hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

私の 6 癖 

2017年02月28日 | 個人的記録

 

 

奥様に指摘された私の癖に対し、なぜそうなのか屁理屈してみた。

 

 

 

(1)倒れそうなほど前かがみでピョンコピョンコ歩く。

 

(俺は常に前向きよ)

 

 

 

(2)首が左に傾いている。

 

(俺の首が曲がってるんじゃない。世の中が曲がってるのさ)

 

 

 

(3)着るものがデレデレしている。

 

(自分を自分で縛り付けることない。自由が一番)

 

 

 

(4)何かわからないことがあると、即その場で調べる。

 

(すぐ調べないと、何が疑問だったか忘れちゃうんだもん)

 

 

 

(5)人の話にめったに賛成しない。なんとか反論し、その多くは屁理屈だ。

 

(同じこと言っても意味ないじゃん)

 

 

 

(6)箸でつまんだ物を上下に何回か振ってから、口に運ぶ。

 

   (箸でつまんだ物が落ちないか確認してから口に運ぶという小笠原流マナーです??)

 

 

 

無くて七癖と言うが、ごく素直で真っ直ぐな性格なので、このほかにはありませぬ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の記憶

2017年02月26日 | 昔の話2

      

 

 一番古い雨の記憶は私の小学校入学の日だ。母の傘の中で手をひかれて帯び芯で作ったズックのかばんを下げ、隣の隣に住むS君親子と一緒に小学校へ行った。S君の父親は社長でお金持で、彼はランドセルを背負い、ゴム長靴で水たまりをピチャピチャさせていた。ズックは恥ずかしくなかったし、ランドセルも欲しくなかったが、長靴はうらやましかった。しかし、我が家は貧しく、自分には関係ない世界であることも良く解っていた。一人っ子の私は、小学校がはじめての集団生活で、緊張と期待でわくわくし、雨も、貧しさも楽しかった。

 

 最初の授業のとき、窓から雨の降る校庭を見た誰かが叫んだ。「おーい、傘をさして誰かくるぞ!」 先生が止めるまもなく、皆総立ちになり窓に殺到した。背伸びしても外が見えない子が多く、「良く見えない!」と声があがった。そこで私が机の上に立ち、「机にのればよく見えるぞ!」と皆に得意げに教えてやった。先生が冷たく言った。「机にのってはいけません!それは悪い子のやることです」。七十年近く経った今でも、あの驚きと、哀しみが蘇る。

 

 1950年当時、都内山の手の私の通っていた小学校は二部授業だった。子供の数に比べ充分な校舎がなかったため、午前中授業があると、翌日は午後からの授業になる。午後から授業の時は、昼飯後に登校し、午前の組の授業が終わるのを廊下で待つ。この時の思い出もなぜか外は雨で、私はしずくのたれる傘を下げている。木造の校舎の油を引いてこげ茶色になった板張りの廊下のあのにおいを思い出す。

 

 明治生まれの父は無口で怖かったが、一人っ子の私は可愛がられ、めったに怒られることはなかった。ある雨の夜、父が「新聞を取って来い」と言った。何かをしていた私は何気なく「いや」と言った。その言い方がいけなかったのだろう、突然父が「親に向かって何を言うか」とほっぺたをぶった。それまで一度も殴られた事がなかった私は、一瞬ボーとして、何が何だかわからなくなり、静寂の後、大声で泣き出した。そして泣きながら廊下を走り、玄関から外に出た。外に出てからハッと我に返ったが、冷たい雨は降っているし、どこへ行ったら良いのかわからない。玄関からの石畳をトボトボと歩き、門のかんぬきを足がかりに、いつも遊んでいるコンクリート製の四角い門柱の上へ登った。門柱の上には松が張り出していて雨宿りにもなる。

