本書は、地方新聞17紙に連載したものを加筆修正した。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)

 

死刑にはなりたくないが、刑務所に入ったままでいたいと、一人だけ殺し、成功したとうそぶく犯人が実は母親……や、その母親が実は……という最後どんでん返し?はなかなか良い。

 

しかし、明香里を助けて死亡した飯山晃弘が死の間際に残した言葉の謎などは、ひっぱった挙句に普通!

 

全体に良く書けているが(えらそうに)、人をたどり、たどりしてついにたどり着く過程が長く、途中がダレル。

 

 

薬丸岳の略歴と既読本リスト

 

罪の境界

「人を殺した時点で人間ではなくなる。…少なくとも自分で人間だなんて語る資格はない」

「一線を越えてしまった〇〇……の願いを聞いてやるわけにはいかない。それが〇〇がとるべき最後の責任なんだ」

 

人の死は二度ある。一度目は肉体そのものの死で、二度目は人々の記憶から忘れ去られることだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「菜な」でランチ

2023年08月09日 | 食べ物

 

久しぶりの銀座線渋谷駅。天井の形が独特。

 

子供の頃から慣れ親しんだ渋谷駅だが、最近はランチ処もおなじみがない。

歩き回るのもいやだと、井の頭線に近くて、レストランが並ぶマークシティ4Fのアベニュー通りに行った。12時半過ぎなので、行列ができている店が多い。パスして、しばらく行くと、「京都のおばんざいと旬の素材を活かした炙り焼きを中心に、京モダンのシンプルな和の空間」とうたう「菜な」という店があった。一組待っているだけなので、この店にする。

 

 

入ると値段も雰囲気も気軽で、新しそうなきれいな店だった。

私は、「本日のおすすめ御膳」(\1,250)に、相方に対抗してコーヒー(¥250)を付ける。

おばん菜3種、メインは鶏肉、白米、赤だし味噌汁、お漬物。

パサつかない鶏肉や、お久しぶりの赤だしがおいしい。

 

 

多くの小皿が並ぶのが好きな相方は「ゆばと豆腐の豆皿御膳」(\2,750)。

豆皿8種、主菜はローストビーフ、白米、赤出味噌汁、わらび餅、コーヒー

いかにも女性好みのメニューだ。

私にまわってきたのは、ローストビーフとカツオの一切れと、海藻の小皿だけ。

美味しくいただいけたようで、私めも満足です、はい。

 

最近は渋谷まで出ることも少ないが、この店、候補に取り立てようぞ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

防衛費増額はクラウドファンディングで

2023年08月08日 | 政治

 

中味の議論もなく、国民への必要性の説得もなく、防衛費の増加額だけが決まっていうように見える。

そして、反対を、票の減少を恐れて増税は避け、NTT株売却など新たな財源探しが始まっている。

 

そこで、今はやりのクラウドファンディングで金を集めることを提案したい。

防衛費増額が必須と考える方々は金額の多少にかかわらず寄付するのではないだろうか。

他のクラウドファンディングでも、そうなのだが、意外と驚くほど集まるかも?

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする