古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

あの戦争で〈海軍〉の『特攻』は ……。

2024年07月28日 23時11分57秒 | 古希からの田舎暮らし
『歴代海軍大将全覧』(半藤一利/横山恵一/秦郁彦/戸高一成/の対談 中公新書2005年発行)という本を借りて、山本五十六/米内光正/井上成美/など一部の項目を「拾い読み」しました。その中で、いまも心に引っかかってるあの戦争の「特攻」について、こんな話が書いてありました。コメントなしで、引用だけします。


半藤: 特攻のアイディアを出したのは伏見宮なんですよ。19年6月15日、サイパンに米軍が上陸し、大本営は奪回作戦を検討するけど、マリアナ沖海戦で日本の機動隊は潰滅していて打つ手がない。24日に両総長(陸・海)が奪回作戦の断念を奏上するんですが、天皇は返事をしないんです。天皇は元帥会議を開きたい、と侍従武官長を通じて意向を示した。 (中略) その席上、伏見宮が、「サイパンの奪還断念は、やむをえないとする。それならば、今後は何か特殊な兵器を使って戦うべきではないか」と発言した。
戸高: すでに人間魚雷「回天」はありましたが。
半藤: でもね、軍令部も参謀本部も、正式に使っていいかどうか、非常に揉めていたんです。ところが、元帥会議で天皇は黙って聴いていて、「ノー」とは言わなかった。それで軍令部も参謀本部も、特殊兵器使用に踏み切ることになったのです。
    (中略)
半藤: 海軍の特攻は大西瀧治郎の発案、というんだけど、死者に全責任を負っかぶせたまったくの作り話と考えます。特攻のきっかけをつくったのは伏見宮なんだということを、ここで一言言っておきたいのです。
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