古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『思い出したこと』がもう一つあります。

2023年04月13日 17時06分41秒 | 古希からの田舎暮らし

 バード・フィーダーのそばを、「コジュケイ夫妻」が散歩していました。道子さんが「カメラカメラ!」というので裏窓からズームアップして撮りました。シロハラ/アオジ/はもう旅立ったかな。また初冬に帰ってくるのを待ちます。

 忘れていましたが、「転倒事故」で思い出したことがあるので書いておきます。
 4月11日の朝、コンクリートの地面に転倒したときに、オデコをゴツンと打ちました。打ったところは押さえたら痛みが残る程度で「大丈夫」と思うのですが、『硬膜下出血』の手術をしたことがあるのでその体験を書いておきます。

 あれは40年近く前、48歳のときでした。明石の中学校で学年主任をして3年生を卒業させた年です。一月下旬の夜、地下鉄・名谷駅前でタクシーにはねられて、救急車で名谷の外科医院に運ばれました。病院で意識がもどり、脚の骨折もなく歩けるのでそのまま家に帰りました。
 しかし頭を打っているので「脳外科で診察してもらおう」と数日後に新開地の吉田脳外科病院で診てもらいました。そのときは異常はないようで、そのまま勤めていました。3月の卒業式まえになると、どうも調子がよくない。住んでいる北落合の近くの医院で診てもらいましたが、「風邪かな」ということで薬をもらいました。次の日に別の医院に行きました。そのとき体温を測るようにいわれて体温計を渡されたのですが、取り損ねて落とし、割ってしまいました。
 そうして卒業式の3月14日を迎えました。ぼくは「校長が400人の生徒一人一人に卒業証書を渡す」ように「式の段取り」をしてきたので、その通りに式が進行しました。そのあとぼくの記憶はありません。一応卒業式はとどこおりなくすみました。夕方には教職員みんなで打ち上げの飲み会もすみました。
 そして道子さんの話では、ぼくは夜の10時頃、タクシーで帰宅しました。しかしタクシーを降りると嘔吐し、家に入ると倒れるように寝転んでしまったというのです。そして「吉田脳外科で診てもらいたい」と言ったそうです。
 道子さんは北落合の家にタクシーを呼んで、新開地の吉田脳外科に連れていきました。診察・検査して、すぐに手術ということで頭を刈り、頭骸骨にドリルで穴を開け、硬膜下出血を抜きました。その間の記憶はまったくありません。
 記憶が戻ったのは硬膜下出血の血が抜けたときでしょう。いきなり頭がはっきりして「卒業式はどうなった。ここはどこだ。(押さえつけられて)何してるんだ」と大きな声で言いました。それは覚えています。
 5日入院しましたが、あとのことは全部覚えています。
 翌日回診にきた医師が「硬膜下出血で80ccたまっていました。あと5時間ほどで呼吸停止だったでしょう。よかったですね」と言いました。あのとき病室の窓の外を見て「ああ、生きてるんだなあ」という実感がふつふつとわきあがるようでした。1月下旬の交通事故から「じわしわ」硬膜下で出血していたのです。
 神戸の中学の卒業式は明石と一日ちがっていて、道子さんは下の娘の中学の卒業式に行くつもりにしていました。それがぼくの手術で行けなくなりました。
 その後、頭がわるくなったでなく、現在までふつうに生きています。長いこと生きてるといろんなことがあるもんです。
 このたびは大丈夫でしょうが、何かありましたら、またよろしく。
 

 
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