hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

老い支度?

2010年09月26日 | 日記
このごろわが家で流行るもの。
パートナーに何かしてもらった時にお礼を言う。
「どなた様かは存じませんが、ご親切に」
ボケてもこれだけは言えるようにと日々訓練にいそしんでいる。
まあ、こんなことやっているようでは、まだまだ俗気が抜けてない。



だいぶ前からだが、右手が効かなくなったときのために左手でも大抵のことができるようにしている。例えば、左手で歯を磨く、字を書く、箸を使うなどだ。
しかし、先日手術して左手に力が入れられない時に、何事にも両手が使えないと不便なことが多いとあらためて気がついた。例えば、電気ヒゲ剃りを右手で持って、ヒゲは剃れることは剃れる。しかし、左手で肌を伸ばしたり、剃れぐわいを左手で確認すれば、よりきれいに剃れる。
やはり、両手はパートナーで、ちょっとした支えであっても、必須なものなのだ。夫婦のように。



今日午後にサンフランシスコに発つ。パソコン持参なので、10月1日まで、多分ときどきはご報告できると思う。

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三浦しをん「天国旅行」を読む

2010年09月25日 | 読書2

三浦しをん著「天国旅行」2010年3月、新潮社発行、を読んだ。

心中をテーマにした8編の短編集。
宣伝はこうだ。

もう一度、立ち止まり、君と問いたい。そこは楽園なのかと――富士の樹海に現れた男の導き、命を賭けて結ばれた妻への遺言、前世の縁を信じ込む女の黒い夢、死後の彼女と暮らす若者の迷い、一家心中で生き残った男の決意……この世とあの世の境目で浮かび上がる、愛と生の実像。光と望みが射し込む、文句なしの傑作短篇集。



森の奥:富士の樹海をさまようおっさんと、突然現れたサバイバル男

遺言:純愛を貫いた妻への遺言

初盆の客:タバコを吸って肺がんになり、食をたって死んだ祖母には秘められた過去があった。

君は夜:夜は夢のなかで浪人の妻として生々しく暮らし、昼間は高校生の少女は、やがて東京に出て、妻子を持つ男との前世を信じてのめりこむ。

炎:桁違いの秀才高校生の彼女は、屋上に立って死を駆け引きの道具にする。

星くずドライブ:霊が見える青年が死んでしまった彼女と暮らす。

SINK:一家心中の生き残りの彼は最後の母の想いを汲み取れるのか。

初出は、小説新潮の2008年6月号から2009年8月号



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

心中物ではあるが、必ずしも暗いばかりではない。笑いこそないが、最後に到るまでにやさしく温かいものが感じられる話が多い。後味が悪いのは「炎」だけだ。「SINK」には、
ボーイズ・ラブも漂い、著者の密かに愛読しているという成果なのだろう。



三浦しをんの略歴と既読本リスト



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三浦しをん「まほろ駅前番外地」を読む

2010年09月23日 | 読書2

大げさに騒いだのに、たいしたことありませんでした。筋膜が炎症しコブができる結節性筋膜炎という珍しいが、腫瘍ではないものでした。抜糸は25日で、翌日サンフランシスコへ発ち、1日には帰国という日程ですが、問題ないでしょう。



三浦しをん著「まほろ駅前番外地」2009年10月、文藝春秋発行、を読んだ。

宣伝文句はこうだ。

多田・行天コンビが主人公の人気シリーズ『まほろ駅前多田便利軒』のパート2は“番外地”と銘打って、多田・行天の物語3篇に加え、本篇の脇役が主人公となる短篇4篇を収録。若き地元ヤクザ星良一、生意気小学生の田村由良のほか、意外な人物もフィーチャーされます。・・・



直木賞受賞作『まほろ駅前多田便利軒』の続編で、我が子を失い、夫婦の絆を失った多田と、少年時代に謎の闇を抱える行天(ぎょうてん)は、便利屋稼業でさまざまなへんてこりんな依頼をなんとかこなすうちに、自分たちの厳しい過去が顔を出す。


Walkerplusのエンタメに本書に関する三浦さんへのインタビュー記事が載っている。

「作品の舞台となる“まほろ市”とは、実は作者が暮らす町田市がモデル。」とは愛読者の常識だが、三浦さんはこう語る。

「前作を書き終えた時、多田はそれなりに幸せそうだけど、行天はどうなっちゃうの、ということが我ながら気になったんですね。それで、これまで続編というものを書いたことはなかったけど、連載を再開しました。・・・シリーズとしてはさら
に、行天の抱える問題が解決するまで続けたいですね」。


(是非お願いしたい)

「多田と行天には、年齢的に無限の希望も可能性もないし、家族という安定した居場所もない。つまりそれは私自身なんです。むしろ、多田に嫉妬することすらありますね。いいな、1回は結婚したんだから、みたいな(笑)。でも“まほろ”では、そういう状態からの幸福の再生というものを描いていきたいです」。



