hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

川上弘美『なめらかで熱くて甘苦しくて』を読む

2013年03月30日 | 読書2


川上弘美著『なめらかで熱くて甘苦しくて』(2013年2月新潮社発行)を読んだ。

小学生からおばあさんまでの人生の各段階での女性の根源としての性への思いを描く5編。各編で主人公は異なり、互いに関係はない。

新潮社の「刊行記念インタビュー」で川上さんはこう言っている。

最初は「性欲」について書こうと思っていたんです。でも書きはじめてすぐ、それだけ取りだすことはできないとわかった。生きること、死ぬこと、セックスのこと、それらは一人の人間のなかでいつもまじりあっている。どんなふうにまじりあっているのか、それを考えながら書きました。


「aqua(水)」
小3で同級生となった水面と汀が高校生になるまでを描く。高1の水面は「セックスってどういう感じのものなんだろう」と想像し、夢に見ても、よく分からず、「想像力の限界だな」と可笑しくなってしまう。

「terra(土)」
「わたし」が同じ大学の沢田と、沢田の隣に住んでいて、亡くなった加賀美という女性について話している。沢田は身寄りのない加賀美の骨壷を持って、わたしと寺のある山形へ出かける。
その話の中に、私が紐で手首を括る記述が、複数回挿入される。「甘い思いはほとんどない。ただあなたの体とわたしの体をふれあわせたい。」

「aer(空気)」
そのしろものはとてもやわらかくて垢がたまりやすくて熱くてよくわめくものだった。しろものが出てきた時は苦しくて痛くてずるっとしていて時々は途中で眠ってしまってようやく出てきたらあんまり紫色でみにくいのでがっかりした。
と、始まる。
体がコドモをつくることを欲する、そのために男と恋愛をするように体がしむける。狂ったように男を好きになり、・・・コドモができる。するととたんに男は必要ではなくなる。ほらやっぱり、どうぶつじゃん! かんたんすぎて、涙がでる。

「ignis(火)」
男女の30年に亘る関係を描く。(参考『伊勢物語』)

「mundus(世界)」
子供の頃埋めたブリキ箱/2人の愛妾を持つ祖父/ナミとキミという化け猫/“それ”の不在、等々、捉え難い話がバラバラと並べられる。
新潮社の「刊行記念インタビュー」で川上さんは

川端の「掌の小説」のように独立しても読め、一篇の話としてつながっても読めるものにしたかったんですね。それでなんとなく「/」を使ってみました。自分のなかにあるごったなイメージを投げ込んでみました。



初出はいずれも「新潮」、aqua:2008年1月号、terra:2008年8月号、 aer:2009年1月号、ignis:2009年7月号、mundus:2012年9月号



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

「セックスと性欲のふしぎを描くみずみずしく荒々しい作品集。性と生をめぐる全5篇。」なる宣伝文句に眉をひそめて、しかたなしに(?)読んでみた。性描写なしで、性の根源に迫ろうという試みのようであった。(ガクッ)

「aqua」での少女時代、主人公の水面の他に多くの友人が登場し、名前を覚えようとするが、以後はほとんど登場せず、結局水面と汀の話だとわかる。読みにくい。

「terra」は、トーンがまったく違う文が混ぜ合わされ、終盤で「わたし」が実は・・・となる。混乱させられるが、もう一度ゆっくり噛み締めると、じっくり味がでる。

「aer」は、女性の自分の産んだコドモに対する微妙な気持ちの揺れ、変化が興味深く、確かに女性は動物的だと思う。もちろん、いい意味でで~す。

読んでる時は、物足りないし、わけわからないし、「こりゃ、二つ星だな」と思っていたが、読み終わってから、パラパラ読み返しながら、この感想文を書いていると、ジワーっと、良さがしみだしてくる。意外と良いかも、この小説。



川上弘美の略歴と既読本リスト




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姜尚中『生と死についてわたしが思うこと』を読む

2013年03月27日 | 読書2

姜尚中著『生と死についてわたしが思うこと』(朝日文庫2013年1月朝日新聞出版発行)を読んだ。

「アエラ」の連載コラム「愛の作法」の2007年12月17日号~2012年11月26日号掲載分から抜粋したエッセイだ。

まえがきは、「極度の神経症で苦しんだ姜さんの長男が『生きとし生けるもの、末永く元気で、さようなら』という言葉を残して、帰らぬ人になった」と始まり、3・11の悲劇に続く。

