hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

迎賓館 赤坂離宮本館を参観

2009年07月31日 | 行楽
7月29日、改修中のため4年ぶりの一般公開となる迎賓館・赤坂離宮本館を参観した。
奥様がインターネットで参観者募集を見つけて、往復はがきで申込み、抽選で当たったものだ。

迎賓館・赤坂離宮は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設され、1974年(昭和49年)3月に国賓などの迎賓施設として改修された。



四ッ谷駅赤坂口から四谷見附交差点方向に出て、外堀通りを南に行くと、正面外柵が見えてくる。正門の上部には16弁の菊花の御紋章があり、柵内外の左右には衛兵の小屋がある。道路の際のガードレールは抜けるようになっていて、賓客はこの正門から入る。



6月末に行ったヴェルサイユ宮殿などを模したというだけあって、外柵も似ている。ただし、ヴェルサイユは金ぴかだった。




柵のすきまからのぞくと、144本のクロマツを左右に配した道が本館北面正面の正式の玄関に続いている。



西門で受付と手荷物検査を受けて、入場する。建物はネオ・バロック様式で、4kmに渡る鉄道のレールを基礎に用いた鉄骨補強レンガ作りで、関東大震災にも耐えた。



左右の屋根の上には、「鸞」(らん)と呼ばれる架空の霊鳥、天穹(天球)と桐紋が見える。なお、桐紋(五七桐)は天皇家の副紋だが、菊の御紋のように天皇家専用ではないため、徳川家など広く用いられている。



正面左右の屋根の上には甲冑がある。




本館の西入口から入る。フランスで見たような?アールヌーボー風のひさし?がある。





本館入口を入り、円弧状の廊下を進み、2階へ階段を登る。廊下は真紅の絨毯が敷き詰められ、壁や天井は白一色だ。
館内は写真撮影ができないので、映像は、政府インターネットテレビの動画で紹介されている「迎賓館赤坂離宮 本館」をご覧あれ。


2階に上がると、まず彩鸞(さいらん)の間 だ。
白い天井と壁は、金箔が施された石膏の浮彫りで装飾され、10枚の鏡が並ぶ。それはそれは豪華。

花鳥(かちょう)の間
天井に描かれた36枚の鳥の絵、花や鳥が描かれている30枚の楕円形の七宝、欄間に張られたゴブラン織風綴織が見事で、良い仕事をしている。茶褐色のシオジ材で板張りした腰壁が落着いた雰囲気を出している。

朝日の間
壁の京都西陣の金華山織には見とれてしまった。床に敷かれた段通も淡い色合いで恐れ多いほどだ。

羽衣(はごろも)の間
正面の中2階には、オーケストラボックスがあり、舞踏会の光景が目に浮かぶ。異常なほど大きいシャンデリアは重さ800kgだ。

最後に、2階大ホールから中央階段をのぞき、いつの日にか招待され、この階段を静かに登ってくる自分を想像しつつ、本館の東側出口に出る。

出たところに、アカマツの園芸品種タギョウショウがあり、建物に沿う銅の雨どいが輝く。



やけに銅が輝いているので今回の改修で新設したのかと思い、近づいてみると、裏側まで輝いている。しかし、良く見ると、わずかに汚れが残るところがあり、古いものを磨いたのだった。



噴水や、手入れの行き届いた花壇のある主庭を回り、




再び、北側正面に回る。



正面の入口の菊花御紋章のあるドアから中央階段をのぞいたが、良く見えない。



入ってきた西門に戻り、参観を終えた。
フランスのヴェルサイユまで行かなくとも、日本にもこんなすばらしい西欧式宮殿があったのだ。もっと宣伝した方が良いし、一度は見ておくべきと思った。




沿革
迎賓館の建物は、東宮御所として元紀州藩の屋敷跡に1909年(明治42年)に建設された。戦後、皇室から国に移管され、国立国会図書館や、東京オリンピック組織委員会などに使用された。
その後、外国の賓客を迎えることが多くなり、旧赤坂離宮を改修し、これを迎賓施設とすることが1967年に決定された。5年の期間と108億円(工事費101億円、家具等製作費7億円)の費用をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により1974年(昭和49年)3月に迎賓施設として改修された。
また、2006年から2008年にかけて、大規模な改修工事が行われた。

本館
構造:鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階) 延床面積:1万5000m?

庭園
主庭は全面砂利敷きであり、中央には噴水池や花壇が設けられている。フォード大統領(1974年、ハナミズキ)、エリザベス女王(1975年、ブラウン・オーク)、ゴルバチョフ大統領(1991年、フユ・ボダイジュ)の記念樹がある。


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あなたは介護一歩手前ではありませんか?