歳を経た岡夫人は夫婦について思う。

男女や夫婦や家族といった言葉を超えて、ただなんとなく、大事だと感じる気持ち。とても低温だがしぶとく持続する、静かな祈りにも似た境地。
諦めと惰性と使命感とほんの少しのあたたかさ。・・・


(一度も結婚したことない(失礼)三浦さんにどうして長年連れ添った夫婦のことがわかるのだろう)

初出:別冊文藝春秋274~280号



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

多田と行天もそうだが、出てくる人物のキャラが立っていて面白い。昔は原節子ばりだと主張する曾根田のばあちゃんの昔話、バスの間引き運転の証拠探しを依頼する頑固な岡老人、強面のヤクザなのに20歳という星、多田が惚れてしまった外食チェーン女社長など多士多彩な人々が加わり、面白くないわけがない。前作なしでも楽しめるが、前作を読んでいれば、おなじみの仲間たちに新メンバーが加わり、さらにバラエティを増して、苦笑とぬくもりが織り込まれた話に引き込まれていく。

前作同様、行天の変わり者ぶりと、人のよい多田の持て余しぶりが面白いが、傍若無人で醒めた彼が、突然キレて暴れるシーンがあり、秘めた過去を推測し、このままでいて欲しいのだが、なんとかもう少し、ちょっとだけはまともになって欲しくもなった。

三浦しをんの略歴と既読本リスト







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人生2回目の手術

2010年09月19日 | 個人的記録
先日、人生2回目の手術を受けた。突然、多分2週間ぐらいで、肘と手首の間にコブが出現したのだ。直径は3 cmほどで、いやちょっとオーバーで実際は2.5 cmで、盛り上がっていて押すと固い。



かかりつけ医に行ったついでに相談すると、「皮膚科で見てもらったら」と言われ、町の皮膚科医院に行ったら、検査や手術ができる総合病院を紹介された。
総合病院の皮膚科の医者は、「2週間くらいでこんなに大きくなって、しかも硬い。何が出来たのか、切って取り出してみないと分からない。一部とりだしても良いが、まあ、全部とりましょうか」という。

数日後、手術した。コブのまわりを丸く切っていくわけではなく、腕に沿って縦の楕円形、というより二つの円が1/3ほど重なった部分の形(理工系のしつこく、意味なく正確な言い方)で皮膚を切って、コブを取り出すという。
死刑台、いやベッドに寝て、腕の下にはシーツを敷き、横たわる。TVドラマの手術シーンで見たような該当部分だけ穴が空いた白い丈夫そうな布を腕にかける。体を起こさないと手術の様子は見えないが、じゃまになってもいけないので、じっと横になっている。
コブのまわりに麻酔注射を何回も打つていく。少し痛い程度だ。メスで皮膚を切り裂く(らしい)。多少、チクチクし、圧迫感があるだけで、ほとんどと何も感じないといってよい。

ただ、この医者、よくぼやく。
「硬いな!」「ウーン、境目が分からない。どこまでだ?」
小声で、「大丈夫、大丈夫」。いったい、何が大丈夫なの?。
そのうち、「おっと深く入った」と言ったかと思ったら、かなりの痛みが来た。
「先生、痛いんですが」というと、
「ちょっと深く入ったからね。麻酔うちましょう。まだ、5ccしか使ってないからね」
心配になって、先生が道具を取るため後ろを向いている隙に起き上がってみたら、真っ赤な円が見えるだけで、詳しい様子は見えなかった。

ようやく終わったと思ったら、これから縫うという。まず、筋肉の部分を縫いあわせて、左右を多少寄せてから、次に皮膚を縫って傷口をふさぐらしい。筋肉の部分に使う糸は自然に溶けるので抜糸の必要はないという。

ときどきチクリと痛い程度だったが、約1時間かかる大手術(?)だった。傷口を消毒し、化膿止めを縫り、ガーゼを当ててテープをする。二日後に来て傷口を見て、あとは自分で毎日消毒し、7日から10日後に抜糸をするという。
切除したものの検査結果は抜糸のときに知らされるので、現在は不明。私自身は、急激に大きくなったことから、リンパ系の癌細胞で既に全身に転移しているのではと思っている。
このブログ、突然中止になったら、ああ、やっぱりと思っていただきたい。

さて、縫い合わせた傷口だが、グロい写真なので、以下、どうしても見たい人は心の準備をしてから見てください。

















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人生初めての手術

2010年09月18日 | 個人的記録

初めて受けた手術は、50代のころの巻き爪の手術だ。
巻き爪とは足の爪、とくに親指が多いのだが、左端あるいは右端が巻き込む形となり、ひどくなると陥入爪といって皮膚に食い込み、炎症を起こす。
私は、右足親爪の左端が丸まってきたので、爪の角をどんどん短く切っていたのだが、それによってよけい巻き爪がひどくなったらしい。肉に食い込んで痛くなったので、外科に行った。

