hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

雨宮塔子「それからのパリ」を読む

2009年08月31日 | 読書2
雨宮塔子著「それからのパリ」2006年6月、祥伝社発行を読んだ。

最初と、真ん中に各8ページの写真がある。さすがにシックでオシャレな雨宮さんのパリ生活、住まいが垣間見られる。本文は、「暮らすこと」、「食べること」、「装うこと」、「フランス語を通じて」の4章から成る。

この本は、「NHKテレビフランス語会話」などに連載したエッセイに加筆・訂正したもの13編に、書下ろし13編を加えたもので、「金曜日のパリ」の続編にあたる。

なお、雨宮ファンのわが奥様は、2007年発行の「小さなパリジャンヌ」を図書館に予約中で、まもなく私も読まざるを得ないことになるだろう。
「私の借りた本をかってに読んで、バカにしたようなことばかりブログで公開しないでください」と、どなたかの声が聞こえそう。「いや、私の読むのとは毛色の変わった本をいつも読まさせていただいております。なにしろ、日ごろのご迷惑な行動や、トンチンカンな対応を反省しておりまして、手遅れとは思いますが、女性心理を勉強させていただきたいものですから、ハイ」

2009年発行の最新刊の「パリごはん」は図書館の順番待ちが非常に多く、沈静化するのを待って予約するとのこと。ただし、その本のもとになった「パリごはん」は、今でもWebマガジン幻冬舎(ネット)で読める。



「暮らすこと」はフランスでの子育てが中心の話だ。子どもを預けても夫婦中心の生活を守るフランス流にとまどう塔子さんに、この本を読む日本女性は高感度を増すだろう。

「食べること」は、フランスのマルシェ(市場)などでのおいしそうな食材や料理の様子が紹介されている。値段の話があまり出てこないので、賞味期限近くの価格20%減を探しまわっている身には、ただ「ああそうですか」と言うしかない。

「装うこと」には、流行の服を買うだけでなく、リサイクルとか、直しとか、自分にあったものを手に入れる“いい女”な“ママ”が多いパリが語られる。

「フランス語を通じて」は、フランス語の単語、文章が出てくるので、私には読みにくい。相手に合わせるのでなく、自分の考えをストレートに伝えることが、まず自分のためであり、そして結局相手のためにもなるというフランス人の考え方が述べられている。その考え方が、とっさに反応する言葉に表れてくる。言葉から気持ちを類推するこのあたりの感性はさすがアナウンサー。



雨宮塔子は、1970年東京生まれ。成城大学文芸学部英文学科卒。1993年(株)東京放送(TBS)入社。「どうぶつ奇想天外!」「チューボーですよ!」など数多くの人気番組を担当する。1999年3月TBSを退社し、単身パリに遊学。西洋美術史を学ぶ。2002年フランス在住のパティスリー・サダハルアオキ パリのオーネーシェフ・青木定冶氏と結婚。2003年7月長女を、2005年に長男を出産。現在はフリーキャスター、エッセイストとして活躍中。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

パリでの暮らしの実際を知りたい人は、ひったくりが多いなど、パリの負の面に触れていなしが、ハイレベルな生活に限り、実感できるだろう。
いやみな言い方になったが、少なくとも、(少ないと思うが)塔子さんファンなら是非読みたい本だ。

私は、自分勝手で相手のことを考えないし、他人の意見に反対ばかりすると、常々どなたかに非難されている。駐車している車にぶつけても、まず相手をすごい勢いで非難するらしい(この本でなくどこかで聞いたことがある)フランスでは、そんな私でも、暮らす自信はない。この本を読む限り、普通の日本女性ほどの控えめな塔子さんがパリで暮らしていくには、大変なことも多いだろう。


コメント

日下圭介「蝶たちは今・・・」を読む

2009年08月29日 | 読書2

日下圭介著「蝶たちは今・・・」講談社文庫、1978年7月第一版発行を読んだ。

この作品は昭和50年度(1975年度)江戸川乱歩賞を受賞した作者のデビュー作だ。

旅先で間違えられたバッグの中には一通の手紙があった。しかし、差出人も受取人も故人。
死者から死者への手紙という不可解さに最初から引き込まれていく。「・・・いた」「・・・見えた」「・・・鳴いた」と、“た”で終わる短いセンテンスが続く。的確な描写と、小気味良いリズムの文章はいかにも新聞記者のものだ。

基本的には、現在成功している者が、過去のことで謎の人物に脅かされるというパターンだ。巻き込まれた学生二人が回り道しながら徐々に核心に迫っていく。その間、32人もの多くの人が入れ替わり立ち代わり登場して彩を添える。
季節と共に移動する種類の蝶がいるらしく、蝶の話が要所、要所でキーとなっている。

34年ほど前のミステリーなので、最近はやりのものとはおそらくだいぶずれているのだろうが、ミステリーをほとんど読んだことがない私には今でも楽しく読めた。



日下圭介(くさか けいすけ)(1940年1月 - 2006年2月)は、東京生まれ、和歌山県育ち。1962年早稲田大学商学部を卒業、朝日新聞社入社し、地方記者を経験。1975年、本書「蝶たちは今…」で江戸川乱歩賞、1982年「木に登る犬」、「鶯を呼ぶ少年」が日本推理作家協会短編賞を受賞。1984年退社し専業作家となる。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)



昨年のマンションへの引越しに伴い、まだ読んでない本と、これぞという数冊の本だけ残し、大方の本は整理した。一つだけ残した隙間本箱の奥に残っていたこの本を先日見つけ、捨てる前に読んでみた。

かなりな数の人が出てくるのだが、最初から怪しげな人はわかるし、トリックもすっきりこない。しかし、話の展開は小気味良いし、ベタベタしない文章も私好みだ。それにしても、名前が出てくる人だけで32人は多すぎる。名前と関連のメモを残しながら読まないと年寄りにはキツイ。一人当たりじっくり描かれていないので、魅力的な人物は登場しないので、小説としてものたりない。




コメント

「「無税」入門」を読む

2009年08月27日 | 読書2

只野範男著「『無税』入門」飛鳥新社2007年10月(第1刷)発行を読んだ。

サラリーマンは所得税、住民税などを毎月給与から天引きされている。この税金を減額することはできない。せいぜい、確定申告して10万円を超えた医療費分を所得から差し引くことができるくらいだ。
著者が薦める方法は、副業を持って、税務署に「開業届」を出し、サラリーマン兼自営業者になり、副業収入からたっぷり必要経費を引いて、赤字の事業所得を給与所得と合計し、合計所得が赤字として確定申告することだ。