2009年07月27日 | 老後

武蔵野市から「生活機能評価チェックリスト」なるものが突然送られてきた。中を見ると、どうも認知症にかかっていないかチェックされているような気がして、「まだまだ」と思ったり、「おい、もうそんななの」とがっかりしたりだ。対象者は、介護保険要支援・要介護認定を受けていない65歳以上の人に機械的に送っているらしいのでがっくりすることはないのだが。

趣旨は「介護状態になるまえになんとかしましょう」というもので、市民は早めに予防策に取り掛かれて、市は介護保険支出を減らせるという双方のためになる施策のようだ。

送られてきたリストは以下で、「はい」か、「いいえ」に○をつける。

1.バスや電車で1人で外出していますか
2.日用品の買物をしていますか
3.預貯金の出し入れをしていますか
4.友人の家を訪ねていますか
5.家族は友人の相談にのっていますか
6.階段を手すりや壁をつたわらずに昇っていますか
7.椅子に座った状態からなにもつかまらずに立ち上がっていますか
8.15分位続けて歩いていますか
9.この1年間に転んだことはありますか
10.転倒に対する不安は大きいですか
11.6ヶ月間で2~3 kg 以上の体重減少がありましたか
12.身長・体重を記入してください       身長  cm 体重 kg
13.半年前に比べて固いものが食べにくくなりましたか
14.お茶や汁物等でむせることがありますか
15.口の渇きが気になりますか
16.週に1回以上は外出していますか
17.昨年と比べて外出の回数が減っていますか
18.周りの人から「いつも同じ事を聞く」などの物忘れがあると言われますか
19.自分で電話番号を調べて、電話をかけることをしていますか
20.今日が何月何日かわからない時がありますか
21.(ここ2週間)毎日の生活に充実感がない
22.(ここ2週間)これまで楽しんでやれていたことが楽しめなくなった
23.(ここ2週間)以前は楽にできていたことが今ではおっくうに感じられる
24.(ここ2週間)自分が役に立つ人間だと思えない
25.(ここ2週間)わけもなく疲れたような感じがする



身体の衰えの前兆のほかに、心の落ち込み具合や、閉じこもっていないかどうかなどのチェック項目もあり、なかなか良く出来ている。今後、ますます年取っていくと、こんな現象が出てくるのだということがよく分かる。いずれ行く道なのだ。


私は、「今日が何月何日かわからない時がありますか」や、「お茶や汁物等でむせることがありますか」などは「はい」だ。しかし、「周りの人から『いつも同じ事を聞く』などの物忘れがあると言われますか」は断固「いいえ」だ。なぜなら、「俺が、同じ事を聞いたり、物忘れしても指摘せず黙っていろ!」と奥様に言って(お願いして)いるからだ??



武蔵野市のホームページの生活機能評価チェックリストを見ると、趣旨や詳しい調査のながれが掲載されている。





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角田光代「水曜日の神さま」を読む

2009年07月26日 | 読書2

角田光代著「水曜日の神さま」2009年7月、幻戯書房発行を読んだ。

いろいろなメディアに載せたエッセイを集めたもので、Ⅰの18編、Ⅱの5編は、33ヶ国へ行ったという角田さんの旅に関するエッセイ。Ⅲは、いつものユーモアある身辺の話題23編。



まえがき代わりの「書くこと、旅すること」に、小説執筆に果たした旅の役割が力をこめて語られている。
角田さんは海燕新人文学賞受賞後、ようやく2作目が書けて、受賞作とあわせて単行本になった。翌年、24歳のとき、2ヶ月ほどタイを貧乏旅行し、マラリアにかかり、死にそうになる。「私、なんにもしてないじゃん。」と、そのとき思った。この経験、旅の間に考えたことが言葉、文章になり、取り憑かれたようにワープロをたたき小説になった。その後も、毎年、貧しい国を貧乏旅行した。そして、驚くことに慣れ始め、10年経って、旅と書くことは切り離された。

この本、私にはどの話も面白かったのだが、一つだけⅢにある「温泉卵を語る男と女の寓話」を簡単にご紹介。

納豆のただしい混ぜかた、コーヒー豆の違い、からすみの作りかたなど男の子は実生活にまったく役立たないことを教えてくれた。この男の知識、美学、こだわりについて、交際して間もない頃は、なんだかかっこよく見えて、真顔で相づちを打つが、交際が長引くにつれて、じつに無意味であることに気づいてしまう。ここで「だからなんだっつーのよ」と言ってはならない。言えば、薄ーいガラス板のようなこのこだわりは砕け、二人の仲は終わりになる。
その男の子のことが好きなあいだは、ガラス板は真綿にくるんで大切に保管しなければならない。ガラス板なんか、役に立たないばかりか邪魔くさいだけじゃん、なんて思っても決して顔に出さずにね。




角田光代さんは、1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞、1996年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞、2005年「対岸の彼女」で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞を受賞。なお、2006年芥川賞を受賞した伊藤たかみさんと6年間の同棲を経て2005年春に婚姻届を出した。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

馬鹿ばかりやり、そんな自分を笑い飛ばしながら、もうひとつ第三者の目で離れた位置から冷静に自分を見ている。だめだ、だめだと言い、ある部分では本当にそう思いながら、何度も受賞する小説を書く。「行動はハチャメチャに、思考は距離を置いて冷静に」が角田さんに小説を書かせているのだろうか。とは言っても、もはや角田さんも40歳。今では、若いときとは違い、かっての経験が熟成した基盤の上で、円熟の小説を書いているようだ。



アジアが今よりさらに貧乏国だったころに、リュックサックを背負って安宿を泊まりあるいた話がすさまじい。そして、その経験が角田さんには社会経験となり、間接的に小説を書かせることとなったと、率直に語る話が、私には興味があった。女性ばかりの家庭で育ち、大声を出す男性におびえ、ビビリ屋という角田さんが、汚く、危険な環境に飛び込むのはなぜなのか。ごく普通の女性に見える角田さんも、大酒を飲んでひっくり返ったりする(話があったと思う)ので、やはり、小説を書く女性は普通ではないのだろう。


