古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈竹槍訓練〉…「これはひどい」… 鈴木貫太郎

2022年01月19日 03時35分55秒 | 古希からの田舎暮らし
 日本の、あの戦争のとき、アメリカの飛行機が飛んできて焼夷弾や爆弾を落とすのに、日本の庶民は竹槍訓練をしました。
 いまなら日本中に竹藪がはびこっていますから、竹槍を作るのは苦労しません。「100本竹槍を作れ」といわれたら、ぼくでも、裏山から竹を伐ってきて、鋸でとがらせることができます。でも近代の軍隊に立ち向かって、竹槍でどう戦うのか。
 ふつうの常識ある人なら、飛行機や戦車に竹槍を突き出してもどうしようもないことはわかります。わからない人のほうがおかしい。
 でもあの戦争のとき、日本人は、全国津々浦々で、竹槍訓練をしたのです。「あのときはみんなおかしかった」ではすまない問題です。「強制されたから仕方なくやった」/「反対したら、非国民、アカ、といわれる」/「特高警察につかまって、拷問される」/。「言い訳」はできます。
 陸軍の上層部は、あの戦争の末期に、敗戦に反対しました。日本人全員が「一億総特攻」で上陸してくる敵(アメリカ軍)に竹槍で突っ込むことを想定していました。そんな日本を、敗戦に導くために、鈴木貫太郎が総理大臣に指名されました。
 鈴木貫太郎総理は、敗戦に反対する陸軍に「一億総特攻」の武器を見せられました。「この武器で全国民が戦うのです」。
 竹槍/さすまた/鎌/包丁/などが武器になると展示してあった。見せられた鈴木総理は「これはひどい」とつぶやきました。有名なことばになっています。
 あのときの日本はひどかった。日本人はおかしかった。これからは「100年後の国民に言い訳できないことはしないでおこう」。敗戦後そんな反省を、しっかりしただろうか。敗戦直後の「一億総ざんげ」でごまかしたのではないか。
 本当の、世界の平和を願う、外交の力を発揮しているか。
 7歳で敗戦になり、84歳まで生きているぼくは、そんなことを思って暮らしています。 
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