このタイトルから感じるブログを書き出してみるといろいろな気づきが多いものです。
つい先だっても青木先生は昔怖い先生だったのですか?と質問をいただきました。(昔のブログをご覧になってでしょう)
水道橋時代から長年のお付き合いをしているある医師は講義中、ティシュペーパーの箱が飛んできましたね・・・昔話を教えてもらいました。
レイキヒーリングの実習の時はアトピー性皮膚炎の芸術家さんの靴下を脱がして素手でレイキヒーリングしていた時の姿を思い出します。
一人だけ選抜して大阪のMマスターも一緒に手当していた時は驚きました。
レイキヒーリングを真剣に取り組んでいるレイキ教室でしたから施術の時は「ピーン」と張りつめた研修を受講生はみていました。
末期がんのクライアントは海外の医療事情法をご覧になって代替療法としてレイキヒーリングを受けたいと願われて水道橋ではヒーリングをしていました。
威張っているように見えたでしょうが、その頃は血気盛んで激しい口調だったかもしれません。
当然、おごりや高ぶりから「穏やかな口調で先生、慢心してはいけませんよ、増上慢になってはいけませんよ」と高齢のマスターからご指導いただきました。
手当療法レイキはその当時手技療法の先生方も多く参加されており、レイキはレイキの立場でそれぞれの思いを語りあったものです。
ご理解いただけるかた、反対の意見をいう先生方、どのような意見の相違があったとしても「よいものはよい」レイキ療法として激論を交わしたものです。
水道橋時代の私はレイキヒーリングの経験も浅く若気の至り、まだまだ未熟な自分を皆様の前では表現していたことでしょう。
レイキ普及の欲心もありました、欲に降り舞われそうになる時も血気盛んで酸いも甘いもかみ分けていた時代を生きてきました。
最後に猛烈な怒りを感じた経験は川崎時代に一度今でも記憶しています、赤鬼の青木その時の様はその時同席してくれたO先生は見ていた証人です。
今日だけは怒るな、五戒の第一の感情状態はその時で全て怒りの心は燃え尽きました。でもその時に関わった遠路お越しのあなたがいてくれたおかげだと感謝します。
大井町に移転して早7年目、この場所は本当に穏やかで「庵」そのもの、皆様と笑顔で交流することが出来ます。
金沢の内田マスターは23歳を迎えるレイドウレイキは25年目、天使だったころに手当療法レイキのことをご覧になっていたのでしょうか?
レイキをこよなく愛して、多くの方を照らす光となりました。孫に伝えるレイキの秘儀を優しく語り繋いで参ります。
レイドウレイキのマスターは力強く優しく誠実にそして丁寧にアチューメントする存在です。
10/7(日)マスター勉強会を開催します、今回はとくにアチューメントを中心に研修となりますが、過去にマスターとならどなたでも参加できます。
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