3・11を経て私は初めて自分が、日本の中でマイノリティーではあるけれどパトリオットだ、ということを痛感しました。パトリオティズムは愛国と愛郷の二重の意味がありますが、このパトリオットは、愛郷者という意味です。

・・・自分の座右の銘を思い浮かべました。「すべてのわざには時がある」。すべての物事には起こるべきタイミングがあるという旧約聖書の言葉です。




私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

姜さんの書いていることにはおおよそ賛成できる。しかし、あえて言うと、安直な正義の味方の匂いがする。

表紙と最初のグラビア8頁に自分の写真を載せる神経は私には信じられない。



姜尚中(かん さんじゅん)
東大大学院情報学環・学際情報学府教授。専攻は政治学・政治思想史。テレビなど各種メディアに出演。姜さんは、4月からは聖学院大学の教授になる。
1950年 熊本県熊本市生まれ
1979年 早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。30代で洗礼を受けた。
1996年 ドイツ エアランゲン大学に留学の後、国際基督教大学準教授などを経て
1998年 東京大学社会情報研究所助教授、2004年 教授
2010年 東京大学大学院情報学環 現代韓国研究センター長
主な著書に『オリエンタリズムの彼方へ――近代文化批判』、『マックス・ウェーバーと近代』、『ナショナリズムの克服』、『姜尚中の政治学入門』、『日朝関係の克服』、『在日』、『ニッポン・サバイバル』、『愛国の作法』、『悩む力』、『母~オモニ』など。


  

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浅田次郎『かわいい自分には旅をさせよ』を読む

2013年03月25日 | 読書2

浅田次郎著『かわいい自分には旅をさせよ』(2013年1月文藝春秋発行)を読んだ。

取材や講演の旅や、司馬遼太郎、三島由紀夫についてのエッセイなどが並ぶ。後半には「男の人生とは」、「父とは」など、「まあ座れ、おまえな……」とオヤジの説教が。
矜持を持つ浅田さんの未刊行エッセイ集。街道での出会いを描いた短篇「かっぱぎ権左」も収録。

初めていただいた原稿料は一枚あたり千円。月15枚書いて、月1万5千円、年収18万円。その後5年はほぼ同じ。単行本が出ても、1400円の本が1万部。税抜きで年収100万円。さらに数年間悲惨な生活が続き、競争率100倍で突然年収数千万円になる。

文学新人賞は、年間二百数十件あり、中には応募が千編以上のものもある。受賞しても、200人の5年後生存率は1か2人だろう。

ラスベガスに通い始めて10年。1時間で億の金が動くハイリミット・エリアの常連の浅田さんは、宿泊代も飲み食いもタダで、空港からリムジンの送迎がつく。(カモネギ)

昔、自分を軍人だと信じて死んでしまった小説家がいたけれど、もしかしたら僕は、自分を小説家だと信じて死んでいく軍人なのではないか、とね。





私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

挿入された短篇小説「かっぱぎ権左」が良い。御家人としては、薩長に抵抗し上野の山に向かうべきだが、逆賊になれば家族まで科を被る。自宅の門を出るか、引き返すか。引き返した武士は、食うに困って街道でかっぱぎになり、門を出て家族を失った男は天下のかっぱぎにならんとする。

それにしても、浅田さんの文は硬い。とくにエッセイでは何事も断定するので、余計厳しく感じる。これらのエッセイを読む限り、小説での「泣かせの浅田」と同じ人とは思えない。
浅田さんの文章の里は、鴎外、谷崎、荷風であり、思春期に三島の洗礼を受けたからという。

司馬遼太郎のペンネームの由来は「司馬遷に遼(はる)かに及ばす」。



浅田次郎の略歴と既読本リスト


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曜変・油滴天目茶碗を拝みに

2013年03月23日 | 美術
3月20日、下北沢駅の小田急線下りホーム。各駅の次に「通過」とある。



下り方向を見ると、歩道橋の上にカメラを構える人が。



はたと気がついた。24日から下北沢駅は地下ホームになるのだ。通過するロマンスカーを待ち構えているのだ。
途中追いぬかれたロマンスカーは、古い型だった。子供の頃、線路脇に住んでいて、ピー、ポーと聞こえると見に走っていった私も、鉄爺とはならなかったので、興味なし。