医者は、「これは切った方がいいね」「まあ、切ってもまた元の所から生えてくるからね」と言って、次回爪の左側を1/3位、元の所から切除するという。

当日、注意されたとおりサンダルを履いて行くと、初めての手術(?)に心構えもできないうちに、さっそくベッドに寝かされた。看護師さんは「では、麻酔しますから」と簡単にいう。
「え? 麻酔? 全身麻酔ですか? 」と聞いたら、看護師さんは一瞬変な顔をして、すっとドアから出て行った。すぐに、4、5人の看護師さんを連れてきて、笑いながら言った。
「この人、『足の爪を切除するので麻酔します』って言ったら、『全身麻酔ですか?』だって」「え! 全身麻酔?」と言って、みんなで笑った。

出産前提の女性と違い、もともと男性は、繊細で、痛みに弱くできているのだ。原始の時代から男は家族を守ために戦い好きに造られていて、しかも、傷を負ったらそれ以上深手を負って再起不能にならないように、痛みを強く感じるようにできていると信じられている。というか、信じているのは私だけだが。

足の親指に包帯をグルグル巻きにして、サンダルを履いて通勤電車に乗った。電車が揺れるたびに、周囲の人に足の親指をぎゅーと踏まれることを想像して、体に震えがきた。
ミュールのように親指をむき出しにして電車に乗っている女の人がいるが、それでも平気な顔をしていられるのはなぜだろう。敏感で繊細な男性には考えられない。



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乾ルカ「あの日にかえりたい」を読む

2010年09月15日 | 読書2
乾ルカ著「あの日にかえりたい」2010年5月、実業之日本社、発行を読んだ。

北海道を舞台に、時を超え「あの日」へ帰る人びとの、小さな奇跡と一滴の希望を描く、どれも死の気配が色濃く漂う感動の6篇。2010年の直木賞候補作だ。

真夜中の動物園
いじめられっ子の僕は、お父さんとお母さんに成績が悪く怒られて、夜、家を出た。動物園のフェンスの破れから中に入り、飼育係のおじさんに会う。やさしいが、帽子のツバで顔が隠れていて、何か不思議なおじさんとのひと夏の交流。実際は寂れた動物園が、夢?の中では、「ほっきょくぐまの島」「ぺんぎんの遊び場」など楽しい場所になっている。モデルは旭山動物園だ。

(かけ)る少年
小学生の元(はじめ)は地震に遭い、お父さんと新しいお母さんと山へ逃げる。しかし、気がつくと、公園でおばさんに出会い、おでこの傷の手当をしてもらい、麦茶やちらし寿司をもらい将棋をする。この地震は、奥尻島を中心にした北海道南西沖地震で、実際、津波で大きな被害を出した。
(元と義母が時を経て、時を越えて初めて気持ちが通じ合うなかなかいい話だ。)

あの日にかえりたい
「わたし」はボランティアで施設に来るが、なぜか孤独な80歳の老人は、彼女だけには心を開いた。彼は、一発逆転を狙い続け、よく出来た妻に迷惑かけどうしだったことを悔いている。老人は「できることなら、俺はあの日に帰りたい。帰りたいんだ。帰って女房を・・・」とつぶやく。なぜ、彼は彼女だけに心を開いたか。

へび玉
仲良しの高校ソフトボール部の5人は最後に花火を楽しみ、15年後に同じ場所で花火をしようと約束した。今は冴えない生活を送っている由紀恵は花火を持って、誰も来ないだろうその場所へ向った。再会した4人は・・・。

did not finish
子どもの時に大人にほめられた言葉を信じて、競技スキーに人生を賭け、今は落ち目のダウンヒル・プロスキーヤー。しまったと思った時にはコースアウトし木立に激突する。過去のことが次々と思い出される。
滑降競技についてやけに詳しくこの著者は競技スキーをやっていたのかと思ったが、巻末にアルペンスキーのテクニックに関する本があげられていた。

夜あるく
札幌に転勤した亜希子は満開のハクモクレンのもとで、帽子をかぶった老女と出会う。老女はかって生徒の自殺から意欲を失った教師であったとき、モクレンの下で腕が血まみれの少女に出会う。少女は言う。「おばさん、気づいていないの?」「ここがどこか。」・・・「そうか、おばさんは自分から来たんじゃないから、分からないんだ」
「おばさんは、生きてて良かったって思ったことあるんですか?」と聞かれ、一度だってなかったのに、思わず反射的に答える。「トランプだって、伏せられたカードが配られているときが一番わくわくするでしょう?」「保証がないから、分からないからこそ、明日までいきてみるのもいいんじゃないかしら。」



初出は、「夜 あるく」が書き下ろしだが、他5編は月刊誌「ジェイノベル」に掲載。

実業之日本社のHPに乾ルカが「私にとって『あの日』」として、デビューするまでの話、この短編集をまとめるまでの苦しみを書いている。

収録されている短篇は、いずれも北海道が舞台となっている。なおかつ『広い意味でのタイムトラベル的な要素』が加味されている。
 なぜそういうことになったかというと、ジェイノベルに掲載していただいた一作目が、たまたまそのようなテイストを含んだ内容だったからである。いずれ単行本化するときに・・・、各作品に共通する設定的なものがあったほうがいい、と担当編集者からアドバイスされたのだ。