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「サムライの娘」を読む

2009年07月25日 | 読書2
文が佐々木圭子、絵が曽田文子、英訳大久保きぬよ、Anne K.Afflek 「サムライの娘」2000年7月、考古堂書店発行を読んだ。

この本は杉本鉞子(えつこ)著「武士の娘」(原文が英語で、翻訳本あり)の内容を簡単に絵本で紹介したものだ。したがって、大判のページに、絵と、数行の日本文と、対応する英語が書いてある。鉞子が没して50年を記念して出版された。

文を書いた佐々木圭子さんは、長岡の歴史、生活文化を学ぶために「武士の娘」をテキストとする「『武士の娘』研究会」代表をしている。



武士の娘として身に着けた杉本鉞子は、1898年結婚のため渡米し、当時日本からははるかに遠いアメリカで暮らし、自立した女性となる。コロンビア大学で日本語と日本文化史の講義をするようになり、日本についての質問に答えるために、 “A Daughter of the Samurai” を自伝的に書き、全米でベストセラーとなった。
杉本鉞子は、異国にあっても、和服でとおし、明治の女性のたしなみを身につけ、そしてサムライの娘として誇り高く生きました。その杉本鉞子の生涯を親しみやすい絵本で紹介したのがこの本だ。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

見開き12ページほどの本なので、内容は薄く、文章は子供向けではなく、英語が読める子供も少ないだろう。なぜ絵本なのかが分からない。中高校生向け絵本なのだろうか。

やはり、原本の翻訳本である「武士の娘」を読むことにしよう。



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サトウのメンチカツ

2009年07月23日 | 日記
吉祥寺のダイヤ街に人気店が二つ並んでいる。「小ざさ」(おざさ)と、「サトウ」だ。メディアで紹介されて異常にはやり、そしてあっという間に忘れさられる店が多いのに、いつまでも人気を保っている。
羊羹が昔昔から有名な「小ざさ」は朝早く整理券を配るので、行列はそれほどめだたない。最中も人気だが、ネットでも注文し送ってもらえる。
隣にいつも長い行列になっているのは、松坂牛専門店「サトウ」でメンチカツを求める人たちだ。昔昔は普通の肉屋だったのだが。写真は5月15日(金)の10時20分。



ダイヤ街に行き行列のそばを通るごとに、一度食べてみたいと思いつつ、長い列をうんざりと、そして冷ややかに眺め、通り過ぎていた。そして、奥様がたまたま昼前に通ったときに見ると、なぜか6人しか並んでいなかった。では、昼のおかずにと、メンチカツを買ってきた。



袋にはこう書いてあった。
メンチカツの衣に黒いヒモ状の物が付着している場合がございますが
揚げる際に肉汁などが凝固した物で品物には問題ございませんので
安心してお召し上がりください
また、メンチカツは揚げた後の余熱で内部に火を通しておりますので
5分位してからお召し上がり下さい


テニスボール大のメンチカツを食べてみると、普通のメンチカツよりは脂ぎっていないで、あっさりめだ。サクサクの衣の中の肉はなんといっても松坂牛、柔らかく、ジューシー。一個160円、5個で600円の価値はあるが、私には、行列して買う気はない。



一緒に買ったコロッケは、一個140円で、行列しなくても買える。こちらもおいしい。






もうひとつ、短めだが行列する店がある。中道通りにある「はらドーナッツ」だ。豆乳を使ったさっぱりしたドーナッツが人気だ。

と、ここまで書いて、どこかで聞いたことある気がしてきた。このブログ内の検索で調べたら、あった! 2009年3月23日の「吉祥寺をぶらぶら」に「小ざさ」も、「サトウ」も「はらドーナッツ」も出ている。完全に年寄りの繰言状態だ。下も今年2月の写真。



一つだけ、新しいニュースを。今日、2009年7月23日(木)、「はらドーナッツ」が姉妹店、健康豆乳カフェ「はらっぱ」をオープンする。“eat in”(店内で食べる)の人にはすべてのドリンクにミニドーナッツが付く。
ちなみに、お持ち帰りは“takeout”だが、オーストラリアでは“takeaway”と言っていた。最初、“takeaway?”と聞かれたときは、「俺は持ち逃げなどしないよ」と言いたくなった。

この店では、レジャーシートの貸し出しもするそうで、向かいの吉祥寺西公園のはらっぱで、ドーナッツと豆乳ミックスジュースなどでピクニックする手もある。ただし、ピンクの水玉模様なので、年寄りは避けたほうが良いかも。


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内田百閒「続百鬼園随筆」を読む

2009年07月22日 | 読書2
内田百閒著「続百鬼園随筆」新潮文庫、2002年5月発行を読んだ。

「好きな本を」と問われた文化人(死語?)の中に、内田百閒の名を挙げる人が何人かいた。なんでも、ユーモア溢れるすばらしい文章で、諧謔な百閒先生の魅力にとらわれるらしい。
私は、内田百閒を読んだことがないし、百閒先生を囲む門下生の会を描いた黒澤明の映画「まあだだよ」も見たことがない。もしかしたら、私の壷にはまる作家をこのまま知ることなく終わることになるかもしれないと思うとたまらず、ともかく一冊読んでみた。これが私の初百閒本だ。