給与所得、事業所得、不動産所得、譲渡所得、山林所得は黒字と赤字を損益通算できる。例えば、給与所得400万円、事業所得が赤字500万円なら、真の所得は-100万円になり、給与から引かれた税金は、確定申告することにより、後に還付され、結局無税になるという。

著者はサラリーマンのかたわらイラストレーターで、イラストの製作・販売の個人事業主として開業届を出してある。副業では、領収書は保存してあるが、従業員なし、仕入れなしで帳簿もつけてないという。なお、副業禁止になっている会社もあり、少なくとも届出はしておいた方が良い。

個人事業主としないと、イラスト販売は雑所得にしかならない。必要経費25万円がかかれば、原稿料収入(20万円)では赤字で所得0となり、源泉徴収料(22,222円)が戻ってくるが、それだけだ。つまり、事業所得とせず、雑所得のままでは、その赤字は給与所得と相殺されないのでうまみが少ない。
何が事業で、何が雑所得に過ぎないかはこの本を読んでもはっきりしないが、継続的に収入がないと事業と認められない。しかも、この場合の目的からいって、必要経費をどんどん載せて、赤字にできない事業では意味が無いことになる。

著者は、イラストの製作・販売を事業としていて、賃貸住宅の家賃、光熱費、通信費の半分を事業用として必要経費にしている。そして、この事業が赤字になれば、給与から、各種控除のほか、この赤字を引いて、総課税所得がマイナスになり、確定申告することで、支払った所得税(給与分+イラスト分+株式配当分)が全額戻ってくる。



著者の只野範男氏は、繊維関係の中小企業に勤め、来年定年の総務第2課営繕係長とある。



私の評価としては、★☆☆☆☆(一つ星:無駄)

著者の進める無税化方法は確かに一つの方法だと思うが、本当に税務署から認められる方法なのか確証がない。著者は37年間も税務署からお咎めがないから安全だし、何か言われたら直せば良いというが、たまたま今までは引っかかっていなかっただけかもしれない。少なくとも、税務署からみれば、事業として認めるか、事業に必須な必要経費なのか、グレーゾーンなのではないだろうか。
おまけにたとえわずかでも継続的に収入があり、事業として認められる仕事があり、必要経費が十分積めるサラリーマンはそんなに多くいないだろう。

内容も115ページも必要でなく数ページで十分なのに、同じことを何回も繰り返し、後半30ページ以上は税金の一般的な解説を付加している。



私は、自宅を人に貸し、引越し先で部屋を借りていて、差し引き赤字だ。しかし、確定申告では、年金に加えて不動産収入があることになり、その分税金が増加する。貸家にともなう必要経費は修理などそれほど積めるものでもなく、借家代を必要経費にしたいくらいだ。この本のように、不動産事業として届け出れば、もっと必要経費が積めるのかもしれないが、税務署からの情報に、貸家を不動産事業として届けるには、規模など明確な指標があったという記憶があり、多分無理だろう。


コメント

花井幸子「後家楽日和」を読む

2009年08月25日 | 読書2

ファッションデザイナー花井幸子著「後家楽日和(ごけらくびより)―降りない女で生きる」法研、2009年7月発行を読んだ。

未亡人のことを後家と呼ぶが、夫を送った後の人生をだれはばかることなく謳歌するおひとりさまを、「後家楽」と呼ぶ(上野千鶴子「おひとりさまの老後」)。

テーブルの上に置いてあった奥様が借りてきたこの本を見つけたとき、「なんで?やっぱり。頼もしいかも」などちぢに思いは乱れ、読まずにはいられませんでした。



やさしく、おだやかで、誠実そのもので、妻バカで、花井幸子さんが頼りきっていた(私と同じような)ご主人が突然亡くなる。この世も終わりかと思い、悲嘆にくれて半年、徐々に新しい力がわき始めたことを感じた。それからが大変。70歳過ぎた著者が、キレイ元気で楽しく生きる。(そのすさまじさには、とてもついて行けません)

健康やら老い先やらを不安に思い始めたらキリがありません。
でもね、と私はあえて言いたいの。過去の後悔や、未来の不安に「今」を奪われるのは最近の流行りことばじゃないけど、モッタイナイ!

恋することほど、オンナに生まれた幸福感にひたれるものって、ないと思います。私はこの先、80歳になろうと100歳になろうと、死ぬまで恋愛の予感を抱きしめていたい。

週5日、・・・自分の会社に出社し・・・週2回は出社前に美容院にいって・・・週1,2度はスポーツトレーナーが自宅にきて・・・週末の一日はエステティックサロンや鍼灸治療院で・・・お花、お茶、日本舞踊と3つのお稽古ごとに・・・




第1章 いくつになっても恋はできる
第2章 幸せになれるキャラと暮らし
第3章 キレイでいるための秘策
第4章 今がいちばん若いのだから
第5章 黄金の世代をどう楽しむか
巻末対談・女性成人病クリニック院長、村崎芙蓉子。



花井幸子は、1937年東京都生まれ。1959年セツ・モードセミナー修了。1964年ファッションデザイナーとして独立。1968年東京・銀座にオートクチュールのブティック「マダム花井」をオープン。1971年より東京・六本木に移し、「株式会社花井」として、プレタポルテ部門にも進出。1973年日本ファッションエディターズクラブ賞受賞。1981年NYに出店。1989年ザ・ファッショングループ会長に就任。1997年に「Yukiko Hanai」青山店をオープン



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

70歳を過ぎた著者の元気はつらつパワーを浴びれば、力がわいてくる女性も多いのでは。それとも、あきれて、自分とのギャップに凹むかも。

30ページほどメイク方法など美しくなる方法が書いてあり、男性向けの本ではない。旦那様に頼りきっていたという著者にハジケぶりに、私はあらためて女性が恐ろしく思えた。