乾ルカ(いぬい・るか)
1970年札幌市生まれ。銀行員や官庁の臨時職員を経て、
2006年「夏光」でオール讀物新人賞受賞
2007年短編集『夏光』で単行本デビュー
2010年本書『あの日にかえりたい』で直木賞候補
ほかにホラー長編『プロメテウスの涙』、連作短編集『メグル』
産経ニュースでの著者インタビューによると、
ペンネームは犬好きで「家にいぬ(犬)がいるから」つけた。
1年前、勤め先が業績悪化で「雇い止め」となり、ハローワークでの職探しに苦しんだ。「でも、ありがたいことに今年はなんとか(ペンだけで)食べていけてます」




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

一つ一つの話は工夫されていて、面白いのだが、著者が言うように、どれも「『広い意味でのタイムトラベル的な要素』が加味されている」となると、読み始めてすぐ、これも何何なんじゃないかと疑ってしまう。

暗い話が多く、ネクラの私は、過去と真正面から向きあうということは、後悔から暗い話にならざるを得ないのではと思ってしまう。しかし、闇の中にかすかな光が見える話が多く、ほっとする。

直木賞候補作というと、著者自身も言うように、ウ??、となってしまうが、才能あることは間違いない。売り出す新人女性作家に必須の美人顔でもあるし。



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阿佐ヶ谷 神明宮へ

2010年09月13日 | 日記

所用があり阿佐ヶ谷駅で降りた。中央線で何千回となく阿佐ヶ谷駅を通過したが、降りるのは初めてだ。駅の北口はどこにでもある駅前の風景だが、南口正面にはどでかい水道局の建物が壁になって、駅前一等地を占拠していた。



用を済ませてから北口数分の阿佐ヶ谷・神明宮へ参拝した。



大鳥居をくぐり、左に社務所、右に能楽殿を見て、正面の瑞祥門(神門)を見る。ひろびろしてなかなか立派な神社だ。



昨年の再整備にお金を出した人がたくさん。



門を入ると左に祈祷殿、前方に拝殿がある。



拝殿から、お賽銭箱越しに本殿が見える。小銭を投げ入れて二拝二拍手一拝する。



瑞祥門を出ると、看板に厄年の表がある。幸い私はどれも該当しないが、あなたは?



「世界人類が平和でありますように」と書いた柱が境内にあった。



ところどころに見かける柱で、新興宗教のものと思っていたが、調べてみると、もともとは新興宗教だが、ピースポールといって宗教を超越した(?)存在になっているらしい。裏側にはラテン語?で書いてあった。
大鳥居に向かう途中、和服の花嫁、花婿とすれ違った。堂々と歩いてくる花婿がいかにも怖い人なので、通り過ぎてから、後姿をパチリ。



3人だけの神前結婚とはオツデスネ。
駅への帰り道、通りの左側が大きな木の森になっている。看板には杉並区の保存樹林(けやき他)とある。



広大な個人の屋敷のようで、この門から品の良いご夫人が出てきた。



維持ご苦労様です。
阿佐ヶ谷もなかなか良い町でした。







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道尾秀介「月の恋人」を読む

2010年09月12日 | 読書2


道尾秀介著「月の恋人~Moon Lovers~」2010年5月、新潮社発行、を読んだ。

葉月蓮介はインテリアメーカー「レゴリス」を創業し、冷徹な手段で若くして急成長させた。ケチケチな節約生活を続けた派遣社員の椋森弥生(むくもりやよい)は、思い切って贅沢をしようと上海にやってくるが、節約癖が出て、安宿に泊まってしまう。そんな彼女が蓮介と出会い、最初は言い合いしながらも徐々に運命が変っていく。一方、「レゴリス」が買収した中国の家具工場の工員だった美女リュウ・シュウメイは父を頼って日本へ渡る。

今上り調子の道尾秀介がTVドラマのために原作を書き下ろし、それをもとに連ドラを制作、そのドラマと同時期に原作本を刊行という変わった試みをした。TVドラマは、同じ題名で、2010年5月10日から7月5日まで月9枠でとして放送された。主演は木村拓哉だが、女性主人公は原作と違っているので、フジテレビの月の恋人のあらすじ を読むと、混乱する。


著者はあとがきで、こう述べている。

舞台となる場所、登場人物や、彼らの背景にあるもの、あるいはストーリー自体に対してテレビ局側からの様々な希望や制約があり、なかなか大変な仕事でしたが、・・・ドラマ制作の過程でいろいろと都合が生じ、最終的にこの本とドラマ版はかなり内容の違うものとなりました。とくにヒロインの人物像が大きく異なっていますが、これはどちらが本当というわけではありません。