成城学園で降りて、タクシーで静嘉堂文庫美術館へ。敷地内に入ってからも林の中を通って、入口へ。



休憩所から庭をパチリ。



館内撮影禁止。今回は茶道具がメインで、目玉は「曜変天目」。なにしろ、世界に4点しかなく、中国で作られたのに、4点とも何故か日本にある。そして、もっとも見事に虹色に輝く曜変天目が、ここ静嘉堂文庫美術館にある。
だいぶ前にも見たこと有り、感激した。そして、大阪の藤田美術館に出張の合間に行ったのだが、休館日で、曜変天目を見られなかったことを思い出した。

今回、曜変に次ぐといわれる油滴天目も展示されていたが、これがまた良い。茶碗の外側にも油滴があり、光があたって碗が透き通ったように見えて、見事だった。

もう一つ、ご機嫌だったのは、付藻茄子(つくもなす)と松本茄子(紹鷗茄子)。大阪夏の陣で大阪城と共に消失したと見られたが、焼け跡から探しだされ、破片から見事に修復されたものだ。家康が修復の見事さを讃えて、塗師に下賜した書状と共に展示されていた。破片がわかるX線写真もあったが、粉々の破片を、こんなにも見事な形に修復した腕に5つ星。

建物を出て、左手に、



大木に傍を通って、





え! こんな所をくぐるの? と思う狭い通路を通って、裏庭へ。



都内とは思えない木々。



階段を降りて、



林の中を散策。





結構敷地は広く、



岩﨑家廟もある。



上の道から下の道に出る坂道は、ハイヒールの人には大不興をかうので注意。





川を渡って、



正門を出てバスで二子玉川の高島屋へ。



レストランはどこも満員で、最上階11階へ行くが、高すぎる(何が?)ので、10階へ降りる。





なんと読むかわからないところに入り、



マルゲリータとボンゴレを2人でシェアー





ジュースと合わせて、4500円。二子玉の高島屋で上の方に行くと、美味しいが高い。

田園都市線の二子玉川駅からご帰宅。



以上、長々でした。



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渋谷東横線

2013年03月20日 | 日記
3月16日(土)東横線の渋谷駅が地下になった。

18日(月)、変わってから初めての通勤日、井の頭線から東横線の方へ行くと、



階段の登り口に、東横線の文字がない。



元の東横線の改札に出ると、工事中で、カメラを構える物好きな人(?)もいる。





外に出てぐるりと回るが、東横線の入口がわからない。



やっと見つけた入り口。



さすがに、地下5階まで下りる気はしなくて、そのまま、銀座線の入口を探す。



ここは、前の東横線の入口?

子供の頃からなじんだつもりの渋谷駅は、前から複雑ではあったが、迷うようになってしまった。



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川口則広『芥川賞物語』を読む

2013年03月17日 | 読書2
川口則広著『芥川賞物語』(2013年1月バジリコ発行)を読んだ。

第1回(昭和10年/1935年上期)から第147回(平成24年/2012年上期)までの芥川賞の、選考委員、受賞作、候補者と候補作、選考過程概要、選考のエピソードをまとめている。

1935年、第1回芥川賞の、選考委員は、菊池寛、佐佐木茂策、川端康成、久米正雄、小島政二郎、佐藤春夫、瀧井孝作、谷崎潤一郎、室生犀星、山本有三、横光利一で、候補者が、石川達三、外村繁、高見順、衣巻省三、太宰治というのだからすごい。

候補経験(落選)の多い作家たちに聞くと、
いちばんいやな気持ちだと口をそろえていうのは、選考前日の、インタビュー予約である。つまり、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などから「当選したら――」という前書きつきで予約をさせられるのだ。

(1963年当時からこんなことやっていたとは! 今だともっとひどいのでしょう)



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

ただただ、147回の選考過程が並ぶので、芥川賞に関心がない人には勧められない。

私には、個々の選考時のエピソードにも興味をひかれたが、賞のあいまいな選考ルールが年ごとにふらふらしながら、ある範囲に収まり、他賞を圧倒して最上位の賞としての地位を確立っていく過程、流れが面白かった。