なにもかもあからさまに、あっけらかんと、口語体で語る語り口は気持ちよいのだが、ファッション関係の仲間の集まりが40年以上続いていて、その理由に、銀座の高級レストランに気楽に集まれるという同じ階層に属していることとあった。贅沢な暮らしぶりといい、「何だ、結局、お金があるから元気なんじゃないか」とひがんでしまった。



コメント

雨宮塔子「金曜日のパリ」を読む

2009年08月23日 | 読書2
雨宮塔子著「金曜日のパリ」小学館、2003年12月発行を読んだ。

元TBSアナウンサー雨宮塔子が、退職してパリでひとり暮らしを始め、やがて結婚、出産までの約4年を語るエッセイ。初めての海外生活での体験、心情が素直につづられている。

ファッション誌「Oggi」の2000年1月号から2003年3月号まで連載していたエッセイをまとめたものだ。



30歳を目前に、アナウンサーという職を人気絶頂期に辞め、TBSを退社し、パリへ単身美術留学。「30歳を前にして、やりたいことを自分からやりにいく人生も悪くない」と、決意し始めたパリ生活。そこでの戸惑い、悩み、友情など、一年目、二年目、三年目と自分のあり方を確立していく過程を率直に語る。
各ページの下に小さいながらパリでの写真が載っていて、ファンにはうれしいかも。

日本でも雪の高速を飛ばして仙台までお寿司を食べに行ったことがあるという塔子さんはかなりな食いしん坊らしい。パリのグルメの話が多い。

パティシエ青木定冶氏との出会いは、このエッセイがもとになったという。また、
日本にいたころは何ひとつスパッリと切り離すということができなかったが、・・・入籍を唐突に決断した。
結婚は縁やタイミングとよく言われる、が、今回のことで自分なりにわかった・・・結局、縁やタイミングも、本人たちの、そうしたいという思いが呼び起こすものなのだということを。

(言ってくれるじゃない)



雨宮塔子は、1970年東京生まれ。成城大学文芸学部英文学科卒。1993年(株)東京放送(TBS)入社。「どうぶつ奇想天外!」「チューボーですよ!」など数多くの人気番組を担当する。1999年3月TBSを退社し、単身パリに遊学。西洋美術史を学ぶ。2002年フランス在住のパティシエ青木定冶氏と結婚。2003年7月長女を出産。現在もリポーターや執筆業を中心に仕事を続けている。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

雨宮塔子さんのファンは必読書だろう。なにしろ、TBSをやめて、パリに渡るところから、ご主人となる青木さんに出会って結婚を決断するまでが書かれているのだから。ちなみに、私は自然体に見える彼女はアナウンサーの中では好きな方だが、とくにファンではない。奥様が図書館から借り出した本が置いてあって、ついつい読んでしまったのだ。このブログで紹介する本も、「なんでおじいさんが読むの?」と思う本があるが、そんな事情だ。

退職し、フランスへ渡る前に、五木寛之氏から言われたという。
「そんなに肩肘張って頑張るものでもないよ。・・・他力本願って悪い意味に聞こえるかもしれないけど、流されるのはそんなに悪いものじゃない。でも、風が吹いてきたときにちゃんと自分で帆を張っておかないと動かないから、それをしておくことは大事かもね」


さすが、五木さん。いい話ですね。私は、自他共に認めるほど頑張りとは無縁だが、なにか少しは帆を張らないと!




コメント

筑紫哲也「スローライフ-緩急自在のすすめ」を読む

2009年08月22日 | 読書2

筑紫哲也著「スローライフ-緩急自在のすすめ」岩波新書1010、2006年4月発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
IT革命の進行の下で、いま暮らしと仕事のあらゆる領域でスピードや効率を求める勢いが加速している。だが、他方でその潮流への根本的な懐疑も確実に拡がっていよう。「秒」に追われるニュースキャスターならではの痛切な問題意識に立って、「スロー」に生きることの意味と可能性を全国各地の食生活・教育・旅などの実例から考える。


本書は月刊読書誌「図書」に2005年1月から15回連載した「緩急自在のすすめ」を基にしている。

スローライフ(Slow Life)とは、生活様式に関する思想の一つで、地産地消や歩行型社会を目指す生活様式を指す(ウィキペディア)。筑紫さんの造語との話もある。

スローフード(Slow Food)とは、その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動、または、その食品自体を指す言葉(ウィキペディア)。その土地の産物である、素材の質の良さが保たれている、その土地の風習に合った生産法で作られている、その土地に活気を与え、郷土の社会性を高める食品、という4つの条件がある。

LOHAS(ロハス)とはLifestyles Of Health And Sustainability (健康で持続可能性のあるライフスタイル)の略。



目次
1.「それで人は幸せになるか」
2.スローフード、9・11、一神教
3.ファストフードの時代
4.寿司と蕎麦、そして「地産地消」
5.「食」の荒涼たる光景
6.小さな旅、スローな旅
7.失われた「子どもの楽園」
8.急ぐことで失うもの
9.「学ぶ」ということ
10.「スローウエア」「ファストウエア」
11.ロハスのすすめ、森林の危機
12.「木」を見直す
13.長寿と「人間の豊かさ」
14.スローライフ、北で南で
15.真の「勝ち組」になるために



この国ではまちでも村でも、今では遊んでいる子どもの姿はまず見られない。・・・「この国には何でもあるが、希望だけがない」(村上龍)


日本人の10人に4人は長生きしたいとは思わない(国立長寿医療センター)


・・・自分がその年齢にさしかかってわかったのは、高齢者を高齢者であるが故に、罵ったり、おとしめたりする表現は大手をふって罷り通っていて、咎める者はほとんどいないことである。「エイジズム」(年齢差別)という語は、「セクハラ」とちがって全く定着していない。




筑紫哲也は1935年大分県生まれ。キャスター。ジャーナリスト、スローライフ・ジャパン理事。1959年早稲田大学政治経済学部卒、朝日新聞社入社。政治部記者、ワシントン特派員、「朝日ジャーナル」編集長、編集委員などを歴任し、1989年退社し、10月からTBSテレビ系「筑紫哲也NEWS23」キャスターとなる。2008年11月肺がんのため死去。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

筑紫さんが、多忙の中、地方を回って地に着いたスローライフに関連する新しい動きを見つけたり、自分で起こしたりした記録だ。経済効率一辺倒の考えが、日常生活にまで浸透している現在、この本を契機として、今一度、自分の生活を見つめ、社会のあり方を考えてみたい。