 べそをかきながらそこにじっと座り込んでいると、傘をさして母がやってきた。キョロキョロあたりを捜しながら、名前を呼ぶ。このままでは行ってしまうと思い、小声で「ここ、ここ」と言った。母は「まあまあ、何でそんなところに」と言って微笑んだ。母に連れられて部屋に戻り、父にモゾモゾ言って、下を向いたまま遊びを続けた。父も黙っていた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裁縫箱と母

2017年02月24日 | 昔の話2

        

 

 昔々、我家に裁縫箱があった。和裁用で、上蓋を開けると、針山とはさみなどが入っており、その下には三段くらいの引き出しがついていた。横には穴があり、ものさしが斜めに刺さっている。もちろん鯨尺だ。全体は幅四十センチ、高さ三十センチほどの木の箱で、表面に模様のある木の皮が貼り付けてあった。

 

 母は良くこの裁縫箱の蓋をあけ、四角い棒“くけ”を起こして立てて、先端から延びたひもの先の物干しバサミのような“かけはり”に布地の一方を挟んで、針仕事をしていた。小学校に上がる前だろうに私の記憶にこびりついているということは、しょっちゅう内職でもしていたのだろう。

 

 私はこの裁縫箱、というより母のまわりでよく遊んでいた。おもちゃらしいおもちゃがない時代だ。裁縫箱をおもちゃにして、引き出しを開け閉めし、針山の針を刺し直し、使われていないときには、“くけ”を起こしたり、寝かせて裁縫箱の蓋をしめたりした。“かけはり”で、こわごわ指を挟んだりもした。すずめの舌をちょん切った糸きりばさみ、指ぬき、くじらの骨でできたヘラもおもちゃ道具だった。ちょこまか邪魔をする私を、記憶の中の母は叱ることもなく微笑んでいる。

 

 しかし、何と言っても良く遊んだのは、裁縫箱に斜めに刺してあるものさしだ。これを刀にして一人チャンバラするのだ。ズボンのベルトに刺し、するりと抜いて、構えて正面の敵を切り、すぐ振り返って後ろの敵を切る。漫画雑誌でみたエジプト王朝のアメンホテプが大好きで、タオルケットを持ち出して来てマントにし、なぜか刀を差したアメンホテプに成り切ったりもした。そして、あきると、結局なんだかだと、母のそばに行ってちょっかいを出した。

 

 割烹着を着て、針を髪の毛に触れさせてから、針仕事をする若い母の姿がそこにはある。昨日のことのようだが、もうあれから70年近くが過ぎ去った。そして、母が亡くなって20年近くになる。庭に花でもあれば摘んでくるところだが、久しぶりに仏壇に線香でもあげるとしよう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米原万里『偉くない「私」が一番自由』を読む

2017年02月21日 | 読書2

 

 米原万里著、佐藤優編『偉くない「私」が一番自由』(文春文庫よ21-7、2016年4月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

 裏表紙にはこうある。

ロシア語会議通訳、作家、エッセイストとして活躍した米原万里の作品を、激動のロシアで親交を結んだ盟友・佐藤優がよりぬいた傑作選。メインディッシュは、初公開の東京外語大学卒業論文、詩人ネクラーソフの生涯。ロシア、食、言葉をめぐる傑作エッセイ、単行本未収録作品などをロシア料理のフルコースに見立て、佐藤シェフの解説付きで紹介する。

 

 

 冒頭の「シェフからのおすすめ」で佐藤優はこう書いている。

米原さんが亡くなる四カ月くらい前のことだったと記憶している。・・・私は鎌倉の米原邸を訪ねた。米原さんは、だいぶ時間をかけて二階の寝室から一階の応接間に杖をつきながら降りてきた。

「杖をつくような状態になっちゃったのよ。それにしても、ガンは痛くて苦しい。今までみんなによくしてもらったし、もう向こう側に行ってもいいと思うのよ。生きていて本当に良かった。みんなに感謝しているのよ」

 米原さんは、笑みを浮かべながらこう言っていた。

 

 この本は、佐藤さんが”外務省のラスプーチン”などと四面楚歌で叩かれていたときに、佐藤さんを作家への道に導いてくれた米原さんへのオマージュ(賛辞)だ。

 