私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

道尾さんがあとがきで、

普段と違う物語のカラーを自分自身で楽しみながら書けましたし、読み返すときは、まるで誰か別の作家の小説でも読んでいるように素直に物語を楽しめました。


と語っている。
ラブロマンスは数限りなくあり、よほど変っているものなら別だが、TVドラマ向けなど道尾さんが何も書かなくても良いのではと思ってしまう。

冷徹な蓮介がときおり考えるという。「もしあの日、小学校から真っ直ぐに帰宅していたら、いまの自分はどんな人間だったろう。」最初の方に出てきたこの秘密、「来ました来ました! お得意の暗い秘密!」と思ったが、結局拍子抜け。

どうも、私は、道尾さんのちょっとした小道具の方に気を惹かれる。

10円玉を並べて何に見えるかという遊び。真ん中に手裏剣みたいな隙間を空けて10円玉を4枚並べる。最初に出てくる、この話、エッセイ集『プロムナード』にも出てくるが、最後の方にまた別の形に見えるということでキーイメージという扱いになっている。

おじいさんが、小さな弥生にゲームでわざと負ける話をして、「わざと相手を喜ばせるなんで、ずるいと思ったんです。馬鹿にしていると思ったんです」という弥生。「単に、もっとずっと、近づきたかったんだと思うぞ。勝ち負けじゃなくて」と葉月蓮介は言う。

蓮介と弥生が線香花火をやるシーンがしみじみして、いかにもドラマ的でなかなか良い。これも私には、先に「玉」ができる牡丹、玉が激しく火花を発する松葉、火花が低調になる柳、消える直前の散り菊と各段階に名前がついているという豆知識の方が面白かった。

蓮介の会社「レゴリス」という名前は、レゴのリスではなく、月の表面全体を覆う砂のことだという。

針葉樹は一年に一度、幹から枝を横に伸ばす。横に伸びた枝の数を数えると歳がわかる。本当?

中国人シュウメイさんが面白い中国語を教えてくれる。「愛人」は配偶者のこと。「娘」はお母さん、「老婆」は奥さん、「丈夫」は主人、「汽車」が自動車で、「麻雀」がスズメ。そして、書いて出す「手紙」は、出してから使うトイレットペーパー??



道尾秀介の略歴と既読本リスト


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小川有里「負けるな姑!嫁怪獣に喰われるな」を読む

2010年09月11日 | 読書2

小川有里著「負けるな姑!嫁怪獣(ヨメサウルス)に喰われるな」2009年4月、講談社、発行を読んだ。

著者は最近の嫁を「嫁怪獣(ヨメサウルス)」と呼び、なんにも怖いものがない傍若無人ぶりの事例を、姑よりの立場で紹介している。極端とも思える事例は、今時の嫁のすさまじいわがままぶりを示し、一方で小さくなっている姑の姿を描いている。

もらうものだけはしっかり受け取り、顔も見せない嫁、逆に気をつかって卑屈になる姑。「甘えちゃっていいですかぁ~」と何から何まで姑にやらせる嫁。
ワガママでなめきった嫁、小さくなっている姑の話が延々と100ページあり、ちょっと逆襲した姑の話が70ページほど続く。

なんでここまで嫁が強くなったかというと、いつでも帰ってこいという嫁の親がいて、離婚が怖くない時代になったことがある。さらに、旦那は弱く、嫁の言いなりだ。そう育てたのは姑なのだが。

著者は、お金は将来の自分のために持っていることを強調する。
また、どうしても同居せざるを得なくなったときの、嫁の理想の姑はこんなだという。
○何か世話してくれたときなど、ちょこちょこお金をくれること
○「これはこうするものだよ」など言わず、嫁のやり方に素直に従うこと
○「ありがとう」を必ず言うこと
○嫁をさんづけで呼ぶこと
また、一週間のおためし同居を勧める。



小川有里は、1946年,高知県生れ。介護雑誌などのライターを経てエッセイスト。女性(特におばさん)、夫婦、家族、育児、社会現象などをテーマに新聞、雑誌にエッセイーを連載。
著書に、『定年ちいぱっぱー二人はツライよ』『定年オヤジのしつけ方』など。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

わがままな嫁の話が延々と続き、うんざり。「帰省しても、嫁は実家に泊まり、夫が泊まる婚家には絶対泊まらない。」など中には、私には当然というか、その方が良いじゃないかと思う例も散見する。著者は「息子は嫁にくれてやったと思え」という言葉に感心するが、男親で、息子でもある私から見れば当然だ。別な家庭を築いたのだから。

巻末に、「ヨメサウルスの咆哮(ほうこう)」をお寄せください」とあり、嫁側のあんな、こんな言い分を出版社宛にお送りくださいと呼びかけている。著者は、「定年オヤジのしつけ方」でもっとも弱い定年後の亭主で儲け、この本でその妻、そして今度は最強の嫁でまた儲けるつもりのようだ。上には上がいる。



<目次>
まえがき
第1章 嫁は強し
第2章 姑よ、なんでそこまで気を遣う
第3章 姑の逆襲
第4章 出過ぎる姑は打たれる
第5章 嫁と姑の新時代
あとがきにかえて