筑紫さんは、一部の人から賛美される一方、批判され、賛否両論を巻き起こすことが多かった。少数派としての意見でもTVで恐れずに主張するが、強硬ではなく相手を理解しようとする柔軟な姿勢には、私は好感を持った。最近では侮蔑の対象にしかならないいわゆるリベラル派文化人の中では人気を保っていたと思う。



コメント

渡辺淳一「あとの祭り 親友はいますか」を読む

2009年08月21日 | 読書2
渡辺淳一のエッセイ集「あとの祭り 親友はいますか」新潮社2009年7月発行を読んだ。

本書は「週刊新潮」に連載中のエッセイ「あとの祭り」の2008年5月から2009年5月までを加筆・修正し、改題したものだ。

エッセイ集の本の題目からさまざまなエッセイを含む内容を想像するのは困難だ。エッセイ集は著者名から内容を想像するしかない。この本も、「親友はいますか」というのは、一つのエッセイのタイトルに過ぎず、旅の紀行文、医療事故・政治・日常の話などで、お得意の男女の話はあまり登場しない。



「親友はいますか」は、この本の中ごろにある一つのエッセイだ。高校には親友がいて、職場の同期とは連帯感を感じた。しかし、地位や立場が変わると、それぞれに離れていく。年齢を重ねるごとに、男は孤独になってしまう。一つだけ癒す方法がある。それは身近に親しく何でも話せる女性を持つことだ。妻でも彼女でも良い。それが、最後の親友だ。と、渡辺さんはお得意の分野へ話を持っていく。

「愛読書とは」には、こんなことが。
かって、吉田茂元総理は、「愛読書はなんですか」ときかれてあっさり、「銭形平次捕物控え」と答えて話題となった。・・・また、川端康成氏は同じ質問に、「川上宗薫」と答えたけど。

「定年を書く」では、渡辺さんがはじめて団塊の世代を主人公として定年をテーマとして「弧船」という小説を書いていることが紹介されている。集英社の「マリソル」という雑誌に連載され、インターネットでも無料で読める。いろいろなメディアで既に言われていることではあるが、定年後、あっというまに悲惨な状況になる夫婦の姿がリアルだ。

また、以下のことも言っている。
定年後の夫婦関係を良くするためには、折をみて妻を誉め、優しく接することである。・・・いえる方法がある。その要点は、「心を入れない」ということ。
(同じこと、どこかで読んだことがある。きっと正しい方法なのだろうが、私はついつい、心を入れて妻を誉めてしまう。(この項、検閲禁止))



1933年北海道生まれ。1958年札幌医科大学医学部卒業後、母校の整形外科講師をつとめる傍ら小説を執筆。医学的な人間認識をもとに華麗な現代ロマンを描く作家。1970年「光と影」で直木賞、1980年「遠き落日」「長崎ロシア遊女館」で吉川英治文学賞、2003年紫綬褒章受章、菊池寛賞等受賞。主な著書に「花埋み」「ひとひらの雪」「何処へ」「『失楽園』「愛の流刑地」「鈍感力」「熟年革命」「欲情の作法」などがある。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

手元にあれば、読むというくらいの本だ。喜寿(77歳)に近い渡辺さんのことだから、どうしても年取る話が多くなるが、相変わらす銀座にもお出ましになっているようで、「五十肩」が痛いぐらいで意気軒昂だ。スパッと割り切って考え、常に前向きな態度には好感が持てる。

渡辺さんは、今年45歳だという。還暦は60年で再び生まれた年の干支に還ることなので、還暦になったときを起点として、そこから一歳ずつ引いていくのだという。この考え方を採用すれば、私も50代前半だ。気分を入れ替えて、いまひとつ積極的に生きよう。

「卑近なかたちよ倖せといふは」の中に、「乳房喪失」という歌集を残し、31歳の若さで夭折した歌人中城ふみ子の歌が紹介されている。

かがまりて君の靴紐結びやる 卑近なかたちよ倖せといふは

私も、勤めているときは、会社のあり方や、社会や経済の状況にばかり関心があり、退職して始めて、日常の細かいことに幸せの源泉があることに気づいた。女性や子どものが関心がある狭い日常の出来事は、個人そのものにとって決して矮小なことではなく、もっとも大切で、社会などを考える基盤なのだ。



「なぜ、田母神論文がうまれたか」で渡辺さんは、日本軍が朝鮮から人びとを強制連行し、残酷に労働をさせていたことを指摘し、歴史教科書にきっかり、かって日本は侵略国家で、アジアに国の人びとを苦しめたという事実を、明確に記すべきだと主張している。
ここのところを読んで、私は渡辺さんを見直した。
自分の国が悪いことをしたなどと言うのは自虐的だと反対し、軍が強制連行したかどうかはっきりしないなどと主張する人びとがいるが、軍の直接関与の有無、強制かどうかなどの議論は学者に任せればよい。良いこともしただろうが、明らかに総体的に悪いことをした事実を素直に認め、今後の世代に問題を先送りせず、はっきり謝る勇気を持って新しい関係を築くことが肝要だと思う。


コメント

絵画を見る楽しみ

2009年08月20日 | 美術
勤めていたころ、会社から夜遅く帰ってきて、あわただしく食事し、新聞、TVをざっと見て、そして後は明日に備え寝るだけの生活がしばらく続いたことがあった。
ベッドに横になっても、どうして上を説得したら良いか分からない問題、上司の嫌味、会議でかいた恥、山積みの仕事などストレスがあれもこれもと襲ってくる。珍しく順調なときでも、「ああしたらどうか、いや、こうしたら良いのでは」と少しでも良い手を思いつくと眠れなくなり、途中からあらぬ妄想に入り時間ばかり過ぎていく。

こんなときは、好きな絵をぼんやりと見る。マネの画集を取り出してパラパラと2、3枚めくったり、カレンダーから切り抜いたピサロやシスレーなどお気に入りの1枚をなんともなしに眺める。寝る前は静かで空が開けた風景画が良い。そのうちに落ち着いてきて全身がぐったりとして眠る体勢に入れる。

休日で時間のあるときは、ゴッホ、ゴーギャンや、ラファエル前派など好きな絵を楽しむ。マーク・ロスコなどの抽象絵画を眺めるときもある。着物の柄と同じで、自分の気に入った絵画は理屈なしにただ見ているだけでも心が明るくなりゆったりとする。