 小3でプラハへ移り、中2で日本に戻った米原さんは、日本的平等主義の教育にショックを受ける。

プラハのソビエト学校の学友たちにも、劣等感という感情、人の才能とか能力に対するねたみとかひがみみたいのがなかった。・・・根底には自分と他人はもともと全く違って当然という思考習慣が横たわっているように思う。

 

 本の題名の由来は、詩人ネクラーソフを紹介したあとで、米原さんはこう語っている。

 どこからも文句の来ない、一方的で閉じられた神の言葉であり続けようとする限り、一定の集団を代表する言葉である限り、言葉は不自由極まりないままなのである。偉くない「私」、一個人に過ぎない「私」の言葉が一番自由なのだ。

そんなことを、たとえばNHKのキャスターの、あるいは大新聞の論説の、退屈で生気の無い言葉を耳や目にする度に思ってしまうこの頃である

 

ドゥマゴ文学賞に米原さんの「オリガ・モリゾヴナの反語法」を選んだ池澤夏樹さんとの対談が面白い。

 

初出:2001年6月角川書店より刊行

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

部分的には★★★★(四つ星)なのだが、冗長な部分が多く、★★★(三つ星)とする。

米原さんの外語大の卒論「ニコライ・・・ネクラーソフの生涯」が原文のまま100ページ以上掲載されているが、私にとっては退屈で、そのままパスした。

 

 

佐藤優(さとう・まさる)
1960年生まれ。作家・元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了。

米原万里とは外務省時代にロシアで知り合う。

主な著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞)、『交渉術』など。

 

 

米原万里(よねはら・まり)
1950年東京生まれ。父親は共産党幹部の米原昶。少女時代(59~64年)、プラハのソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学ロシア語学科卒業、東京大学大学院露語露文学修士課程修了。
ロシア語の会議同時通訳を20年、約4千の会議に立会う。
著書に、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』(読売文学賞)、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『オリガ・モリソヴナの反語法』(Bunkamuraドゥマゴ文学賞)、『米原万里の「愛の法則」』、『マイナス50℃の世界』『ガセネッタ&シモネッタ』、本書『偉くない「私」が一番自由』
2006年5月ガンで歿。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

UMUYAS-YAH

2017年02月16日 | 食べ物

UMUYAS-YAH (ウムヤスヤー)

(2020年現在、このお店は閉店しています。よく10年以上続けたとびっくり、そして感謝しています。ありがとうございました。)

 

店名とおりにゆっくり落ち着ける店、ウムヤスヤー(宮古島の言葉で「安らげる家」)へ行った。
なにかとランチに寄る店なのだが、私たちには隠れ家的で、もう通って10年近くになる。
混むと困るので、他の人には教えてこなかったが、ついに?ご紹介。

吉祥寺の駅からヤマダ電機脇の末広通りを5,6分歩いた右手のレンガの普通のマンションの2F。

看板が立っている入口を入り、左手の階段を登って左側。写真に見える2Fの窓がお店。

沖縄の料理がメインで、いつもゆったりと空いていて、落ち着ける場所です。
オーナーシェフ(オーバー?)の女性が料理上手で、何を頼んでも一人で手早く作って、なにより美味しい。

今日は、ランチプレート(スープ、飲み物付き)

まず、スープ

珍しいものも混じって、いろいろあって楽しいプレート

飲み物は、冷たいストレート紅茶。相方は温かい紅茶のレモン添え。

 


パソコンにあった以前撮った写真は、豆乳のスープごはんと、不明

 

 

メニューは、

単品(いずれも千円以下)
ソーキそば、ラフテー丼、ソーキときのこのスープカレー、豆乳のスープごはん、タコライス、沖縄やきそば、チャーハン

ドリンク
 コーヒー、紅茶、うっちん茶、さんぴん茶、ジュース類


東京都武蔵野市吉祥寺南町ユニアス祥南 2F2-13-3
営業時間:11:30-23:00、土日は12:00-、水曜休み、ランチ 11:30-15:00

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綿矢りさ『私をくいとめて』を読む

2017年02月13日 | 読書2

 