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夏川草介『神様のカルテ』を読む

2010年09月09日 | 読書2

夏川草介著『神様のカルテ』2009年9月、小学館発行、を読んだ。

小学館のこの本の宣伝にはこうある。

栗原一止は信州の小さな病院で働く、悲しむことが苦手な内科医である。ここでは常に医師が不足している。専門ではない分野の診療をするのも日常茶飯事なら、睡眠を三日取れないことも日常茶飯事だ。
そんな栗原に、母校の医局から誘いの声がかかる。大学に戻れば、休みも増え愛する妻と過ごす時間が増える。最先端の医療を学ぶこともできる。だが、大学病院や大病院に「手遅れ」と見放された患者たちと、精一杯向き合う医者がいてもいいのではないか。
悩む一止の背中を押してくれたのは、高齢の癌患者・安曇さんからの思いがけない贈り物だった。



夏目漱石を敬愛するため文語調の言い回しする変人医師栗原が、心のやさしさをテレで隠す彼をよくイメージさせる。主人公栗原は(著者も)地味な内科医で、医療現場にリアリティがあり、地域医療の問題点がはっきり描かれている。しかし、高度医療などを誇る医療小説ではなく、力点は(ちょっと甘いが)人間ドラマにある。

本書は第10回小学館文庫小説賞受賞作を改題し大幅改稿を行ったもの。



夏川草介(なつかわ・そうすけ)の略歴と既読本リスト


">「あらたにす」の「著者に聞く」でのインタビューを読むと、TVも新聞も読まないし、最近の小説は読まないので一番 新しい作家は文芸評論家の小林秀雄だという。本人は否定しているが、まちがいなく変人だ。

午前7時には病院に行き、帰宅は午後11時頃になる。それから食事をしながら酒を飲むのが楽しみ。「本を読むのは午前1時頃からですね」


(ご苦労さまです)



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

文学作品としては凡作だ。ユーモアある感動ものの三文小説だ。本屋大賞第二位で、2011年に櫻井翔、宮崎あおいで映画化されるという。ようするにそういう本だ(バカにした言い方)。あっという間に読めるのだが、年のせいでウルウルするがくやしい。

個性的で、キャラが立った登場人物ばかりで読んでいてご機嫌なのだが、ただ一人、性格が良くて可愛く、明るくやさしい天使のような奥さんのハルが現実味に乏しい。こんな女性は世界に一人しかいないはずだ??


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梨木香歩「春になったら苺を摘みに」を読む

2010年09月08日 | 読書2
梨木香歩著「春になったら苺を摘みに」新潮文庫2006年3月、新潮社発行、を読んだ。

梨木さんが20年前の学生のときに英国留学で下宿したウェスト夫人とのその後の交流を中心としたエッセイだ。ウェスト夫人は、クウェーカー教徒で、色々な国のさまざまな人を引き受け、彼らが引き起こすトラブルにため息をつき、頭を抱えながらも、彼らを理解はできないが受け容れる。

梨木さんが愛する英国の美しく、ほっとする自然についても書かれている。
カレンダー的美しさだったらスイスに行けば充分堪能できるだろう。澄んだ明るさだったらカナダや北欧で浸ることができる。だかなんだろう、このもの悲しさ、廃れていくものの美しさ、胸を絞めつけてくるような懐かしさ・・・。


しかし、メインテーマは、梨木さんが知り合ったいずれも個性的な人々の考え方、生き方だ。

地元のグラマースクールの教師で、トラブルを抱えている人を全力で救おうとするジョー。小切手帳を盗んで音信不通になっていたボーイフレンドが突然舞い戻ってきて、またも問題を起こす。ジョーは職場を捨ててその彼と共に出て行く。彼女は言うだろう「・・・人間にはどこまでも巻き込まれていこうと、意思する権利もあるのよ。」と

ドリスは子守としてなんと八歳の頃からウェスト家に奉公にきていた。それから八十八で死ぬまでずっと独身でウェスト家にいた。

その他、戦時中に有無を言わさず強制的に収容された日系の人々の残酷、無残な話、夫人の下宿に寄留していた誇り高きナイジェリア人の家族の武勇伝、「赤毛のアン」シリーズを書いたモンゴメリの人種偏見など興味深い話がある。
そして、ニューヨークに住むウェスト夫人の息子の家で過ごした家族ぐるみのクリスマスの楽しい思い出。



エッセイのタイトルは、最近のウエスト夫人からの手紙の文章から採られている。

 いつものように、ドライブにも行きましょう。春になったら、苺を摘みに。それから水仙やブルーベルが咲き乱れる、あの川べりに。きっとまた、カモの雛たちが走り回っているわ。私たちはまたパンくずを持って親になった去年の雛たちの子どもたちにあげるのよ。私たちはそういうことを毎年続けてきたのです。毎年続けていくのです・・・。


この作品は2002年2月新潮社より刊行されたものの文庫版。「五年後に」は文庫版のための書下ろし。



梨木香歩は、1959年生れ。鹿児島出身。児童文学者、絵本作家、小説家。英国に留学し、児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事。
『西の魔女が死んだ』で日本児童文芸家協会新人賞、小学館文学賞などを受賞
『裏庭』で児童文学ファンタジー大賞受賞
『沼地のある森を抜けて』でセンス・オブ・ジェンダー大賞、紫式部文学賞を受賞