しかし、絵画の解説本で、その絵画が作家のどのような意図、事情のもとで描かれたか、どんな絵画動向の中に位置づけられるか、などの背景を知ると、もっと多面的に絵画を楽しめるようになる。一枚の絵画に秘められた物語や謎。優れた絵画ほど深い謎が隠れていることが多い。

また、ゴッホにみられるように一途に突き詰める天才画家の生涯はドラマチックだ。彼らの伝記を読んだあとでは、その絵を描いている彼らの姿が浮かび、絵の向こう側が見え、深みが増す。音や風、匂いまで感じられることもある。

絵画はただ見るだけで良し、知るとなお良しである。



コメント

「女の活路 男の末路」を読む

2009年08月19日 | 読書2

袖井孝子著「女の活路 男の末路 -老いの時代を生き抜くチカラ」シリーズCura、中央法規出版2008年7月発行を読んだ。

裏表紙にはこうある。
女性と男性では、どのように老いていくか、いかに老いを受容するかなどに違いがある。老いを生きるうえで、夫婦・親子関係、お金、介護、住まい、シングルライフなど、さまざま問題に直面するが、そうした問題で生ずる男女の意識のズレや葛藤、要因等を社会学的視点から分析し、その解決策を探る1冊。


題名は面白そうだが、内容は平凡だ。いかにも学者の本らしく、バランスよく、まんべんなく老年の男女の問題を語り、調査結果なども示してわかりやすいが、いろいろなメディアで既に伝えられていることしか書いてないし、とくに特徴ある視点も強調する論点も感じられない。

目次
1.老いに見る男女の相違、2.女はなぜ長生きなのか、3.老いへの入り口、4.第二の人生活動、5.なぜに貧しい女性の老後、6.老後はどこに住むか、7.定年後の夫婦、8.重層化する親子関係、9.シングル・ライフ、10.介護はなぜ女の役割か、11安らかな終わりの時のために、12.ともに老いる超高齢社会



いくつか抜き出す。

何歳以上が高齢者か?
およそ70歳以上と考える人が半数以上で、一般に自分の年齢より上の世代を高齢者とみなす傾向にある。(2004年内閣府)。

離婚時の年金分割でも、せいぜい月12,3万円程度で、しかも妻本人が25年間加入したという条件で、支給は65歳に達してからだ。それでも、「離婚した女性は死ぬまで分割された年金を受け取ることができるし、再婚をしても、・・・受け取り続けることができる。逆に、夫のほうは、前妻が再婚してもいったん失った年金分は戻らないし、離婚を繰り返せば年金はどんどん削られていく。」

「夫の親を介護するのは当然視されるが、妻が自分の親を介護することについては、妻自身にも後ろめたさがある。そこで、自分の親を引き取って介護している娘については、本人ではなく、そうしたことを許している夫が「できた人」として賞賛されるのである。」


著者の袖井孝子(そでいたかこ)は、1938年名古屋市生まれ。国際基督教大学卒。東京都立大学大学院博士課程修了。東京都老人総合研究所主任研究員、お茶の水女子大学助教授、教授を経て定年退職。内閣府男女共同参画会議議員、シニア社会学会会長等。お茶の水女子大学名誉教授、東京家政学院大学客員教授。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

本書に、「定年後の生活にうまく適応しているのは、どちらかというと落ちこぼれサラリーマンだった人である。」とある。
これは、少なくとも私の場合には当たっている(トホホ)。かっての私の職場の場合は、昼休みにジョギングしている連中を見ると、まあ既にそこまでだなと思える人が走り始めるケースが多かった。「最初はなんとか若い人に頑張って付いて行こうとしたけど、今じゃどんどん追い抜かれるのをなんとも思わなくなっちゃたよ」という私に、お仲間が、「それが会社生活でも癖になっちゃって」と嘆いてみせた。


この本の評価理由は最初の方に書いたので、配偶者に先立たれた中高年への調査結果*の一部をご紹介。
*河合千恵子「配偶者を喪う時」廣済堂出版、1990年
「話し相手、相談相手がなくなった」「日常生活が不自由になった」「家事が負担になった」「健康管理の面でゆき届かなくなった」が男性は2-5割だが、女性は数%。
「寂しくなった」は男性が8割強、女性は2/3に過ぎない。
女性が男性を上回るのは、「不用心になった」「生活が苦しくなった」「大工仕事や部屋の模様替えが思うに任せなくなった」の3項目のみ。
これには女性である著者もさすがに、「これでは、夫は、まるで用心棒か便利屋代わりではないのか、と少々気の毒にもなる。」と言っている。私も、身体を鍛え、技を磨き、せめて大工や便利屋代わりが務まるようにせねば!


コメント

香山リカ「女はみんな『うつ』になる」を読む

2009年08月16日 | 読書2
香山リカ著「女はみんな『うつ』になる」2009年4月、中央法規発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。

個性的な生き方をしていると誰もが認める女性が増えてきたが、彼女たち自身は「生きやすい」と満足しているわけではなさそうだ。旧態依然とした人間関係に苦しみながら、仕事や趣味に「生きがい」「自分らしさ」を見つけようと必死に努力する女性たち。彼女たちの間に、プチうつなど心に問題を抱える人が急増しているのである。そこで、恋愛、仕事、母娘関係などにスポットをあて、女性を悩ます「うつ」について考える。




いくつか抜き出す。(文は私が簡単化している)

女性の場合は、月経、妊娠、出産にともなうホルモンの変動や、恋愛や結婚に関係して感情の動揺などが加わり、「うつ」の一番の原因を突き止めるのは意外に難しい。さらに女性への社会からの要求は高くなる一方だ。「働きなさい」「結婚しなさい」「子供を生みなさい」「仕事に戻りなさい」「親を介護しなさい」「ミドル、シニアになっても女として輝きなさい」

仕事で自己実現を目指すことに疲れたとき、プラン変更できない女性が多い。それは、女性達が「いつも他者からほめられる人生」を送りたいと願っているからだ。

夫婦のコミュニケーションの量や質は結婚生活が長くなればなるほど低下する。
社会が変化しているにもかかわらず、男性のうつの最大原因が相変わらず「仕事のストレスであり続けるということの影には、女性の家庭での涙ぐましいほどの努力がある。男性はそれに気づかず「本当に仕事が忙しくてたいへんだよ」といい続けている。
参考:「離婚問題・熟年離婚・年金分割の基礎知識」 