綿矢りさ『私をくいとめて』(2017年1月30日朝日新聞出版発行)を読んだ。

 

 宣伝文句は以下。

黒田みつ子、もうすぐ33歳。一人で生きていくことに、なんの抵抗もない。だって、私の脳内には、完璧な答えを教えてくれる「A」がいるんだから。

私やっぱり、あの人のこと好きなのかな。でも、いつもと違う行動をして、何かが決定的に変わってしまうのがこわいんだ―。

感情が揺れ動かないように、「おひとりさま」を満喫する、みつ子の圧倒的な日常に、共感必至! 同世代の気持ちを描き続けてきた、綿矢りさの真骨頂。初の新聞連載。

 

 

 冒頭の合羽橋での「食品サンプル作りの一日体験講座」からの帰り道で、会話が始まる。

・・・会話だけど、声は出てない。話し相手は私の頭の中に住んでいる。・・・

「私の趣味って暗すぎると思う? 孤独なりにも、もっと有意義な休日の過ごし方があった? 正直に答えてよ、A」

「良い時間の過ごし方だったと思いますよ、楽しんでいらしたし」

Aが私をさりげなく気遣う口調になる。

Aは私の気持ちを察するのがうまい。当たり前だ、Aはもう一人の私なのだから。

全編を通して、このみつ子とAとの会話は続く。

 

 みつ子の過去のどうしょうもない恋愛の経緯、多田くんとの出会い、イタリア旅行、ディズニーランドでのダブルデートなどと続く。

 

漫画一面の表紙は、わたせせいぞう作。

 

初出:朝日新聞2016年4月1日~12月16日

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

 最近の綿矢さんの作品の中では良くできている。筋としては平凡だが、独り言の相手のAをはっきり取り出したのが正解で、綿矢さんの細かい感情の揺れを表現しやすくしている。

 

 イタリア旅行がただ挿入されているとの感がある。イタリアの濃密な家庭を見たことがその後に直接生きているという筋書きにはできなかったのだろうか。

 

 相変わらず、文章は上手く、若者表現?もおじいさんには魅力だ。

なのに会社の男性たちは新しく入荷される、ナムコ・ナンジャタウンのスイーツフェアに並びそうな ”ひんやり夏ジュレフルーツパフェ” や ”ベリーベリーぷるるんゼリー” またはイオンのフードコートに入ってる店のメニューにありそうな ”鉄板じゅうじゅう焼き肉” や ”目玉焼きのせデミグラスソースハンバーグ” みたいな女の子たちばかりに魅(ひ)かれ、しょっちゅう彼女たちの噂をしている。(p.33)

 

 男女の機微、会社社会にも巧みな表現がある。例えば、

でも男の人は暗くなりそうな話題になると、とにかく明るい景気の良い話題をしぼり出してきて雰囲気変えて忘れちゃうってことがある。男女カップルだと、『私が悩みを話してるのに、すぐ話題変えて全然真剣に考えてくれてない』って女の子のほうが怒り出しちゃうが、男同士だと案外スムーズに成り立つ。(p.50)

 

辛い顔していないと頑張ってないと思われる日本社会は、息苦しい。仕事をエンジョイしているうちはまだまだ序の口と思われて、次々と新しい仕事が降って来る。(p122)

  

 

綿矢りさ(わたや・りさ)
1984年、京都市生まれ。
2001年、高校生のとき『インストール』で文芸賞受賞、を受けて作家デビュー。
2004年、『蹴りたい背中』で、芥川賞を史上最年少で受賞。
2006年、早稲田大教育学部国語国文学科卒業。
2007年、『夢を与える
2010年、『 勝手にふるえてろ

