古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『道しるべ』に歴史をいつくしむ民衆の気持ちがこもっています。

2011年02月21日 01時43分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は殿畑にある昔の『道しるべ』です。桾原から口吉川小学校に行く山すその農道にあります。
先日散歩で歩いたときに撮った写真ですが、この道しるべは、圃場整備(田んぼを整備して機械が入れるようにする)のときにいまの場所に移されました。三木図書館で借りた平成四年(1992年)教育委員会発行の『三木の道しるべ』という冊子には、この道標の写真が載っており、こんなメモがつけてあります。
 
 <メ モ>   殿畑の山すそへの路傍にひっそりと一基の道標がやや傾きながらも立っている。少し風化しているが、まだしっかりしている。ただ文字が草書体で欠落もあってどうしても全部読めないのが残念だ。なお近い将来、その周辺も圃場整備がされるとのことであるが、若干位置が変わっても残してほしい。

 この冊子発行後に行われた圃場整備で、道標は北に移されましたが、碑のよこに御影石の解説がつけられました。写真では読めませんので全文を載せます。

               舌  たらず

 街道脇に建つ右の碑は、旅行く人に道案内をかい、右に行くは蔵の谷(東条町)左は人・物行き交う要所・高砂港有り、と知らせ、時には農耕牛馬を繋ぎとめ、人々の憩いの場を提供し、或いは碑の頭上にある窪みが示す通り、幼子の「ままごと」遊びの場となり、街道筋に建つこと200年、『樹齢行童女』の供養と刻まれているが建人知れず……。今日に至るが、時の流れ、この度の土地改良事業で役目を終える。寄って30メートル北の位置に移し、多くの人々の記憶にとどめるべく記す。

 民衆が歴史をいつくしむ情感のこもった碑文解説です。三木に移り住んで4年。三木には歴史のある祠や碑がたくさんあります。そしてそれが民衆に大切にされ、子孫に伝えられていく歴史の流れを感じます。先日紹介した東中にはじめて学校をつくった国嶋先生の碑も、消えてしまった碑文(昭和17年発行の兵庫県教育史には全文載っている)がこの案内板のように顕彰されるのがいいか。歴史の落葉が降り積んで自然に埋もれるものなのか。
 いましばらくは、三木の史跡をときどき訪ねるのをたのしみにします。


 
 
コメント
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