例えば、1,2回は一般公募もあったが、見るべき作品が寄せられず、3回以降は同人誌などの中から選定する方法にしたのだ。今、一般公募したら、何万と集まって大混乱だろう。

候補作は、単行本作品は除外する、同人誌の他商業誌の対象にする、あるいは候補者は実績ある者は除外するなどのルールは変遷し、ときには例外と無視された。
(2012年『冥土めぐり』で受賞の鹿島田真希は、デビュー14年、11冊の小説刊行)

77年に渡り次々とデビューしてくる小説家のリストを見て、すぐ消える人、しばらく頑張る人、しぶとく続く人、一気に活躍する人、大衆小説や官能小説へ流れる人など、選考時の運不運とその後の消息が、人ごとながら、いや人ごとだからこそ面白かった。



川口則広(かわぐち・のりひろ)
1972年東京生れ。筑波大学比較文化学類卒。直木賞研究家
2000年からHP「直木賞のすべて
2008年上記HPのサブコンテンツ「芥川賞のすべて・のようなもの

川上弘美は1m76cmある! 石原慎太郎は東宝に入社して一日だか出社して退社した。


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中川恵一『がんの正体』を読む

2013年03月14日 | 読書2
中川恵一著『がんの正体』(2010年2月PHP研究所発行)を読んだ。

中川さんは、まず「がん」について正確な基礎知識を持ってもらいたいとわかりやすく明快にがんの正体を説明する。

●がん細胞は健康な人にも一日5千個できているが、免疫細胞(リンパ球)に殺される。

●突然異変で死なない細胞ががん細胞。免疫細胞を逃れて、10年~15年かけて1cm大になり、検査で発見できる大きさになる。

●がんが1cmから2cmになるには1~2年しかかからない。1年~2年一回の検診が必要。

●現在、日本人の2人に1人が、がんになり、3人に1人が、がんで死ぬ。

●日本は総医療費のGDPに占める割合は8 % 、OECD諸国30カ国中22番目で、アメリカの約半分。



私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

何と言っても、わかりやすい。正確な情報をわかりやすく伝えている。これが五つ星の第一の理由。

また、中川さんの死生観に私は共感できる。
中川さんは、病気で死ぬならピンピンコロリでなく、がんで死にたいという。数ヶ月から数年の猶予があり、痛み止めを適切に使えば、やり残したことを片付けられるからだという。(やり残したこともない私はどちらでも良いのだが、一般論として賛成する)

ある30代の外資系キャリアウーマンは、すでに完治しなくなった乳がんが発見された。説明を受けた上で抗癌剤治療はせず、脳の転移だけは放射線で治療した。無理な治療で生活の質を落とさずに、お酒を飲んだり旅行したりと楽しんで、人生を最後まで生き切ったという。

さらに、中川さんは、放射線科の医師で、緩和ケア診療も行う医師として、日本では手術に比べ照射線治療が少なすぎること、また激痛を緩和する医療用麻薬がアメリカの1/20しか使われていない現状を変えていくべきと主張している。
この点も多分そうであろうと思う。
勤務医が開業医に比べ、長時間勤務、相対的低賃金の劣悪な環境にあると指摘している。これも事実だろう。なにしろ、日本医師会は圧倒的に開業医が支配しているのだから。



中川恵一(なかがわ・けいいち)
東京大学医学部附属病院放射線科准教授/緩和ケア診療部長
1960年東京生れ、1985年東京大学医学部医学科卒。放射線医学教室入局。
がんのひみつ
中川恵一、養老孟司、和田秀樹著『命と向き合う - 老いと日本人とがんの壁
  
中川さんは、原発事故による放射線の人体への影響について、データに基づいてあまり心配ないと主張しているので、一部の人からボロクソに非難されている。それでも言うことは言わねばと頑張っている。