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

全体に金持ちの話で、生活に困るレベルの話が出てこないのは気になるが、個性の強い諸外国の人々の話は面白い。梨木さんのすべてを受け入れようとするやさしい気持ちにもほっとする。

英米などでは、互いに強く自己主張し、認められるところは認め、どうしても合わないところはとりあえずそのまま受け容れる。それが、人種が混じり合う社会の理想の考え方になっている。日本では、心に不満を抱えたままで、自分を殺して相手に合わせる「なあなあ」主義が協調性とされている。まだまだ、そんな文化が残っている。私の嫌いな皆んなに合わせる集団主義がその中心にあると思う。

英米人は、皿を洗っても、体を洗っても濯ぐことはなく、そのまま拭きとるのだ。そのことを、ギリシャから来た人が梨木さんと一緒になって、文明的でないと、ウエスト夫人をからかう。夫人はかみつくように(わざと)怒鳴る。「拭きとるのよ! それでおしまい! それが何か! 」



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アゴタ・クリストフ『どちらでもいい』を読む

2010年09月06日 | 読書2
アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳『どちらでもいい』2006年9月、早川書房発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
夫が死に至るまでの、信じられないような顛末を語る妻の姿が滑稽な「斧」。廃駅にて、もはや来ることのない列車を待ち続ける老人の物語「北部行きの列車」。まだ見ぬ家族から、初めて手紙をもらった孤児の落胆を描く「郵便受け」。見知らぬ女と会う約束をした男が待ち合わせ場所で経験する悲劇「間違い電話」。さらには、まるで著者自身の無関心を表わすかのような表題作「どちらでもいい」など、アゴタ・クリストフが長年にわたって書きためた全25篇を収録。祖国を離れ、“敵語”で物語を紡ぐ著者の喪失と絶望が色濃く刻まれた異色の短篇集。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

希望のない絶望の中でわけのわからない不条理の世界が25編の短編、またはショートショートとして繰り返される。訳者もあとがきで、完成度の低い作品が含まれているとはっきり書いているように習作のレベルのものも多い。読んでも読まなくても「どちらでもいい」。

ぱらりとめくったところを引用すると、こうだ。
あるクラスメートのことを憶えている。彼は非常に巧妙で、私たちの生物の先生の背後に音もなく忍び寄り、そして先生の脊柱に手を突っ込んだかと思うと、先生の神経細胞をするりと抜き取って,私たち皆に配ったのだ。
神経を原材料にすると、かなりの物を製作することが可能だった。例えば楽器だ。・・・


「訳者あとがき」によれば、アゴタ・クリストフ自身、『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』三部作にまさる作品はもう書けないと言っていて、年齢や体調を考えるともはや新作が出ることは期待できないという。それならばと、過去のノートに埋もれていた習作のたぐい集めた本を翻訳したのがこの本だ。

「訳者あとがき」にこうあった。
アゴタ・クルストフは言葉に色を付けない。文章の中でも、生の会話のときも、彼女の言葉は徹頭徹尾、モノクロームだ。

本当にそうだ。だから短編では無理がある。言葉を連ね、嘘を重ねて架空の世界を現実と思わせるには長編でないと。



アゴタ・クリストフ Agota Kristofは、1935年ハンガリー生れ。
1956年のハンガリー動乱のときに、夫と生後4ヶ月の乳児を連れて、オーストリア経由で亡命した。以来、スイスのフランス語圏のヌーシャテル市に在住している。
1986年『悪童日記』で衝撃の文壇デビュー
1988年『ふたりの証拠』
1991年『第三の嘘』
1994年戯曲集『怪物』
1995年『昨日』
1995年戯曲集『伝染病』
2005年『どちらでもいい』
2006年自伝『文盲』

訳者、堀茂樹は、1952年滋賀県大津市生れ。フランス文学者、翻訳家、慶応義塾大学教授。訳書多数。アゴタ・クリストフのほぼすべての作品の翻訳をしている


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アゴタ・クリストフ『昨日』を読む

2010年09月05日 | 読書2
アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳『昨日』1995年11月、早川書房発行、を読んだ。

私が今まででもっとも衝撃を受けた小説は、アゴタ・クリストフの『悪童日記』(1986年)だ。『ふたりの証拠』(1988年)『第三の嘘』(1991年)と続く三部作に、自分の内に隠れていた別世界を目の前にくっきりと見せつけられたような気がしたものだ。その後、彼女の次作を待ち望んだが、戯曲集『怪物』(1994年)『伝染病』(1995年)はまったく肌に合わず、途中で投げ出した。以来、三部作を大切に心にしまっておくため以後の彼女の作品は読んでいなかった。今回、図書館の棚でアゴタ・クリストフの名を見て、もうそろそろ良いかと、彼女の長編第4作『昨日』を手にとった。