当時、大ヒットした「百鬼園随筆」に続く第二の随筆集で、初期の旧作と新作をあわせ33編の随筆よりなる。なお、この作品は、1934年(昭和9年)5月に三笠書房から刊行されたというから、75年前で、登場する物や、社会の状況は私から見ても古いが、基本的内容は違和感なく楽しめる。

「近什前編」:些細なことに立腹し、かえって無様なことになったりする自分を語る「立腹帖」「続立腹帖」、学生のころ先生に仕掛けたいたずら、先生になってやられたいたずらの「百鬼園師弟録」など12編。

「文章世界入選文」:なんということない日常の出来事だが、描写は見事で淡々と語る驚異の17歳のときの作品8編。

「筺底稺稿」(きょうていちこう):親友の死を悼む「鶏蘇仏」「破軍星」など3編。それにしても、百聞さん、身近な人が次々と亡くなっていく。わがまま、頑固、いたずら好きの百閒さんの底の方に無常観を感じるのは、そのためだろ。

「近什後編」:借金などの話しが10編。



内田百閒は、1889年‐1971年。別号・百鬼園。岡山市に造り酒屋の一人息子として生れ、乳母日傘で育つが、中学のとき父が死に、まもなく実家が没落する。旧制六高を経て、東京大学独文科に入学。漱石門下の一員となり芥川龍之介、鈴木三重吉、小宮豊隆、森田草平らと親交を結ぶ。卒業後、陸軍士官学校、法政大学のドイツ語教授。1934年、法大を辞し文筆家の生活に入る。初期の小説には「冥途」「旅順入城式」などがあり、「百鬼園随筆」で独自の文学的世界を確立。
太宰治など、子供の頃に豊だった実家が没落した人に文学的才能ある人が多いのはなぜだろう。誇りを持ち、そしてそれを失うことにより、子供のときから深く考えさせられるためだろうか。

なお、内田百閒(うちだひゃっけん)の「閒」の字は、戦前は「間」であったが、戦後、門構えの中を月に改めた。
新潮文庫の表紙の絵(カバー装画)は、親友だった芥川龍之介による「百間先生懼菊花図」だが、似顔絵が写真とよく似ている。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

法政大学教授でありながら貧乏生活で、しかも茶目っ気があり、ちょっとしたことで怒り狂い大人になれないように見える百閒さんのキャラクターと、練達の文章が75年の年月を経て、人気を保っているのだろう。一度は読んでおくべき本だと思った。

ただし、細かいところだが、いくつかの読みにくい点がある。年代別に並んでいないので、百閒さんが子供のときの話か、中年のときの話か、話のはじめでは分かりにくい。また、
原作の旧仮名遣いを新仮名遣いに書き直してあるのでまだ良いのだが、通常の漢字変換では出てこないような難しい漢字がガンガン出てくるのも困る。

それにしても、偉い大学教授なのに自分を道化役にして笑い飛ばす百閒先生には心のゆとりを感じさせられる。

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道尾秀介「向日葵の咲かない夏」を読む

2009年07月20日 | 読書2
道尾秀介著「向日葵の咲かない夏」2005年11月、新潮社発行を読んだ。

表紙の裏には、こうある。

ねえ、生まれ変わりって信じる?
部屋に戻ったら、自殺したはずのS君が来てたんだ。
ただ、その姿ってのが・・・。


小学校を休んだS君の家に寄った僕は、彼が家の中で首を吊っているのを発見する。学校に戻り、先生が警察と一緒に駆け付けてみると、死体は消えていた。今度は僕の前に、S君の生まれ変わりと称するモノが現れ、「僕は、殺されたんだ」と訴える。誰もが信じられない中で、僕と妹・ミカはS君に言われるままに、調査を開始した。



道尾秀介は、1975年兵庫県生まれ。2004年「背の眼」で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞、2007年「シャドウ」で第7回本格ミステリ大賞、2009年「カラスの親指―by rule of CROW's thumb」で第62回日本推理作家協会賞を受賞。第140回と第141回の直木賞候補になった。なお、この「向日葵の咲かない夏」は2006年第6回本格ミステリ大賞候補。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

犬を殺すなど残酷なシーンが出てくるし、壊れてしまった人も出てくるし、ホラーが嫌いな人にはもちろんお勧めできない。登場人物も、やることも気味悪い。しかし、私から見ると、小学生の世界の話であり残忍さがギラギラすることはない。カフカの芋虫のようにどこかユーモラスでもある。
また、最後の方は、話が二転三転し、ついていくのがやっとになるが、ミステリーとしてもけっこう複雑で、よく出来ている。
残酷シーン、小学生、ユーモアなど、最近あまり話題の上らない舞城王太郎の小説を思い出す。

生まれ変わりというのが、実は痛んだ心の中に住んでいたというのもすごいし、よく最後まで引っ張った。ミステリーはあまり好みではないが、道尾秀介は力があり、注目だ。

東京創元社のWebミステリーズ!の「対談 桜庭一樹・道尾秀介」のの3ページ目で、桜庭一樹はこう言っている。


『向日葵(ひまわり)の咲かない夏』も、あとあとまで考えたくなるような、何度も読み返したくなるような。かっちりしているようで、どうしてそうなってしまうんだろう? と思えるところもある、不思議な作品でした。