本書にあったおすすめサイトは以下。

がん情報サイト
国立がんセンターの「がん情報サービス」 :各種がんのイラスト入り解説

「日本対がん協会」 :がんと、がん検診の啓発

がん研有明病院の「がん・医療サポートに関するご相談」 :がんになって最初に読む入門篇

「がん情報サイト」 :米国国立がん研究所配信の最新がん情報(日本語)など

セコンド・オピニオン外来
「がん診療連携拠点病院」 :地域の相談窓口

「日本臨床腫瘍学会」 :抗癌剤の専門医のリスト

「日本放射線腫瘍学会」の専門医名簿 :認定施設のリストもある

緩和ケア病棟のある病院の情報
国立がんセンターがん対策情報センターのHP :緩和ケア病棟のある病院の情報

在宅ホスピス協会のHP



以下、私のメモ

●細胞は52回細胞分裂すると死ぬ。しかし、突然異変でDNAが変化すると大部分の細胞は死ぬが、生き残った細胞ががん細胞(死なない細胞)になる。10年~15年かけて30回細胞分裂して10億個になり1cm大になり、検査で発見できる最小の大きさになる。この段階で「がん」という病気になる。

●暴走する細胞であるがんは何倍もの栄養を必要とし、患者はやせていく。

●現在、日本人の2人に1人が、がんになり、3人に1人が、がんで死ぬ。

●がんは40歳ごろから増加するので、平均寿命が30~40歳の国ではがんはほとんどない。

●ごく一部(5%)のがんを除いて、がんは遺伝しない。家族の生活習慣の影響はある。

●がんは生活習慣病。野菜中心、適度な運動、タバコは吸わず、酒は少々で、リスクは半分になる。

●がんの早期発見のチャンスは1年~2年しかない。がんが1cmになるまで10年~15年かかるが、それが2cmになるには1~2年しかかからない。
(高齢者の前立腺がんは進行が遅く、手術のリスクもあるため治療(検診)の必要は少ない。膵臓がんも進行がはやく早期発見は困難)

●がんは生まれた臓器から栄養を奪って大きくなるが、さらに新天地を求めて拡大する。これを食い止める関所が「リンパ腺(リンパ節)」(血液の乗って拡大するがんもある)。
抗癌剤や放射線で退治しきれなかった強いがんは進化して「スーパーがん」になる。

●治療から5年後に生きている確率が、「5年生存率」。
「肺がん」や「食道がん」など5年生存率があまり高くないがんは5年以降の再発はあまりみられない。
「乳がん」「前立腺がん」「大腸がん」など治りやすい(5年生存率が高い)がんでは、再発率が高く、10年生存率を治癒率と考える。

●転移していたら「完治」は難しく、「延命」が治療の中心になる。

●再発したら完治させることはさらに難しくなる。また、再発時期が、治療後すぐであれはあるほど治癒は難しい。治療と癒しのバランスを取る必要がある。

●日本は総医療費のGDPに占める割合は8 % 、OECD諸国30カ国中22番目で、アメリカの約半分。

●がん治療を行う病院の勤務医は、開業医にくらべ、勤務時間は数倍、収入は半分。




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築地場外市場

2013年03月12日 | 食べ物
地下深い大江戸線の築地市場駅を降りると、すでに魚臭い。さすが、築地市場と思った。
ところが、よく見ると、駅へ戻ってくる多くの人がビニール袋を下げている。どうやら、その中身が魚臭かったようだ。

上から見た築地市場。隅田川の向こうは月島だろう。



ビル群の手前に隅田川、見えないが左手に晴海通りが奥へ伸びている。



築地市場の向こうにレンボーブリッジ。



築地場外市場は9時から12時まで、既に17時を過ぎて多くの店がシャッターを下ろしている。わずかに空いていた「築地 すし一番」に入る。

入り口には来店の有名人の写真が。チェーン店のようだから、別にこの店に来たんじゃないと思ったりして。



私は、「本日仲卸おすすめ10貫にぎり2780円」



奥様は、「白身・光物8貫にぎり1785円」



私には、嫌いな「イクラ」と「ウニ」が別に付いて来たので、半分譲り、光物をいただく。
TVだったら、「う~ん、極旨」というのだろうが、「おいしいね」「そうね」とやりとり。





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宮下奈都『スコーレNo.4』を読む

2013年03月10日 | 読書2

宮下奈都著『スコーレNo.4』(光文社文庫み30-1、2009年11月発行)を読んだ。

骨董店の長女、麻子が自信を持てないまま、中学生から社会人へと成長していく4話。
可愛い妹と常に比べられて育ち、妹のように激しく何かを求める気持がなく、自分には何かが欠けていると感じながら成長していく麻子。

