きのうは『口吉川町の山を歩く会』の3月例会の日でした。郷土史講座の先生は都合で参加されなかったので、道子さんとぼくを入れても参加者は4人でした。山の空気は肌寒かったけど歩くうちに体があったまり、気持ちのいい山歩きになりました。
「東」(ひがし)の公民館に8時に集合して、山に登りはじめました。山道には軽トラの轍(わだち)があり、4WDの車なら走れそうです。しかし轍は途中でなくなり、『山の神さん』のある頂上への道は傾斜がきつくなりました。
歩きはじめて20分で「東」村の山の神さんに着きました。写真は頂上にある祠です。「東」村の人がお世話をしており、毎日この祠を拝みに登ってくるおじいさんがおられるそうです。いつかまた散歩の途中に、この村の人にお祭りの日のことをたずねてみます。
時間があるので『石上山』(いしがみやま)まで縦走しようということになり、尾根を歩いてみました。山道はところどころ枯れ枝が落ちていますが落葉の積もった歩きやすい道です。竹薮がないので雑木林にはいろんな木が生えています。リョウブ、タカノツメなどを教えてもらいながら歩きました。南畑に移り住まれた方は植物や山にくわしいようで、歩きながらタヌキのフン場、猪のケモノミチなども教えてもらいました。
石上山は標高228メートルですが口吉川町では一番高い山です。頂上に石の祠があり、消えかかった「嘉永六年……」の文字が見えました。木が茂り藪に埋もれていたのを郷土史の講師の先生が見つけて、木や草を刈って整備されたそうです。祠の前に多くの小石がきちんと置いてありました。先生が山のふもとの南畑からこの山に登るたびに小石を一つ並べるそうです。
車のところに帰ってきたら11時でした。ダラダラ歩きですが3時間歩いたことになります。今週末には郷土史講座の実地学習があるのでまた山を歩きます。「久次」(ひさつぎ)という村には『脚気神社』という神社があり、召集された人は出征する前にお参りしたそうです。
こうして口吉川町のあちこちを歩いているとよく墓場があります。その墓の中には必ずといっていいほど戦死した兵士の墓があります。先の尖った墓石があると、読める限り碑文を読んで戦死したときの様子を想像してみます。おそらく20代30代の強壮な若者で、生まれ育ったこの村を思いながら死んだのでしょう。死んだ者、墓を建てた者の無念さをいまも伝えてます。
「東」(ひがし)の公民館に8時に集合して、山に登りはじめました。山道には軽トラの轍(わだち)があり、4WDの車なら走れそうです。しかし轍は途中でなくなり、『山の神さん』のある頂上への道は傾斜がきつくなりました。
歩きはじめて20分で「東」村の山の神さんに着きました。写真は頂上にある祠です。「東」村の人がお世話をしており、毎日この祠を拝みに登ってくるおじいさんがおられるそうです。いつかまた散歩の途中に、この村の人にお祭りの日のことをたずねてみます。
時間があるので『石上山』(いしがみやま)まで縦走しようということになり、尾根を歩いてみました。山道はところどころ枯れ枝が落ちていますが落葉の積もった歩きやすい道です。竹薮がないので雑木林にはいろんな木が生えています。リョウブ、タカノツメなどを教えてもらいながら歩きました。南畑に移り住まれた方は植物や山にくわしいようで、歩きながらタヌキのフン場、猪のケモノミチなども教えてもらいました。
石上山は標高228メートルですが口吉川町では一番高い山です。頂上に石の祠があり、消えかかった「嘉永六年……」の文字が見えました。木が茂り藪に埋もれていたのを郷土史の講師の先生が見つけて、木や草を刈って整備されたそうです。祠の前に多くの小石がきちんと置いてありました。先生が山のふもとの南畑からこの山に登るたびに小石を一つ並べるそうです。
車のところに帰ってきたら11時でした。ダラダラ歩きですが3時間歩いたことになります。今週末には郷土史講座の実地学習があるのでまた山を歩きます。「久次」(ひさつぎ)という村には『脚気神社』という神社があり、召集された人は出征する前にお参りしたそうです。
こうして口吉川町のあちこちを歩いているとよく墓場があります。その墓の中には必ずといっていいほど戦死した兵士の墓があります。先の尖った墓石があると、読める限り碑文を読んで戦死したときの様子を想像してみます。おそらく20代30代の強壮な若者で、生まれ育ったこの村を思いながら死んだのでしょう。死んだ者、墓を建てた者の無念さをいまも伝えてます。