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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

縦走! 「東」の山の神さんから「南畑」の石上山へ。

2011年03月08日 23時58分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは『口吉川町の山を歩く会』の3月例会の日でした。郷土史講座の先生は都合で参加されなかったので、道子さんとぼくを入れても参加者は4人でした。山の空気は肌寒かったけど歩くうちに体があったまり、気持ちのいい山歩きになりました。
「東」(ひがし)の公民館に8時に集合して、山に登りはじめました。山道には軽トラの轍(わだち)があり、4WDの車なら走れそうです。しかし轍は途中でなくなり、『山の神さん』のある頂上への道は傾斜がきつくなりました。
 歩きはじめて20分で「東」村の山の神さんに着きました。写真は頂上にある祠です。「東」村の人がお世話をしており、毎日この祠を拝みに登ってくるおじいさんがおられるそうです。いつかまた散歩の途中に、この村の人にお祭りの日のことをたずねてみます。
 時間があるので『石上山』(いしがみやま)まで縦走しようということになり、尾根を歩いてみました。山道はところどころ枯れ枝が落ちていますが落葉の積もった歩きやすい道です。竹薮がないので雑木林にはいろんな木が生えています。リョウブ、タカノツメなどを教えてもらいながら歩きました。南畑に移り住まれた方は植物や山にくわしいようで、歩きながらタヌキのフン場、猪のケモノミチなども教えてもらいました。
 石上山は標高228メートルですが口吉川町では一番高い山です。頂上に石の祠があり、消えかかった「嘉永六年……」の文字が見えました。木が茂り藪に埋もれていたのを郷土史の講師の先生が見つけて、木や草を刈って整備されたそうです。祠の前に多くの小石がきちんと置いてありました。先生が山のふもとの南畑からこの山に登るたびに小石を一つ並べるそうです。
 車のところに帰ってきたら11時でした。ダラダラ歩きですが3時間歩いたことになります。今週末には郷土史講座の実地学習があるのでまた山を歩きます。「久次」(ひさつぎ)という村には『脚気神社』という神社があり、召集された人は出征する前にお参りしたそうです。
 こうして口吉川町のあちこちを歩いているとよく墓場があります。その墓の中には必ずといっていいほど戦死した兵士の墓があります。先の尖った墓石があると、読める限り碑文を読んで戦死したときの様子を想像してみます。おそらく20代30代の強壮な若者で、生まれ育ったこの村を思いながら死んだのでしょう。死んだ者、墓を建てた者の無念さをいまも伝えてます。 

細川町中里の原坂に行きました。

2011年03月08日 02時40分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真はうちの村のゴミステーション前です。田んぼの土手に埋めたチューリップの球根が芽を出してきました。その横に花を植えたプランターを置きました。雪が降った朝ですがどことなく春めいています。今年もさり気ない気くばりを心掛けたいと思います。
 さてきのうは軽トラで散歩に出ることにしました。寒かったしちょっとした用事もありましたので。ところが走っているうちに、先日うちの村の老人会長に聞いた〝細川町の秘境〝を思い出して、行ってみることにしました。
 細川町の谷に入って東に走ると、法輪寺が山の中腹に見えます。さらに東に走ると御酒神社(みさかじんじゃ)があり、その先を左の山に入ると〝細川町の秘境〝原坂があると聞きました。それらしい道を登ると山の中に入っていきます。「この先に人家があるのか? 山の中の細い道をバックで戻ってこなければならないか」と心配しましたが、「4WDの軽トラだから急な坂でもなんとかなるだろう」とズンズン山を登りました。
 すると突然視界がひらけ、数軒の家が見えてきました。庭先におばあさんを見かけたので、車と止めて話を聞くことにしました。ここは原坂の奥の集落で家は四軒あるとのことでした。でも一軒は空き家みたいになっています。軒先の切り株のイスにすわり、しばらくおばあさんにこの集落の話を聞くことにしました。
「私は口吉川町の番谷からここに嫁に来ました」と聞いてびっくり。『番谷』といえばこのブログでも紹介しましたが、おらが町・口吉川町(くちよかわちょう)の秘境。はじめて入り込んだときは「エッ? こんなところに平家の落人の集落があるのか」と思うほどの雰囲気がありました。再訪しようとして道を間違え、『槙』の集落で車が田んぼの道で立ち往生したこともあります。あの秘境からこの秘境にお嫁に! 
 干し柿と蒸したサツマイモをすすめられて食べながら、昔の苦労話なども聞きました。小学生のときは口吉川町学校に山道を一時間歩いて通い、忘れ物をして取りに帰ったこともあったそうです。
 しかしこの山奥にも最近子どもの遊び場ができて、週末は車が何十台と来るそうです。そういえば途中に『てくてく』と矢印を書いた小さな看板を見掛けました。道子さんは「ここからは歩行者専用の道という意味かな」といぶかっていましたが、そんな名前の工房があるのですね。
 ネットで調べてみるとなかなか人気の「子どもの遊び場」のようです。ウォルドルフ人形、シュタイナー、足立美和子先生、人形の講習、ちっちゃなこども園にじいろ……。エエッ? 大志くんの保育園だ!
 カメラを持ってなかったのでこの山里の写真はまた。もし田舎暮らしの家探しをしているときにこの村の空き家に出会っていたら、ここに暮らすことになったでしょうね。気に入りました。また若葉の季節には行きます。