古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

お正月の「とんど」の買い物をしました。

2018年01月11日 04時02分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 うちの村の『とんど』焼きは2014年に老人会がはじめました。5年目の今年は14日の日曜日に行います。
 とんどに集まった村の人たちに〈ぜんざい〉と〈お酒〉をふるまうために、きのうは老人会・会計係として買い物に出掛けました。
 ホームセンターやスーパーで、お酒・おつまみ・お餅などを買って、ひと息つこうと175号線近くのスイーツ・ガーデンでコーヒーを飲みました。
 ケーキを買いに寄ったことはありますが、ここでお茶したことはありません。小さいけどしっとりした雰囲気です。「夏にちょっと涼んでお茶しながら本を読むのもいいかな」と道子さんも気に入ったようです。
 
 紹介しました『忘れられた皇軍兵士たち』をじっくり読みました。敗戦直前の昭和20年に、18歳で、戦争に狩り出されたとしても90歳を越えています。もう生きている人はゼロに近いでしょう。
 若い、元気盛りの若者が、体に、心に、傷を負って、敗戦後の73年という長い年月を、この日本の片隅でひっそり生きてきた。胸が痛みます。
 著者・樋口健二さんの文を引用します。


 戦争は人を殺し、殺されるおろかしい行為であるが、兵たちは逃れるすべすらなかったのである。 
  …… 敗戦以降の歳月は、精神を患った元皇軍兵士たちにとって、長くつらい日々であったろう。1971年に、武蔵療養所で患者を診ていた一人の医師が私を自宅に招き、とつとつと語ってくれた言葉がある。「樋口君、戦後はむごいものだよ。家族だって精神をやられているから見舞いに来る人はほとんどいないんだよ。かわいそうだが、ほんとに哀れでね。心が痛むよ!」
 …… 個室に閉じこめられていた姿を撮影した時、まるで刑務所ではないかと錯覚したことを思い出す。 …… 半日も同じ場所に立ちつくす人、私に向かって直立不動で挙手の礼をした人の姿が、いまも思い出される。

 そんな文を見ても、博物館で古代エジプトの歴史的展示を見ているように感じる。 
 そういう時代に、なりました。しかし、それでも、最後の一人になっても、いまも生きている人がいる。
 戦争はむごい。
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