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林真理子「最初のオトコはたたき台」を読む

2009年07月18日 | 読書2
林真理子著「最初のオトコはたたき台」文藝春秋2009年4月発行を読んだ。

有名人とお友達で、ハイソには今一歩だがセレブである方々や、有名人とのお付き合いや、贅沢な生活の自慢話が満載だ。しかし一方で、ミーハー丸出しで、えげつないほど口が悪く、ダイエットなど自虐ネタもたくさんの林真理子さんのいつものたわいもない話題集だ。
題名はいろいろ想像させるが、そんな内容はどこにも出てこない。初出は「週間文春」2008年1月から12月。



林さんは何々が嫌いとなると、あとはメチャメチャにけなす。この本の最初の短編「芋ミシュラン」でも、「ミシュランガイド東京」について、
私は内容よりも、本のつくりと価格にちょっとなあと思う、編集者の人とも話したのだが、文章がひどい。日本語としてこなれていないし、漢字が多すぎる。非常に読みづらい文章だ。・・・それに三千三百円というのは、今の本の価格からしてちょっと高すぎる。
と始まったので、これはどうなるかと思ったら、ある方を招いた店がその後二つ星に輝いて喜ばれたとの自慢半分で終わった。引き続き、「お取り寄せ」が嫌いとの話になり、これも半渇きタイプの干し芋が待ち遠しいとの話で終わる。
林さん、すっかり牙が抜けたのかと思った。

しかし、読み進めていくうちに、出た! アグネス論争! 週刊文春に出たアグネス・チャンが当時をふり返り、「当時は私も新米ママだったし、起きた現象がよくわからなかったんですよ」とうまくコメントを避けていると紹介している。そして、引き続き、「この方、確か論争を起こしたことを評価され、スタンフォード大学に招かれ、・・・大学の教授やナントカ大使など、その道の専門家になられたはず。それが『わからなかった』とは、ずるずると椅子からすべり落ちそう。」と一方的に決め付け、林さんのおかげで教授や大使になったといわんばかりだ。

また、林さんは、「女子アナがみんな泣いた」という記事があざとくて、読むまいと思っていたのに、送られてきたので手にとってしまった。そして泣いた。さらに、TVで見たバラエティ番組の話しで、小島よしおをやたらとほめている。この調子でいろいろなところで、直木賞選考委員も務めるセレブな作家がおばかなミーハーぶりを自虐的に自慢げに披露していて、林さんの面目躍如だ。



林真理子は、1954年4月、山梨県山梨市生まれ。日大学藝術学部文芸学科卒業。コピーライターとして活躍し、1982年エッセイ集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がベストセラー。1985年「最終便に間に合えば」「京都まで」で第94回直木賞受賞。1995年「白蓮れんれん」で柴田錬三郎賞、1998年「みんなの秘密」で吉川英治文学賞を受賞。
2000年直木賞選考委員、2005年吉川英治文学賞選考委員に就任。
1990年、36歳でサラリーマンの男性と見合結婚し、44歳で高齢出産。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

いつもの林真理子節を楽しみたい人は、読んで裏切られないだろう。その他の人は、時間を持て余していたら、読 め ば!

「ミシュランガイド東京」をパラパラと読んでみたが、とくに悪文とも思えなかった。確かに、翻訳なので、まえがきはこなれた日本語になっていないし、本文もご指摘とおり漢字が多い。しかし、ガイド本なのだから、いわば紋切り型の事務的文章で、作家が悪文と批判するほどのものでもないと思う。相変わらず林さんは思い込みと表現がきつい。

なお、この本の中ではデジタル&機器オンチで、原稿は手書きでパソコンも使っていないという林さんだが、調べてみると、「あれもこれも日記 林真理子」というブログを2009年2月16日からついに始めていた。






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フランスの交通

2009年07月17日 | 観光
自動車

ナンバープレートは左端が青くなっていて、上側に12の星が輪になったEUのマークがあり、その下に国名の1,2文字がある。Fはフランス、Eはスペイン、Iはイタリアなど。





高速道路の制限速度は、110kmか、130km。下の看板では130kmで雨の場合いは110km。



パリは道路が狭く、ほぼ縦列駐車。日本人のテクニックは相当なものと思うが、フランス人も立派。ただし、ぶつけて駐車するとの話もある。





自転車

写真はレンタル自転車。渋滞がひどいせいか自転車利用の人も多いような気がする。日本でもはやりだしている電動自転車で、パリをめぐるツアーがあるそうだ。



パリ市長が自転車利用者の受けを狙って、金をかけずに(ペンキ代以外に)自転車レーンを作ったが、バスと共用で事故も起こっていると、ガイドさんが怒っていた。




地下鉄

券売機はスクリーンの下のロールを回し、切符を選択し、右のボタンを押す。その他、枚数などを打ちこみ、指定された金額を投入する。詳細は忘れたが、何とか使えるはず。



路線番号、行き先(終点)、目的駅を覚えたり、メモしておけば、どこにでも行ける。
丸にMと1は、メトロ(地下鉄)の一番線の意味。一番線は黄色と、色が決まっている。DIRECTIONとあるのが行き先(終点)。



駅に入ったら、途中で行き先別に分かれ道になる。目的の行き先の道を進むと、例えば「6番線のNation」行きの駅名が表示される。



ホームには、「6番線エトワール行き」とあり、あと2分で次が、6分でその次が来ると表示される(表示がないところもある)。



地下鉄の電車はとくに代わり映えしないものだった。ドアは自動で開かないものもあり、両開きのドアの間にあるレバーを跳ね上げる。けっこう力がいる。



車輪でなくタイヤなので、走行音が静かだ。ブレーキが面白い。





お馴染みのエッフェル塔で、オ ルヴォワールさよならパリ。



これで長々続けてきたフランス旅行記は終わる。

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パリ見聞付録

2009年07月16日 | 観光

いきなりで恐縮だが、フランスで困ったのは男性用トイレ。写真でははっきりしないだろうが、何しろ位置が高い。背伸びしないと危ない。(何が?)ともかく高すぎる。いや、本当は短すぎる私の足が。トホホ。



人種差別だと思ったら、こんなトイレもあった。



でも、気がついたら見栄張って、真ん中のトイレで無理に背伸びしている私に気がついた。

有料トイレもときどき見かけた。閉所恐怖症ではないが、なんとなく閉め切られるのは怖い。何でも、15分経つと使用中であっても、突然ドアが開くらしい。これも困る。見られる方も見る方も。



カナダ、オーストラリアではほとんどが大型犬だったが、フランスでは小型犬を連れている人が多かった。日本程度の狭い国では小型犬が飼いやすいのだろうか。そして、最近日本ではあまり見かけない“何”をよく見かけた。日本は糞処理先進国なのだ。



街のゴミ箱も地域によって異なるのだろうが、この安直なゴミ箱もパッとしない。



よく見かけるこのボックスはビン、カンのリサイクル・ボックスだ。入れているところは見かけなかったが。



急に飛ぶが、日本では赤い郵便ポストもフランスでは黄色い。



さらに飛ぶが、欧米の家の屋根に並ぶ煙突は、各部屋の暖炉毎に一本づつ直接屋根まで伸びている。途中でまとめると、煙が逆流してしまうためだ。煙突の数だけ部屋(暖炉)があることになる。



セーヌ河畔にならぶ緑の小屋は、古本屋だ。日曜日にはこの写真のように閉まっている。



しかし、一軒だけいつも空いている店がある。



カフェは店外に席を並べることが多いが、張り出した日よけを透明にするとは。雨よけ?



エスカルゴを抑える器具とほじくるホーク。しっかり抑えられず、クルクル動いて、上手く使えなかった。






フランスでは警官がえらく強圧的で市民には評判が悪い。そこでリホーム中の警察の庁舎にさまざまな警察官のモデル写真を描いたが。市民からは、警官はあんなににこやかじゃないと嘲笑されているという。



次回の交通についてで、だらだらと引き延ばしてきたフランスシリーズを終わりにする。



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パリでお買物

2009年07月15日 | 観光
パリの街の発展
ヨーロッパの都市は大体そのようだが、昔昔からパリも街の外側を壁で囲んでいた。壁の外に住むのは身分の低い人だった。夜は門を閉ざすので、例えば壁の中の人がいかがわしいことで壁の外に出て、夜になってしまうと、壁の外で心細く夜を過ごさなくてはいけなかった。街が大きくなり壁の外に発展し、さらに外側に壁を作り始め、完成すると、内側の壁を壊して道路にした。パリは外壁を6回作り直し、36kmある最後の壁は第一次大戦後に壊され環状線になった。
○○ブルグというのは、壁のある街という意味で、壁の内側に住む人をブルジュアという。
以上、添乗員さんのお話でした。



土曜と日曜がこのツアーのフリータイム。日曜日は休みの店が多いので、土曜日の今日は恐怖のショッピング・デイ。

市内観光で寄ったオペラ座近くの三越は品数がそんなに多くなくてお気に召さなかったご様子で、今日は、どうせならいきなりメインの大舞台へと、シャンゼリゼ大通りとジョルジュ・サンク大通りの角にあるルイ・ヴィトン本店へ地下鉄を乗り継いで乗り込んだ。





天下のヴィトンも日曜日も営業するようになったが、バーゲンはしないという。3階建だったと思うが、ぷらぷら見たあと、日本人の店員さんのいるカウンタでつかまる。添乗員さんの名言「迷ったら買う」に従い、迷い、そして迷った。

スリに狙われると注意されたにもかかわらず、ヴィトンの大きな袋を下げたまま、デパートのギャラリー・ラファイエットLafayetteに地下鉄で移動。



パリは今バーゲンシーズンなので、けっこう人が多い。ワゴンに山になった洋服をかき混ぜる様子は洋の東西を問わず。メンズの紳士館も見たが、ユニクロに慣れた目には高いし、人が多くてじっくり見る気がしない。

すぐとなりのプランタンへ移り、昼飯とする。どうせならステキなところでと、美しいステンドグラスのドーム天井を持つブラッスリー・プランタンBrasserie Printempsに入る。





メニューにはフランス語の下に英語が書いてあった。Large Platesの中の“Large Caesar’s salad with grilled chicken 17ユーロ”と無難そうなものを奥様がまず選択し注文。来た品は以下で、量は多いがなかなかいける。



