日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

昼間の淡き月影

2011年09月13日 | 日記
数日前、まだ明るいうちに、月が東の空に浮かんでいるのを、明かりとりの窓越しに見ました。中秋の名月が間近いのに気付き、しばらくのあいだ、薄白い月を思い浮かべているうちに、古典にはない趣向の歌ができました。
秋の月を詠んだ歌は、すでにご紹介したものを含めて数多いのですが、夜と明け方の月、有明の月を詠んだものがほとんどで、私の知っている限り、昼間の月は詠まれていません。できたのは、かなり趣向の変わった、つぎのような歌です。

なおくれぬ まさおきそらに すきとおる たかまどのむた あわきつきかげ
なお暮れぬ ま青き空に 透きとほる 高窓のむた 淡き月影(麟伍)
(日暮れ近くになってもまだ真っ青な空に、透き通るような淡い月の姿が、高い窓を枠にして、透き通るように見えています)

明るい空の月を歌っているのが、どれくらいあるかと、探してみると、玉葉集ではつぎの御製のみでした。一句目が似ていて、興味深く思いました。

まだ暮れぬ 空の光と 見るほどに 知られで月の 影になりぬる(院御製、秋下)
(昼間の光がまだ暮れないと思っているうちに、いつの間にか、月の光に照らされていることだ)

あらかじめこの歌を知っていて、昼間の月の歌を詠んだわけではなく、また趣向(心)もまったく違いますが、あらぬ疑いをかけられるよりは、逆説的な本歌取り、ということにしても結構です。
 「有明の月」という主題で、日光に白むやや変わった情景を描いたのが、つぎの歌です。

白みゆく 空のひかりに 影消えて 姿ばかりぞ 有明の月(秋下、朔平門院)
(白々と明けてゆく空の光に、有明の月の光は薄れて、形ばかりが淡く残っていることだ)

私の歌は、「透き通る」という表現が、現代語そのままでありながら、古語としても鋭い響きをもっており、昼間の月の薄さを効果的に詠み得ているのではないかと思います。


なお、先日アップした歌を、姿も響きも収まりが悪いので、若干推敲しました。

てりわたる くさのにかかる くもかげの かでのともなく すそひかれゆく
照り渡る 草野にかゝる 雲影の 風の音もなく 裾引かれゆく(麟伍)
(よく晴れて、風もない広い草の原にいると、上空を流れる雲の大きな影が、あたりを音もなく覆って暗くなると、衣の裾が引かれるように、滑っていきました。)


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歌道と仏道(藤原俊成とその後) | トップ | 『花の風』巻頭歌、推敲 »

日記」カテゴリの最新記事