あるときまでは自己確立のためにひたすら勉強や努力を続け、恋愛を避けてきた女性が、自分では何も決められず「彼次第」になってしまうことがある。彼女たちは、「こうやって自分で考えて決めて、はっきり意思表示できることで、女性としての価値はむしろ下がっているのではないか」という不安に襲われるためだ。

「私はきまじめすぎるほどなのですが、娘は要領がいいというかずるいというか・・・」と実の娘を好きになれないなんておかしいのではと思ってしまう母親もいる。「娘を見て、この欠点は自分に似てると思って嫌になるし、ここは私よりすぐれていると思うと嫉妬心をいだいてしまうこともある。息子はただ可愛い」



香山リカは、1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代から雑誌などに寄稿。その後も、臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

いつものように体系的な内容ではないが、環境や、身体の変化が著しい女性の事情、裏の心理をいくつか知ることができる。
自由に羽ばたいていると思える現代女性も、この本によれば、いまだ女性はこうあるべきという暗黙の縛りにとらわれている人が多いようだ。女性をとりまく環境はなかなか変わらないようだ。仕事を続けるかどうかという観点だけから言っても、夫の言いなりになる母(祖母)を見て育ち、仕事をしながら子育てし、娘の自立を促す頑張りものの母を見て、娘(孫)は「私はやっぱりと専業主婦になる」という人もいるだろうし、ごく自然に社会慣習が変わりきるには、3世代くらいはかかるのだろう。
男性の場合は、「男の子でしょ!泣かないの!」と叱る母親をいまだ耳にすると思うが、それでも、草食系男子が増えているという。男性はしょせん浮き草稼業だから変わり易いのだ。

それにしても、小学校で、女子が男子を名前で呼び捨てにするらしいが、年寄りには考えられない。男子も女子を呼び捨てにしているのだろうか。このあたりから、ようやく社会が変わっていくのかも。





コメント

カズオ・イシグロ「充たされざる者」を読む

2009年08月14日 | 読書2

カズオ・イシグロ著、古賀林幸訳「充たされざる者」ハヤカワepi文庫41、2007年5月早川書房発行を読んだ。

裏表紙にはこうある。

世界的ピアニスト、ライダーは、あるヨーロッパの町に降り立った。「木曜の夕べ」という催しで演奏する予定のようだが、日程や演目さえ彼には定かではない。ただ、演奏会は町の「危機」を乗り越えるための最後の望みのようで、一部市民の期待は限りなく高い。ライダーはそれとなく詳細を探るが、奇妙な相談をもちかける市民たちが次々と邪魔に入り・・・・・・。実験的手法を駆使し、悪夢のような不条理を紡ぐブッカー賞作家の問題作


カズオ・イシグロは、ブッカー賞受賞によってようやく書きたい小説が書けるようになったと言った。そして、日英の文化や歴史を語るエキスパートとの評価に対しては不本意であり、この本ではあえて架空の国の町を想定した。さらに、リアリズムの小説家とは二度と呼ばせないと、冗漫な語りと、荒唐無稽な夢のような話を書いたという。(訳者あとがきより)

本書は、1997年7月に中央公論社から単行本として刊行された作品の文庫化だ。
原題は“THE UNCONSOLED”で、”console”は豆単的知識でいうと、慰めるという意味のはずで、日本語題名「充たされざる者」とつながらなかった。考えてみれば、「慰められることのない者」ということで、訳者は「充たされざる者」という題名にしたのだろう。
確かに、登場するずべての人が希望のない状況で、なんとか、「木曜の夕べ」に期待を寄せて、再起を期すのだが、・・・。



カズオ・イシグロは、1954年11月8日長崎生まれ。1960年、5歳のとき、海洋学者の父親の仕事の関係で家族と共にイギリスへ渡る。以降、日本とイギリスの2つの文化を背景にして育つ。ケント大学で英文学を学んだあと、ミュージシャンをめざすが、イースト・アングリア大学大学院の創作科に入学し、小説を書き始める。やがてソーシャルワーカーとして働きながら短編小説を雑誌に発表するが、1982年初の長篇「遠い山なみの光(女たちの遠い夏)」が王立文学協会賞し9カ国語に翻訳された。1986年発表の「浮世の画家」でウィットブレッド賞、1989年長篇第3作の「日の名残り」でイギリス最高の文学賞、ブッカー賞を35歳で受賞。1995年の第4作「充たされざる者」(本書)の後、5年ぶりに発表した「わたしたちが孤児だったころ」は世界的ベストセラーとなった。


訳者の古賀林幸(こがばやし・さち)は、津田塾大英文科卒、ボストン大学大学院修士課程終了、英米文学翻訳家、恵泉女学園大学特任教授、訳書多数。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

作者自身が言っているように実験作で、なおはっきり言えば失敗作だ。しかし、物語に入り込める人にはけっこう面白いかも。

一言で言えば「変な小説」だ。しかも、長い。話がしょっちゅう横道にそれる。出てくる人物がみな、前置きが長く、数ページに渡りどうでも良いことをしゃべる。「結論を言え、結論を!」とどなりたくなる。文庫本だが、1000ページ近く、仰向けに寝て読むには重い。

飽きることなく最後まで読みきったが、不条理というよりドタバタ喜劇で、謎は謎のまま終わる。主人公は歩いていると必ず道に迷うし、迷っていると必ず知った人に会う。いつも時間に間に合わず慌てていて、それでいて出会った人の長話にイライラしながらも付き合っている。場所は次から次へ移動し、ときどきトランスポートする。私がときどき見る夢の世界のようだ。

しかし、読み進めるうちに、主人公ライダーの子供時代がボリス、青年期がシュテファン、老年期がブロツキーであるとも思えてくる。冒頭に出てくるポーターのグスタフなど、プロフェッショナルの意識が高い人が登場するのはいかにもイシグロの小説らしい。