No.1
母、祖母、18ヶ月違いの妹七葉(なのは)と、76ヶ月下の紗英、父と、家族がすべてだった中学生の麻子が一瞬の恋をする。

N0.2
地元の共学の公立高校に通う麻子。唯一の身近な男性、8歳上の従兄弟の慎と映画館や骨董店に通う。しかし、大胆な七葉が・・・。

No.3
七葉と離れるために家から通えない大学に入り、そしてなんとなしに輸入貿易会社に入社。しかし配属先は、靴屋。同僚や先輩と違い、靴が好きという気持ちになれないために引け目を感じる麻子。自分勝手な恋人とは、距離ができる。しかし、骨董店で身についたのだろう靴の値段がわかってしまうことに気づき、店でも認められるようになる。

No.4
本社に戻り事務仕事する麻子はミスの連続。イタリアでの靴買い付けの出張で行ったイタリアの靴会社で靴にかける思いに共感し、積極的に商談をまとめるようになる。気持ちがよりそう男性も現れ・・・。

巻末で北上次郎が書いている解説もなかなか良い。

2007年1月光文社刊(書下ろし)



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

もう少しだけ貪欲ならと、少しずつ成長していく女性の姿が丁寧に描かれている。

最初の2章では、青い恋、年上の従兄弟への想い、激しい妹七葉の行動に打ちのめされると、少女マンガのようで、お爺さんにとってはキツかった。
3,4章で、就職してから、人並みの能力はあるのに、中途半端だと自信を持てず、地に足が付いていないと感じる麻子。不安の中から、骨董で培った美意識を生かして成果を上げ、周りの人に認めてもらえるようになる過程はよく書けている。



宮下奈都(みやした・なつ)
1967年福井県生れ。 上智大学文学部哲学科卒。
2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に入選、デビュー。
2007年『スコーレNo.4』がメディアで絶賛され、ヒット。
その他、『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『メロディ・フェア』。
参考「作家の読書道




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宮下奈都『誰かが足りない』を読む

2013年03月07日 | 読書2

宮下奈都著『誰かが足りない』(2011年10月双葉社発行)を読んだ。

「誰かが足りない」という気持ちを持つ客たちが、10月31日午後6時に、評判のレストラン「ハライ」で偶然一緒になる。彼らの心持ちをさらりと、しかし丁寧に描いた6つの短編集。

6人の主人公たちは、優しく、不器用で、歯車がどこかずれていて、生き難さを感じている。
別れた彼女との思い出にしがみつき、定職につけない青年。認知症が始まった女性は、家族から試す質問を度々受けて不機嫌になり、夫がまだ健在と思えてしまう。母を失い、妹と2人残された青年は引きこもり、ビデオカメラを通してしか会話できない。

しあわせな記憶がこの人を支える。
思い出せるしあわせだけではない。思い出せない無数の記憶によっても人は成り立っているみたいだ。しあわせだったり、そうでなかったり、うれしい思い出も、悲しい欠片も。

「失敗自体は病じゃないんだ。絶望さえしなければいいんだ」


ハライとは、どこかの国の言葉で「晴れ」の意味だという。

『小説推理』掲載に加筆修正して単行本化。


私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

心の中の何かを失ってしまった人たちが、さらりとさわやかに描かれていて、静かに心にしみこんでくる。「誰かが足りない」という人々が席を空けたまま集まるレストラン「ハライ」という構成も面白い。

各々の疎外された人の心がよく汲み取れているが、とくに認知症になった女性が、過去が現在になってしまったり、ときに正常になったり、混乱する様子が手に取るように書けている。

しかし、逆に、ひとつひとつの話は、分量もないので、そこそこおもしろいのだが、突っ込みが浅く、習作といった感じで物足りない。したがって、読後感もいまひとつすっきりしない。

出だしなどの情景描写は見事だし、文章も読みやすい。あえて言うと、全体的にさらりと書けているのに、ごく一部に、わざわざ追加しないほうが良いと思える箇所が散見された。例えば、難病物と勘違いして『死に至る病』を買ってしまった話や、
美果子が結婚すると聞いて、僕の身体にひびが入った。ぴきん、というその音が実際に聞こえた気がする。どこにひびがはいったのだろうと思って身体じゅうをくまなく探したけれど、見当たらなかった。危険だ、と思った。ひびを知らずに・・・

