古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

土筆が生えてきました。

2023年03月14日 02時50分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨夜雨が降ってよかった。乾燥注意報の出る天候でしたが、土がしめってきました。土筆が生えてきます。

 うちの村の「大池東の道沿い」は、三日後くらいには摘み頃になるでしょう。「公民館裏の広場」は、一週間後には摘み頃になるかな。いいタイミングで雨が降ってくれました。
 昨日、円筒形にした畔シートをつかってキウイの苗を植えました。寝ながら考えました。「上から水を入れて、苗に十分水をやれる。しかし、円筒形の中に水がたまりすぎて、苗の根が水びたしになり、育たなくなる心配はないか」。
 円筒形の底はないから、水は山の土に吸い込まれる。大丈夫だろう。でも心配だから円筒形の下のほうに穴をあけて使おう。

 写真のように10個の穴をあけました。底面とこの穴で水がいっぱいになっても吸収してくれることを期待します。

 なぜ2.26事件の真崎甚三郎のことを考えたか。
 若い青年将校たちは「軍備増強などで大儲けしているヤツがいるのに、東北の農民は凶作に苦しみ、娘を身売りし、食うや食わずの生活をしている。政治がわるいのだ」と立ち上がったのです。やり方は悪かった。しかしその思想的なリーダーとして持ち上げられた真崎甚三郎が法廷で「オレは関係ない」というようなことを言う。青年将校たちは銃殺刑になり、真崎甚三郎は裁判では無罪。戦後も昭和31年/79歳まで生きて、おそらく軍人恩給をもらって、ぬくぬくと生きたでしょう。
 ほかにもそんなヤツがいっぱいいる。軍人恩給をもらって、中には戦時中のように「閣下と呼べ」と威張ったりして、ゆったり生きている。その陰で多くの有能な若者が/戦死/傷病死/餓死/させられた。
 いまも腹が立って「このまま歴史のなかに埋もれていいのか」という気になります。
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