このブログは私のメモでもあるので、主な登場人物を書き出しておく。最近はこんなメモがないと、読んでいる途中で誰が誰だかわからなくなる。

ライダー(主人公、世界的ピアニスト)、グスタフ(老ポーター)、ゾフィー(グスタフの娘、ボリスの母、ライダーの妻?)、ボリス(ゾフィーの息子、ライダーの血のつながらない息子?)、レオ・ブロツキー(元優秀なピアニスト、指揮者)、ミス・コリンズ(元ブロツキーの妻)、アンリ・クリストフ(チェロ奏者、前支配者)、ローザ・クレナー(美人のクリストフの妻)、ホフマン(ホテル支配人)、シュテファン・ホフマン(ホフマンの息子、アマチュアのピアニスト)、ミス・シュトラットマン(ライダーの世話係)、カール・ペダーセン(市会議員)、ケラー(獣医)、パークハースト(ライダーのロンドンでの同級生)、ジェフリー・ソーンダース(ライダーの同級生)、ブルーノ(ブロツキーの飼い犬)

コメント

重松清「かあちゃん」を読む

2009年08月13日 | 読書2
重松清著「かあちゃん」2009年5月、講談社発行を読んだ。

中学生のイジメがテーマ。誰からも助けてもらえなかったクロちゃんは、自殺を図り、学校を去った。いじめる者より、むしろ傍観していた者が心に傷を負う。そして、彼らは、夫の交通事故の罪を一人で黙って背負い20年も笑わなかった年老いた「かあちゃん」に出会って、・・・。



イジメに、祖母、母、娘と母の献身的愛のリレーが絡む。母親が認知症の実の祖母にありえないほどやさしく接するのを不思議に思う娘に、母が言う「みんな繰り返してるのよ。お母さんを見て育って、自分がお母さんになって」と。

章毎に主人公が変わり、つっけんどんで冷たく見える教師が、次の章で主人公になると、実は負けまいと必死に頑張っている人だったり、外から見ると何でも完璧で理想の教師が、実はストレスに悩んでいたと、多面的に読める構成になっている。

贖罪と言うが、償うことなど不可能で、忘れないことしかできない。せつないが、温かいものが次々とリレーして繋がっていく、家族、友達の物語。涙腺を締めてから読まないと、大変なことになる。

本書は、2008年6月から2009年9月に、熊本日日新聞など地方紙に順次連載されたものを大幅に加筆、改稿したものだ。



重松清は、1963年岡山県生まれ。早大教育学部卒業後、出版社勤務を経て、執筆活動に入る。1999年「ナイフ」で坪田譲治文学賞、「エイジ」で山本周五郎賞、2001年「ビタミンF」で直木賞を受賞。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

実は、この本を読んだ直後は「これは良い、始めて五つ星をつけられる!」と思った。しかし、一晩置いて翌日になると、いろいろ欠点がじわりとにじみ出てくる。それでもやはり面白い本だ。

この本は、芸術的でもないし、哲学的に深く考えさせる本でもない。世界をまたに駆けるわけでもなく、かっこよい人がこだわりの趣味を披露するわけでもない。登場人物は平凡な人で、奇跡が起こるわけでもなく、面白くて腹を抱えるユーモアがあるわけでもない。

確かに内容は軽いが、ついつい感情移入してのめりこむように読んでしまった。久しぶりに十分楽しめる面白い小説だった。しかし、それは、私が歳のせいか昔を思い出す子供ものに弱いからではないだろうか。家族ものが得意な重松清は、芸達者で、浅田次郎ほどあざとくはないが、練達の腕で、ほんわかと丸め込まれてしまったような気がする。

担任の熱血教師水原先生が面白い。何にも分かっていないし、KYでいつもトンチンカン。空回りするどころか、反対方向へ走ってしまう。真剣なだけに始末が悪いが、生徒からも無視されていて、自分でもだめなことは自覚している無害なおぼちゃま。厳しくみれば、現実のどんな教師もみな水原先生と似たりよったりとも思えてくる。


コメント

善福寺公園へ

2009年08月11日 | 行楽
散歩の足を延ばし、善福寺公園へ行った。女子大通りを東へ進む。建設中のマンションの看板に「吉祥寺に深く染まる人生を。」「真の吉祥寺アドレスを継ぐ、208邸」とある。笑える。建設中の武蔵野タワーが、三鷹駅前なのに「アドレスは吉祥寺」といっているのに対抗したのだろう。“吉祥寺”はすっかりブランドになっている。

東京女子大の正門前に来る。構内を抜けるため門を入ろうとすると、守衛さんに止められ、断られた。確かに、変な野球帽をかぶり、サングラスで、首にタオルを巻いたおじいさんを止めなければ守衛さんの職務怠慢ではある。



東女の東側の塀沿いに北に進み、急な坂を降りて、善福寺公園の「下の池」にたどり着いた。池はヨシ、マコモで一杯だ。



「下の池」の東側にはスイレンが並び、小ぶりだが、ピンクや白の花が可憐だ。







「下の池」の北側の広場には、ワンちゃん大集合。



道路を渡って、「上の池」に行く。ボート乗り場を過ぎ、細長く延びる池を眺める。真ん中にスイレンを囲った中州がある。



傍らのベンチに頭隠して尻隠さずのアヒル?が。曇り空で日差しも強くないのだから、どうぞベンチに腰掛けてお休みください。



中州にはダイサギが。



寂れ果てた弁財天が池に突き出ていて、その反対側に「遅野井(おそのい)の滝」がある。



この滝は昔の湧き水を滝の形で復元したものだ。伝説によれば、源頼朝が奥州征伐の帰り、折からの干ばつで軍勢が苦しんでいたので、弁財天に祈り、頼朝が自ら弓で地面を7箇所掘った。軍勢はあまりに水が湧き出るのが遅いので、遅い井と言ったが、そのとき、忽然として7箇所に水が湧き出した。(立て看板による)

北端に来て、振り返ると、細長く遠くまで伸びた池は木立に囲まれ、静かな佇まいだ。



反対側にはブランコがあり、子どもたちが楽しげだ。子供の頃、家の前の小さな公園にブランコがあり、よく一人でこいでいたのを思い出す。「立ちこぎ」で一回転してやろうと頑張ったものだった。