2011年『かわいそうだね?』 で大江健三郎賞受賞

2012年、『しょうがの味は熱い』、『ひらいて
2013年、『大地のゲーム』、『憤死

2014年、結婚

2015年、『ウォーク・イン・クローゼット

2016年、『手のひらの京』 

 

 

 

登場人物

黒田みつ子:「一人で生き続けていくことになんの抵抗もない」一人暮らしの32歳。

A:みつ子の脳内にいる独り言相手。AはanswerのA。

多田くん:みつ子の会社の取引先の営業マン。みつ子の近所に住み、ときどき余った総菜をもらう。

ノゾミ:みつ子の会社の先輩で独身。

片桐直貴(なおき):真性イケメンで身長183cmだが、悪趣味な服装。ノゾミさんはカーターと呼ぶ。

皐月:みつ子の大学時代の友達。イタリア・ローマへ行き、結婚して暮らす。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏樹静子『腰痛放浪記 椅子がこわい』を読む

2017年02月11日 | 読書2

 

夏樹静子著『腰痛放浪記 椅子がこわい』(新潮文庫な18-10、2003年8月1日発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

「夏樹静子のお葬式を出しましょう」──苦しみ抜き、疲れ果て、不治の恐怖に脅かされた闘病の果てに、医者はこう言った。時には死までを思い浮かべた鋭い腰の疼痛は、実は抑制された内なる魂の叫びだった。そして著者もいまだに信じられないという、劇的な結末が訪れる。3年間の地獄の責め苦は、指一本触れられずに完治した。感動の腰痛闘病記。『椅子がこわい─私の腰痛放浪記』改題。

 

著者、夏樹静子は1993年からの約3年間、原因不明の激しい腰痛と異様な症状や障害に悩まされた。この本は、「この記録は、もしかしたら私の遺書になるかもしれない・・・」で始まる1995年の日記から始まる。

 

 激しい腰痛で、「朝から晩まで、ほとんどの時間、身体をエビのように曲げてジッと横たわって堪えている以外に何もできない。」


 夏樹静子は、結婚後、1969年、30歳で再び書き始めたときは2歳と0歳の子供がいた。

37歳で連載小説を何本も抱えてひたすら書いた。

1985年、46歳、頭の奥で蝉が鳴いているような音が絶え間なく聞こえたが、その音に慣れることで解決した。

1988年から目の疲れと痛みでろくに目を開けていられなくなった。

1993年54歳になって腰痛が始まった。

 当初はただ椅子に座れないだけだった。まもなくひどくなり、整形外科も、ハリ・お灸も、低周波も効かず、腹這いになったり、立ったまま原稿を書いたりしたが、痛く無い時間がほとんどなくなった。気功などあらゆる治療を試したが効かなかった。仕事にあくまで執着しつつ、次第にインチキくさいものにも頼っていく。世の中に腰痛に悩む人は多く、同時に大変な名医も多いのだった。

 この激しい腰痛が心因性だとは全く受け付けられない夏樹さんは、ついに、内科と心療内科の平木英人医師に出会い、あくまで心因性を否定し続ける著者にも奇跡が起こる。

 

 

初出:『椅子がこわい―私の腰痛放浪記』(1997年6月文藝春秋/ 2000年6月文春文庫)を改題し、2003年8月新潮文庫に。

なお、この経験を経て、いくつかの心療内科を訪ねて書いたのが『心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す』(2003年8月 新潮社 / 2006年8月新潮文庫)。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

 腰痛の経験が無い人はいかに痛みが激しいと書いてあっても、「痛いんだろうな」と思うだけで実感がない。

 また、様々な治療法が登場し、なかにはインチキじみたものもあるが(いずれの医療者も実名(多分))、どれにもまじめに精一杯対応する著者の真面目さ、熱中ぶりに、「こうゆう人が心身症になるのだろうな」と私は安心する。

 明るく向上心が強いが、負けん気も強く、せっかち、早口、完全主義者でワーカーホリックの著者の潜在意識が悲鳴を上げて本人に知らせているのに気づいてもらえず、結局もう仕事ができないように激しい腰痛を起こしていたのだ。なんたる人間の心の不思議!