などは書きすぎではないだろうか。



宮下奈都(みやした・なつ)
1967年福井県生れ。 上智大学文学部哲学科卒。
2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に入選、デビュー。
2007年『スコーレNo.4』がメディアで絶賛され、ヒット。
その他、『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『メロディ・フェア』。
(私は、この著者をまったく知らなかった。「作家の読書道」に経歴などが書かれている)

3人目の子供がお腹にいる頃に「今書かなかったら一生書かないんだろうな」と思ったんです。・・・『文學界』の締切が6月30日で、子供が生まれたのが7月1日で。それでもうダメだとは思わなくて、授乳しながら手書きで書いて、パソコンで清書して、次の12月31日の締切には間に合いました。それが佳作になったのでラッキーでした。
(これが「静かな雨」)



以下、メモ

予約1:
故郷の北の町を出て、この町で大学を出てそのまま就職して8年。アルバイトからそのままコンビニで働く若者。恋人はゼミで同期の男と結婚すると噂で聞く。恋人と評判のレストランのハライに行くことを夢見る。

予約2:
「最近、どんなニュースがありましたか?」と息子も、誰もかも人を試す質問をする。不快だ。まだらボケの女性は、かって家族の中心だった過去を忘れられない。夫の死を受け入れられず、
おとうさんという言葉で、父か夫か混乱し、未だ夫とハライに行くことを夢見る。

予約3:
係長になって、同僚達の尻拭い要員として遅くまで働かされる彼女。幼馴染みのヨッちゃんが失敗続きで帰ってきた。2人でハライを予約しようか?

予約4:
引きこもりで、ビデオカメラ越しにしか人と関われない兄。今を生きて欲しいと願う妹は、表情を変えない不思議な友人と3人でハライを予約しようとする。

予約5:
ホテルのレストランのオムレツ係になった彼は、ようやくたどり着いた係。お客の彼女が好きになった彼は、トントン拍子に彼女と知り合い、ハライを予約しようとする。

予約6:
幼いころから他人の「失敗の臭い」を嗅ぎ分けることができる女性。10歳時の体験からこの能力を恐れてきた女性が出会った青年と・・・。


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津川安男『江戸のヒットメーカー』を読む

2013年03月04日 | 読書2
津川安男著『江戸のヒットメーカー -歌舞伎作者・鶴屋南北の足跡』(2012年11月ゆまに書房発行)を読んだ。

あの手この手と諧謔のかぎりをつくす南北の旺盛なサービス精神は評判を呼び人気となる。

多くの芝居は、例えば、心中事件や、天竺徳兵衛の異国体験など、はじめにある事実がある。これを芝居に仕立てて、繰り返すうちに、客に受けるのを至上とする作者の趣向が加わり、「うそ」がまじり、「まこと」との境目がわからなくなる。忠臣蔵などは、後にはパロディ化したり、忠臣が実は悪玉だったりと変化させられる。

悪をかっこよく見せる芝居がはやるのを見た南北は、美貌の女形、普段は豪華な衣装をまとう岩井半四郎に、最下層の切見世女郎「悪婆」をやらせて評判をとった。

主な役者が暑い江戸を離れる夏に何か客を呼ぶ台本を用意して欲しいと、尾上松助(後の初代尾上松緑)が俵蔵(後の南北)に頼む。相談の末、天竺徳兵衛の人形浄瑠璃の台本を改作して、池に飛び込む「水中早替り」の仕掛けを工夫し、大評判となる。これが、南北の出世作。

芝居の初日前の宣伝にも力が入る。天竺徳兵衛の初演時、「早替りはキリシタンの妖術」という噂を流し、評判を煽ったが、町奉行所が取り調べに来る騒ぎになり、興行は大入りとなった。
小平次役の松助が怪談の本読みをしていたら雨戸が大きな音を立て、翌日から高熱を発した。霊をなぐさめる施餓鬼を盛大行い、松助は人の肩にすがって出た。イベントの翌日には松助はケロリと治っていた。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

