古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

いまが『断捨離』のチャンスなのか?

2017年10月31日 02時18分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 畝間に水がたまっていて畑には入れないし、裏山の片付けは気合を入れないと手を出しにくいし、家でゴロゴロ過ごしています。こんなときが『断捨離』のチャンスなのでしょうね。
「チャンスの女神には前髪しかない。目の前を通り過ぎてからつかもうと手を伸ばしても、後ろ頭には毛が無い」というそうです。チャンスの女神は、いまぼくの前を通り過ぎているところだな。
「お前はやたらに、《いつまで生きるだろう / いつまで運転するだろう / いつまで畑をつくるだろう / …… 》とブログに書いているが、そんな実感があるのか。80歳になったという年齢をもてあそんでいるだけではないか」
 ハイ、そうです。
 生き物は死にます。それはわかっています。しかし近い将来のことを真剣に考えようとしても、フワフワした気持ちで、実感がないのです。いまからできることといえば「なるべく迷惑をかけないでひっそり死ぬ」ことですが、そんなことを言いながら「死ぬ気」はかけらもありません。
 みんな、そうなんだろうな。そう思いながら死んでいくんだろうな。
 
 通り過ぎていく時間をつかまえてみよう。
 断捨離してみよう。
 例えば「CD」。
 レコードは引っ越す前に処分しました。CDは手づくりの本棚二段に何百枚か詰まっています。でも聴くことはなくなりました。音楽は [you tube]で聴くだけです。それも長く聴くことはなくなり、〈サワリ〉を聴くだけ。10分ともちません。
「作曲家〇〇の○○曲を聴いてみたい 」と思っても「CDを探してステレオにかけてじっくり聴く」ことはない。「いつかそうしたい」と思っているだけです。
「いつか」という〈思い〉が断捨離の邪魔をしています。その「いつか」はもう来ないのに。
 とりあえずCDを全部取り出して、棚を空にして、どれを残すか思案してみます。
 そのとき自分になにがおきるか。 
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