 

 

メモ

啐啄同時(そつたくどうじ):禅で機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くとこと。

ヒナが孵るときに、ヒナが内側から殻をつつく音と同時に親鳥が殻を外からつつくと殻が破れる。

 

 

 

夏樹静子(なつき・しずこ)

1938年東京生れ。慶應義塾大学英文科卒。

在学中からNHKの推理番組の脚本を手掛ける。結婚で一時中断。

1969(昭和44)年江戸川乱歩賞に『天使が消えていく』で応募し、執筆再開。

1973年、『蒸発』で日本推理作家協会賞

1989(平成元)年に仏訳『第三の女』でロマン・アバンチュール大賞

2006年、日本ミステリー文学大賞を受賞。

その他『Wの悲劇』『白愁のとき』『茉莉子』『量刑』『見えない貌』『往ったり来たり心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す

多くのサスペンス物などTVドラマ脚本を書く。

本名出光静子で、夫はあの出光の一族。

2016年3月心不全で死亡。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

cafe & gallery HATTIFNATT

2017年02月09日 | 食べ物

 

吉祥寺駅から線路に沿って西荻方面に5分ほど歩いていて、おじいさんが言うのもなんだが、メルヘン風の可愛い店を見つけた。

2階に上がるのも面倒で、小屋風になった場所に座る。

子供向けの絵がいっぱいなので、美人の店員さんに「ここ、子供専用?」と聞くと、「そんなことありませんよ」とのお答え。

注文したのは、焼きなすのカレードリア ミニサラダ付き ¥850

メニューにある「ホワイトソースとカレーがからみあってたまらなくおいしいよ」から「たまらなく」を取ったくらい美味しかった。


帰ってから HATTIFNATTのHPを覗くと、2階はカワイイ絵に囲まれていた。おじいさん上がらなくて良かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ごはんや」でランチ

2017年02月05日 | 読書2

 


立川高島屋の「ごはんや 農家の台所」でランチした。

メニューは季節の御膳2種、名物石焼、お魚の御膳、お肉の御膳、そして、いつもの御膳が各3種
メニューの文字が小さく、眼鏡なしの相方には読めない。


私は「たっぷり山盛り野菜香ばし石焼き膳」1,580円

相方は「鶏肉とテンペお野菜黒酢しょうがあん膳」 1,580円

両方に共通して最初に供されるのが野菜


「たっぷり山盛り野菜・・・」の方はこの野菜のお代わりができるのだが、思わず断ってしまう。
野菜はほぼ生で固い。本来の味なのだろうが、年寄りには・・・。


テーブルに卵が置いてあり、卵かけごはんで頂いた。あおさ醤油が美味しい。


野菜のお代わりを逃し、後から言うのも恥ずかしいので、代わりに卵をもう1個食べた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKスペシャル取材班『キラーストレス』を読む

2017年02月04日 | 読書2

 

 NHKスペシャル取材班著『キラーストレス 心と体をどう守るか』(NHK出版新書503 2016年11月10日発行)を読んだ。(執筆はNHKディレクターの青柳由則・梅原勇樹)

 

 表紙裏にはこうある。

NHKスペシャルシリーズ「キラーストレス」の出版化。知らないうちに、私たちの心と体をむしばむストレスを“キラーストレス"と名付け、そのメカニズムを最先端の知見で明らかにしていく。また、効果が実証されている「コーピング(ストレス対処)」や、世界で話題の「マインドフルネス」など、さまざまなストレス対策法を紹介する。ストレス大国ニッポンに生きる人々に警鐘を鳴らす一冊。

 

 

第一章 これがキラーストレスの正体だ
第二章 脳を破壊するキラーストレス
第三章 体をむしばむストレスの暴走
第四章 対策I 脳を変化させる運動と病を防ぐ食生活
第五章 対策II ストレスを観察し対処するコーピング
第六章 対策III 世界の注目を浴びるマインドフルネス
終 章 ストレスから子どもを守る