私は、Vegetarian & pastasの中を見るが、どれも不明。 えいやと、“Cannelloni with aubergine caviar, preserved tomatoes, tapenade, sweet garlic cream 16.5ユーロ”を選択し、注文。果たして、こんなものが来てしまった。



なんだこれは?と思ったが、見た目より量もあり、美味。帰宅してから“Cannelloni”を辞書で引くと、円筒状のパスタに挽き肉、魚肉、チーズ、野菜を詰めて焼くイタリア料理とあった。
雰囲気に気疲れし、メニュー選びに労力を使ったが、コーヒー、紅茶も含めて二人で5500円なら安くて雰囲気もよくごきげん。

プランタンにはパリ高島屋のサービスデスクがあり、日本に(で)配送してもらうお土産を選ぶ。

ホテルに戻り、晩飯はぷらぷら歩いて、寿司屋を見つけて入る。中国系のご主人で日本語は通じないし、箸があるのに味噌汁にスプーンがついてきたときは、これはだめだと思ったが、



意外とまともなお寿司で、



食べなれた回転すし程度のおいしさで満足。


翌日、日曜日は、前回報告のセーヌ川クルーズ(まだ言ってる。水上バスです)の後、シャンゼリゼを徘徊、じゃなかった散策。

ふと見ると、プティ・パレ(パリ市立美術館)の前に見たことある人が歩いている。チャーチルだ。足元のプレートに、「WE SHALL NEVER SURRENDER 1940」とある。



シャンゼリゼ大通りにはパリ祭の観客席が作られていた。



通りは日曜日でも開店している店が多く、人通りも多い。



トヨタのコンセプトカーなど眺め、昨日来たルイ・ヴィトン本店手前にある1899年創業という老舗カフェのフーケッツ Fouquet’sに入る。なかなかおいしいサンドイッチだった。



思い出すのは20年ほど前、出張できたパリで、おじさん仲間(当時はおじいさんではない)が映画に出てきて有名なのだといって、このカフェに連れてきてくれた。テーブルに座ると、隣に日本人の若い女性が二人。あこがれのパリのカフェに来たのに、隣が日本人のおじさん二人で、露骨にいやな顔をしたお二人、その節は申し訳ありませんでした。




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セーヌ川クルーズ

2009年07月14日 | 観光
クルーズと書いたが、実は単なる乗合い船に乗っただけなのだが。

セーヌ川から見るパリが、とくに夜景はなかなかのものだと聞いた。ディナー付きは約100ユーロ以上、男性はネクタイに上着が必要で、出発は20:30と遅い。我々はそんなに食べられないし、ホテルに帰るのが12時近くになるのではと、日中で、ランチも付かないクルーズすることにした。

乗り場を調べて、そこまで行くのも面倒なので、結局、オルセー美術館から見えた乗り場に行った。前の道路を渡ってから地下にもぐるが、高速郊外鉄道エール・ウー・エールRERのオルセー美術館駅に出てしまう。行ったり来たりしてようやく川岸に下りることができた。



バトビュス Batobus の乗り場に行って聞くと、日本語どころか解説もないのだが、8つある乗り場で乗り降り自由という。遊覧船というより水上バスだ。一日券12ユーロと安いので、たまたま来ていた船に飛び乗った。

セーヌ川の左岸(南側)をさかのぼり、シテ島に向かう。サン・ジェルマン・デ・プレ教会 St-Germain des Presという所に止まったあと、左手にノートルダム大聖堂が見えて来て、対岸で停船する。






シテ島の先端を過ぎて、



さらに近接するサン・ルイ島の先端も過ぎて、植物園 Jardin des Plantesで停船してから、セーヌをUターンして、今度は右岸を下る。パリ市庁舎の前のHotel de Villeという所で停船する。
下の写真は、ポン・デザール(芸術橋)Pont des Arts橋の下で、見えているのはルーブル美術館。



やがて、乗船したオルセー美術館を右手に見て、ルーブルLouvreという所で止まる。



我々が5階のテラスから船着場を見ていたように、見上げると同じところに何人かの人が見える。



モーターボートも勇ましく通り過ぎる。



セーヌ河畔には日曜日の今日は、多くの人が腰をかけてくつろぎ、



恋人達は、肌もあらわに、



サン・ルイ島の南端は、まるでヌーディストビーチだ。



そして、エッフェル塔駅Tour Eiffelの手前のシャンゼリゼChamps-Elyseesで降りた。
このあと、シャンゼリゼ大通をぶらぶらして、ホテルに戻った。




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オルセー美術館

2009年07月13日 | 観光

今日は、フリータイムの日。日曜日なのでたいていの店は閉まっている。そこで、オルセー美術館へ出かけた。
パリの地下鉄12番線のソルフェリーノSolferino駅で降り、出口2番を出る。セーヌ川の方向に歩けば、数分でオルセー美術館 Musee d’Orsayだ。正面左側の入口は券を買って入る人が長蛇の列だ。



私たちはルーブル美術館でオルセーの前売り券を買ってあるので、右側のガラガラの入口から入る。



中に入って、中央通路を進み、振り返ると時計が見える。オルレアン鉄道の終着駅として建てられた建物らしい。



突き当たりまで行くと、床がガラスになっていて、オペラ座周辺のビルの模型が下に並んでいる。前にはオペラ座の断面模型がある。



まず、印象派、後期印象派n絵を見るために、エスカレータで5階まで上がり、下を見る。



有名な絵が数限りなくあるので、2枚だけ紹介。最初は、私の好きなシスレーの「ポール・マルリの洪水と小船」。同じような絵がもう一枚並んでいるが、こちらの方が明るくて好きだ。