ハンガリー(多分)の村に父の分からない娼婦の子として生まれたトビアスは、小学校教師の娘リーヌがただ一人の友人だった。彼は12歳で事件を起こし、国境を超える。彼は別名を名乗り、寄宿学校を出ると、時計工場で働く。ヨランダという彼女もできるが、空想の女性をリーヌと呼び愛する。そして、夜は亡命先の国の言葉(フランス語)で書く。

全編、空想的で、文章は詩的だ。そして、なによりも、絶望と孤独の背景の中で物語は続く。三部作は終始、傍観者の立場で語られていて、それが逆にすさまじい現実を際立たせていたが、本作品は心理描写もあり、読者は主人公の孤独や諦めの気持ちに多少寄り添うことができる。
以下、ネタバレぎみなので、白文字で書く。読みたい人はカーソルで選択してください。
最後は何事もなかったかのような平和な日常生活の記述と、「私はもはや書いていない。」という言葉で終わる。しかし、それは絶望と孤独が永遠に続き、それでも生き続けていくことを意味しているのだろう。

巻末にアゴタ・クリストフの「母語と敵語」と題する来日記念講演が収録されている。
21歳でフランス語を話しはじめ、30年話し、20年書いていて、いまだに習熟できず、辞書をたびたび参照するという。また、亡命時のなまなましい経験を語っている。亡命先での生活も安全ではあるが孤独だった。亡命者のうち、2名が禁固刑が待つ母国へ帰り、2名が米国、カナダへ、そして4名が自ら命を絶った。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

変わった小説だから、読んで面白いというわけにはいかない。しかし、三部作を読んで感心した人なら興味深く読めるだろうし、多くの人は待ちきれずにもう既に読んでしまったに違いない。



アゴタ・クリストフは、1935年ハンガリー生れ。1956年のハンガリー動乱のときに、夫と生後4ヶ月の乳児を連れて、オーストリア経由で亡命した。以来、スイスのフランス語圏のヌーシャテル市に在住している。
時計工場で働きながらフランス語を習得し、『悪童日記』で衝撃の文壇デビューを果たした。

訳者、堀茂樹は、1952年滋賀県大津市生れ。フランス文学者、翻訳家、慶応義塾大学教授。訳書多数。アゴタ・クリストフのすべての作品の翻訳をしている。


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道尾秀介『プロムナード』を読む

2010年09月03日 | 読書2

道尾秀介著『プロムナード』2010年5月,ポプラ社発行、を読んだ。

今をときめく道尾さんの初のエッセイ集。デビューから6年間に書き溜めた54編のエッセイに、17歳の時に描いた絵本と19歳の時に書いた戯曲を収録。

長年に書き溜めたものなので、内容は様々だが、道尾さんのいろんな面が見られるエピソードがたっぷり。自虐ネタも多く、笑える。

都筑道夫さんの『怪奇小説という題名の怪奇小説』を読み、衝撃を受けて、その日のうちに道夫秀介というペンネームで小説を書くことに決めた。作家になって都筑さんにあいさつすることを夢見て、デビュー作の最終章を書いているときに、都筑さんの訃報を知った。

高校一年の時、金髪ロン毛に破れたジーンズ、腕には文字が彫ってあり、耳に安全ピン。こんな彼が好きな女の子にプレゼントしたのが、お手製の押し花のしおり。おとなしい彼女は、受け取ったというが、脅迫に近かった。その後の顛末も含め、イタタタ。

10円玉を並べて何に見えるかという遊び。真ん中に手裏剣みたいな隙間を空けて10円玉を4枚並べる。5歳の子供の問題に感心してしまう話が良い。この話、道尾さん原作で話題の月9の「月の恋人」に出てくるらしいのだが。

第Ⅰ章、第Ⅲ章は、日経新聞「プロムナード」にて連載、他は各種雑誌に掲載したエッセイを集めている。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

人がよく、ズッコケの道尾さんの人柄がわかる楽しい話が多い。道尾ファンならなおのこと,そうでない人も読めばファンになる、というのは少しほめ過ぎか。さすがミステリー作家(道尾さんは文中でジャンルを決めつけられるのに猛然と抗議しているのだが)、話の展開ぐあいが見事だ。ただし、しみじみした情緒はない。

途中に挿入されている「緑色のうさぎの話」は、絵とか文字とか17歳にしては下手だが、ストーリー作りは巧さだ。このころから、ミステリー作家だった(まだ決めつけている)。



葬式などでとんでもない想像をして笑いそうになりこらえるのが大変になる癖があるという話が出てきた。
私の出たある葬式を思い出す。お経が長く、出席者が居眠り始めた。禅宗のお坊さんが突然、「喝」と大声を出して、皆が飛び上がらんばかりにびっくりした。また、あれは何というのだろうか、房のようにふあふあと広がる毛がついた棒をお坊さんが振り回していたが、突然、先端がローソクに触れて、火がついてチリチリと炎をあげた。皆、驚いて口をポカーンと開けた。お坊さん、少しも慌てず、手で握って火を消して、お経を続けた。さすが、修行者は違う。



道尾秀介の略歴と既読本リスト

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