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

 いくつかの点では成るほどと思う知見が得られるが、基本的には従来から言われていることが書かれている。

 最新の脳科学の成果で、なぜそうなのかという立証された仕組みについて解りやすく説明されているが、私も、またおそらく多くの人も、人体の仕組み自体にはとくに興味ないだろう。

 

 びっくりするような新事実はないが、ストレスの重大さの説明は説得力あるし、ストレス対策法のマインドフルネス逓減法も具体的に説明されている。

 

 

以下、私のメモ

 

ストレスの正体と暴走の仕組み

 数万年前はストレス反応が必要だった。危険に遭遇したとき、心拍数が増え、血圧が上がり、血糖値が上昇し、エネルギーが全身に供給されて、闘うか、逃げる態勢が準備される。

 

 不安や恐怖を感じると、脳内の扁桃体が興奮し、対処指令が脳の視床下部へ伝わり、副腎はストレスホルモンの「コルチゾール」を分泌する。心臓は心拍数が増え、自律神経は全身の血管を締め上げ血圧が上昇する。

 

 仕事でノルマに追われるような「頑張るストレス」によりアドレナリンなどが過剰分泌され血圧上昇などが起る。一方で嫌な上司と毎日顔を合わせるなどの「我慢するストレス」が心の病につながる。

 

 慢性ストレスが与えられると、脳内にあふれたコルチゾールによって海馬の神経細胞がむしばまれ、突起が減少する。

 

 子供の頃に虐待など強いストレスを受けると扁桃体が大きくなり、刺激に過敏になり、ストレスホルモンがどんどん出るようになってしまう。

 また、虐待などのダメージを受けやすい時期が存在する。記憶と感情に関わる「海馬」は3~5歳の幼児期、左脳と右脳をつなぐ「脳梁」は9~10歳の思春期前、思考や行動を司る「前頭前野」は14~16歳の思春期以降にダメージを受けると特に容積が減少してしまう。

 

ストレス対策

(1)ストレスを避ける、(2)笑い、(3)友人や家族のサポートを得る、(4)運動、(5)瞑想

 

コーピング:ストレスがかかったときにどんな気晴らしをすれば気分が良くなるか、あらかじめリストアップしておく。ストレスの内容やレベルによって適切な気晴らしを選択する。

 気晴らしは出来るだけ多く、例えば100個。「鳥の唐揚げでビールを飲む」「叱っている上司の顔のほくろを数える」「『お前も大変だなあ』と自分を慰めてみる」「机の上を15分間だけ片付ける」「雨音を聴く」など。

 

「マインド・マンダリング」:目の前の現実についてではなく、過去や未来についてあれこれ考えを巡らせてしまう状態。脳がストレスを感じるとマインド・マンダリングの状態になり、心の状態を悪くしやすい。

 

「マインドフルネス」:今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情にとらわれないでいる心の持ち方。

 

実践マインドフルネス

(1)背筋を伸ばして、両肩を結ぶ線がまっすぐになるように座る

(2)呼吸をあるがままに感じる(膨らみ、膨らみ、縮み、縮みと実況)

(3)わいてくる雑念や感情にとらわれない(雑念から呼吸へ戻す)

(4)体全体で呼吸する。

(5)体の外にまで注意のフォーカスを広げていく(部屋の空気の動きや温度、広さ、部屋の外の音などに気を配る)

(6)瞑想を終了する(普段の自分に戻る)

 

例えば、入浴するとき考え事をせず、冷えた体が奥まで温まってきたなどその瞬間の感覚に注意を向ける。散歩中も考え事をせずに、風景、空気を感じる。マインドフルな時間を増やし、マインド・ワンダリングを減らす。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正月の花

2017年02月01日 | リタイヤ生活

昨年暮れに届いた正月用の花を今頃ご紹介


松、センリョウ、シンビジュウム(多分)、白百合(ややこしい名前だったはず)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする