古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

松本清張のエッセイより〈差別感覚〉について

2023年03月17日 18時00分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 松本清張の『半生の記』は、彼が作家になるまでの自伝です。胸に迫るような厳しい境遇から這い上がり、「よくも世間の人たちに〈読む喜びを〉あたえてくれる作家になったなあ」と感無量になります。
 図書館で松本清張全集・第34巻を借りて読んでます。この巻には『半生の記』だけでなく、彼の多くのエッセイが載っています。松本清張の「生きる様子を伝える文章」は、まっすぐ読者の胸を射る力があります。引用します。


 私がK電気小倉出張所という会社へ給仕として入ったときは月給11円だった。 (中略)  このときの出張所の所長というのが四国の人で、星加さんと言った。当時の私は十五歳だったが、星加さんは四十ぐらいになっていたのではないかと思う。星加さんは私を呼ぶのに「松本さん」と云って「さん」を付けてくれ、言葉も丁寧であった。私はその後いろいろな人を見てきたが、小学校を出たばかりの給仕に一ばんの上役が「さん」付けで呼んでいるのを知らない。
 これはちょっとしたことだが、相手の人格を認めたということで大へんな意味があるように思う。なかなかそうは云えないものだ。呼び捨てが普通である。相手の人格を認めるということは差別観念がないということであり、互いに人間的な愛情を感じさせるものだ。    (中略)
 こちらの人格を認めてくれたほど嬉しいことはない。それも口の先だけでなく、心から「ご苦労さまでしたね」と云ってくれたら、こちらもどんなに希望と勇気とが湧くかしれないのだ。
 一ばん残念なのは人間的に差別待遇されることである。私は世間の主婦の方にお願いしたい。どんなに下級の人でも、たとえば、あなた方の台所を訪問して品物を配達でもしたような場合、それが商売上の当然の行為であっても、その人間にねぎらいの言葉一つでもかけてやっていただきたいのである。
 その人間はその一言でどんなに元気づけられ、希望を与えられるか分からない。それはあなた方の想像以上かもしれないのである。相手方が人間的に認めてくれたことであり、差別的な観念を持たれなかったことへの喜びである。


 松本清張は、朝日新聞・九州支社・広告部の「雇員」になってからも「社員」とあからさまに差別され、口惜しい思いをしたことを『半生の記』に書いています。昭和37年4月発行の『婦人公論・臨時増刊』「人生特集」に掲載された松本清張の「実感的人生論」から引用しました。
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