「善福寺公園サービスセンター」があり、入ってみると、植物画の展示のほか、どんぐりが並べてあった。私がどんぐりとして知っているのは、「コナラ」、「クヌギ」ぐらいだ。「マテバシイ」、「トチノキ」の木は知っているが、実は見たことない。傘?がついた「シラカシ」の実は見たことがある。「スダジイ」の木は先日参観した迎賓館に樹齢250年の大木があった。



この公園には、あまり花はないが、フソウの花が満開だった。



2つの池と、中州のようなものがあり、水鳥が多く、静かでくつろげる公園だ。パースのハイドパークを思い出した。
花を落としたあとはひっそりと目立たない桜の木には気がつかなかったが、ここは桜の名所の一つらしい。桜の季節や土日を避けて、池の端のベンチでのんびりするのも良いかも。


約2時間の散歩を終えて帰宅し、歩数計を見ると、惜しかった。11,112歩だ。

コメント

カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だったころ」を読む

2009年08月09日 | 読書2

カズオ・イシグロ著、入江真佐子訳「わたしたちが孤児だったころ」2001年4月、早川書房発行を読んだ。

1900年代初め、上海の租界で暮らしていたクリストファー・バンクスは、アヘン取引きに絡んでいた会社に勤務していた父親が上海の自宅から突然姿を消し、次いで潔癖で美しい母親までもが行方不明となる。10歳でイギリスに戻った彼は、2つの世界大戦に挟まれた時代を英国で過ごし、名門大学を出て念願の探偵となり、ロンドンの社交界でも名を知られるようになる。
彼は1930年代末、日中戦争が勃発し混迷をきわめる上海に戻り、事件の解決に乗り出すが、失われた過去と記憶をたどる旅は、現実と幻想との境界線が次第にあいまいになっていく。

話の流れは謎を追っていく展開になっていて、これまでのイシグロ作品にない探偵小説の形になっている。しかし、徐々に主人公自身の語りがあやしげになり、あきらかに事実と異なる話しぶりになったりする点はやはりイシグロ作品だ。



イシグロ・カズオ
1954年長崎生まれ。1960年、5歳のとき、海洋学者の父親の仕事の関係で家族と共にイギリスへ渡る。以降、日本とイギリスの2つの文化を背景にして育つ。ケント大学で英文学を学んだあと、ミュージシャンをめざすが、イースト・アングリア大学大学院の創作科に入学し、小説を書き始める。やがてソーシャルワーカーとして働きながら短編小説を雑誌に発表するが、1982年初の長篇「遠い山なみの光(女たちの遠い夏)」で王立文学協会賞し9カ国語に翻訳された。1986年発表の「浮世の画家」でウィットブレッド賞、1989年長篇第3作の「日の名残り」でイギリス最高の文学賞、ブッカー賞を35歳で受賞。1995年の第4作「充たされざる者」の後、5年ぶりに発表した本書は英米で非常に高く評価され、ベストセラーとなった

入江 真佐子
国際基督教大学教養学部卒。英米文学翻訳家。訳書多数。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

子供の頃を思い出すシーンは心にしみる。その部分は子供の視点で書かれており、子供からみた大人の様子や、子供同士の遊び、そして、楽しそうに笑うお母さんを見て、うれしくてたまらなくなる場面など「誰の子供時代も同じなんだなあ」と懐かしくなる。

前半はロンドンでの話で、ところどころに子供の頃の上海の思い出がでてくるが、イギリス小説らしい心理描写など静かな展開だ。ちょうど半分くらいのところで上海に渡り、それからはわけのわからない人物が出てきたり、激しく、荒れた展開となり、置いていかれそうになる。

主人公はロンドンで高名な探偵になったとあるが、ときどきたいしたわけもなく激昂したり、とてもありえないことを信じきっていたり、大人になりきれていない行動があり、ちょっと引いてしまう。

話が一段落するところで、「あのような大きな波紋を呼ぶとはまったく予想もしなかった。」「あのようなことになろうとはわたし同様、彼も思ってもみなかったはずだ。」など思わせぶりに終わり、次への期待をあおって話をつなげていく。謎解き小説ではないが、謎で引き込んでいく小説ではある。

後半のダイナミックな展開もあるが、時の流れが折り重なり、心に傷を抱えるなど深みのある人物描写、会話があり、丹念に作られたイシグロらしい小説になっている。


コメント

口パク命令、トラウマ、そして克服

2009年08月07日 | 個人的記録
昔の思い出 (6)音痴製造法」に書いたように、小学校の学芸会で口パクを命じられた。今回はその後のことも含めて書いてみた。

小学校の学芸会の合唱の練習しているとき、先生が、皆を止めて言った。
「誰か違う人がいる。冷水君、ちょっと歌ってみて。・・・・・・やっぱりそうね。あなた、学芸会のときは、口だけあけて声出しちゃだめよ!」

学芸会の当日、一番前の列の私は先生の言いつけを守り、声を出さなかった。ただし、口は真一文字にむすんだままで。

学芸会後、先生から「なんで口を開かなかったの!あなたって本当にいやな子ね!」とえらく怒られた。自分でも確かに、いやな子だと思ったが、評判の美人で、そして子供心に好きだった先生に嫌らわれて、へこんだ。
こうしてトラウマを抱えた音痴が完成した。



以来、親の遺言だからとか言って、頑強に人前で歌うことを拒否していたが、どうやら人前で歌えるようになったのは、大学に入ってからだ。施設で、大きな木を切り倒したり、コンクリートの崖を作ったり、小屋を建てたりするボランティアを何年が続けた。
夏休みの暑い盛りの重労働は汗をガンガンかいて気持ちよいものだが、日陰に入って2時間ごとの休憩が必須となる。冷たい麦茶など飲みながらボーとしていると、必ず歌の好きな仲間が外国の歌など歌い出す。私も、爽快な肉体疲労の中で、歌うことへの変なこだわりが消えて、最初は小声で、そのうちみんなに負けず力いっぱい歌っていた。



こうして、トラウマからは解消されたが、本来の音痴はときどき顔を出す。歌っている最中に何か少し違うかも知れないなと思った瞬間、自信が無くなる。声帯が硬くなり、明かに違うと思った瞬間、メチャクチャになりそうになる。ここが踏ん張りどころとばかり、丹田(たんでん)に力を入れて、かまわず歌い続ける。
音楽は音を楽しむもの。多少の違いは編曲の才能と思って、ともかく大きな声で歌を楽しむことにしている。


コメント