南北の時代は、まだ歌舞伎が「かぶく」であったことがよく分かった。
江戸の歌舞伎の大きな流れと、その中で鶴屋南北の果たした役割は、歌舞伎に詳しくない私にもよく理解できた。しかし、話の都合上どうしても、歌舞伎の演目の簡単な紹介が数多く続き、知識のないものにはわかりにくい。著者のウンチクで脱線する場合も多く、話の筋道をよけいわかりにくくしている。

受けるためには何でもありの南北のやり方は、現代のTVに通じる。著者が元TVマンであるのも納得。




津川安男
大阪市出身。早稲田大学卒業後、1962年NHK入局。演劇を素材とする中継番組、テレビ小説などを担当。ドキュメンタリー「雪と炎の祭り」でダブリン国際フェスティバル銀賞受賞。
1990年、ドラマ部チーフプロデューサーでNHKを退職。株式会社東京芸術プロジェクト設立。
2000年から著述業に従事する。
著書に『徳川慶喜を紀行する―幕末二十四景』『元禄を紀行する―忠臣蔵二十二景』『歌舞伎いま・むかし』など。

鶴屋南北
1755?1829。三代目の女婿で四代目。通称:大南北。活躍したのは、文化文政(1804~1830)。
初代勝俵蔵は49歳ではじめて立役者となり、57歳で四代目鶴屋南北になった。
最も有名なのは「東海道四谷怪談」。文化文政期の爛熟した町人文化を代表する。
初代尾上松助と怪談物、七代目市川團十郎・三代目尾上菊五郎・五代目岩井半四郎・五代目松本幸四郎と生世話物を確立。また、怪談物では巧妙な舞台装置を創った。




以下、メモ

七代目団十郎の助六と菊五郎の助六が二日違いで鉢合わせし、両者が険悪になり、一緒の舞台に立たなくなった。南北は、2人が互いを認め合う芝居を作り和解させ、評判となる。(このたびのTVニュースで両家が親戚となったのはめでたいことである)

夜明けから日暮れまで終日かけてやっていた当時の芝居は、長い台本が必要で、数人の作者が手分けしてつくる。


75歳になった南北は、死に臨んで弟子を集め、思うところを書き残したと冊子を渡し、目を閉じる。皆が読んでいると、棺が壊れ、なかから南北が出てきて、歌いながら踊ったという。

大正から昭和にかけて南北ブームが起きた。近代の傾向の反省にたち、明治を「かぶく」のに南北を必要としたのだ。賛否両論を巻き起こした市川猿之助(三代目)の復活通し狂言にも、保守的状況を「かぶいて」見せるため、南北作が少なからず含まれていた。


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吉祥寺のレストラン

2013年03月01日 | 食べ物
吉祥寺、と言っても、駅の東側の安全な?末広通りのカフェとレストランのご紹介。
歳なので、夜は出歩かないようにしており、いつものようにランチのみ。

CafeMiMiは、フランス人(多分)の奥様のいるカフェ。



私の奥様はキッシュのプレートと、けっこうな量のカフェオレ。





私めはクスクスと紅茶のアールグレー。
(クスクスとは、小麦の粗挽き粉を蒸したものにシチューやスープと付けあわせたもの)





店内はフランス語の本棚などがあり、梁の上には、おじさんが。



レシートは、いかにも外人さんの手書き。




もう一軒は、フランスレストラン、プティット・メルヴィーユ。



昼なのに予約したからだろうか、個室へご案内。



指揮者の佐渡裕似のシェフ(多分オーナーシェフ)がご挨拶とメニューの説明。
ダージリン紅茶には大きな氷が入っていて、



氷に色が付いている。解け出しても薄まらないように、紅茶を凍らせてあるという。



オードブルは、いろいろなものをゼリーで固めてある。見た目も鮮やかだで、とくに美味。



パンも美味しく、3個もいただきました。どうしてレストランのパンは美味しいのだろう。



スープは、どことかの紫芋に牛乳を泡立てたものがのっていて、かき混ぜてからいただきます。



メインの魚はヒラメ。



続く牛頬肉は、ホロホロと崩れるほどの柔らかさ。



品の良い、小さなデザート、と思いきや。



コーヒーはお代わり付き。



可愛く美味しい品が次々と出てきて、プティット・メルヴィーユ Petite Merveille(小さな感動)の塊で感激。

奥様大満足で、私めも幸せ。 2人で8400円もお高いとは思えませんでした。





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