スーラの「サーカス」は点描で描いてある。近づいて接写すると、こうなっていた。





2階に降りて、祝祭の間に入る。旅行者のカップルに写真のシャッターを押してくれと頼まれる。少し離れて、彼らはダンスのポーズで決める。この部屋の中でなかなか絵になる。



私のカメラでも撮ればよかったと後悔し、こんなしょうもないものを撮る。



ガレや、ラリックのガラス工芸品もある。





5階の屋外テラスに出ると、セーヌ川の向こうにルーブルが見える。



遠くにモンマルトルの丘に立つサクレ・クール聖堂に日が当たっている。



下を見ると、このあと乗ることになるセーヌ川の水上バスのバトビュス Batobus の乗場がみえた。



豪華な天井画とシャンデリアのレストランは避けて、屋上テラス脇のカフェでランチにした。時間は2時41分。



くたびれ気味の奥様に配慮して後ろ髪引かれる思いでオルセー美術館を後にした。



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ルーブル美術館

2009年07月12日 | 観光
パリ市内観光の中で、ルーブル美術館 Musee du Louvre を急ぎ足で回った。
駐車場から逆さピラミッドのところに入る。



そしてこのピラミッドの下が入口。



アフロディテ(ミロのビーナス)を見る。



どこから見ても美しいというが、後ろは?



ギリシャのサモトラケ島で発見された勝利の女神ニケの像、サモトラケのニケ。映画「タイタニック」で、ヒロインが甲板先端で両手を広げたポーズを取るのは、船の舳先に立つサモトラケのニケを真似たのだ。



スポーツウェアメーカーであるナイキは勝利の女神ニケ(Nike)から社名を取った。スウッシュと呼ばれるナイキのロゴマークは、この像をデザインしたものと聞いたが??
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が何点か並んでいる。
「岩窟の聖母」は、中央が聖母マリアで、右端は天使だが、名前については複数説ある。左の幼児がキリストで、右下の幼児は洗礼者ヨハネだろうが、これも諸説あるらしい。このあたり、小説「ダ・ヴィンチ・コード」の中でも触れられているらしい。ほとんど同じ絵がロンドンのナショナルギャラリーにある。



「聖アンナと聖母子」は、聖母マリアが聖アンナの膝の上に座り、受難を予知する子羊に身をかがめている幼児イエスを支えている。三角形の構図にするための構成なのだろうが。



ラファエロの「聖母子と幼児聖ヨハネ」聖母マリアが見つめ、そして、十字架を手にしゃがみこんだ洗礼者聖ヨハネが見上げているのが神の子イエスという構成のようだ。ラファエロの絵はやわらかい。



いよいよ「モナリザ」の部屋に入る。一番前まで行くにはまだまだかかりそうだ。温度管理された防弾ガラスのケースに収められている。



この部屋の反対側にある大きな絵がだれも見てくれる人がいない悲劇の絵と呼ばれるヴェロネーゼの「カナの婚宴」だが、何人かの人が眺めている。



アングルの「グランド・オダリスク」は、背中が長すぎるなどと言われるが、絵として優美だ。オダリスクとはハーレムの女という意味だから、題材はいかがわしくても非難されないのだろう。モネの「オランピア」というオルセー美術館にある娼婦の絵は、いかにもリアルで美人でない描き方が現実的で非難のもとのなったのだろう。



その他、あちらにも、こちらにも見たことのある絵が一杯。一つだけ、世界史の教科書に載っていたドラクロアの「民衆を導く自由の女神」を載せて終わりにする。






次回はオルセー美術館










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ヴェルサイユ宮殿へ

2009年07月11日 | 観光

パリに宿泊し、午前中の市内観光の後、太陽王ルイ14世が建設したヴェルサイユ宮殿 Chateau de Versaillesへ行った。

団体用の入口から入り、刈り込まれた植木の間を通り、



大運河を見下ろす庭園の正面に出る。20年ほど前に一人でぶらりとここに来たときは、スニーカーをはいていて、ジョギングにこっていたので、よしとばかりに、大運河沿いの道を走り出した。しかし、カバンを持っていたこともあり、大運河の端近くまで2kmほど走っても、まだ先がある。おまけに左右を見ると、こちらも2kmほどある。いやになって、とぼとぼと歩いて引き返し、マリー・アントワネットの離宮を見て帰ったことを思い出した。ともかく広い。



宮殿への入口にぐるりと回ってきた。最近、柵が金メッキで塗りなおされたという。フランス人は金ぴかが好きというが、なんでも当初の状態に戻すという考え方なのだろう。そんなこと言ったら、落着いたたたずまいの京都のお寺もすべて派手な朱色や金色になってしまう。



ヘラクレスの間から見た礼拝堂?



そして、73mある鏡の回廊。2007年に修復工事が完成したようで、いっそう華やかになった。





王妃の寝室の天蓋つきベッドと天蓋、そしてソファーとその絵柄。









外にでると、ここも屋根が金ぴか。




次回からはパリ市内。


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