古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

緑台をきれいに掃除する人に会いました。

2011年02月01日 05時23分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 毎日寒いですが、それでも2月になります。そろそろ散歩を復活して運動しようと、きのうは軽トラックで散歩の下見に出掛けました。気が向いたところに軽トラを置いて30分ほど歩くつもりでした。車に乗ってから、なんとなく「緑台に行ってみよう」という気分になりました。
 緑台は口吉川町を通り抜け、吉川町の旧・町役場を通り過ぎたところから山に上る新興住宅地です。バブル前に開発され、いくつか家が建ち、『緑台』という素敵な名前をもらい、その後空き家が増えた町です。その頂上に、大阪城の石垣にも使ってもらえそうな巨大な石を積んだ空き家があります。去年の春に一度見たあの廃屋にだれか入居しただろうか。
 石垣のそばに軽トラをとめて、道を歩いてみました。やはり空き家のままです。でも空き家らしい家がポツポツあるのに、だれかが斜面を掃除したようで、道を歩くと空気が清清しい。
 初老の女性が溝の落葉を掃き寄せて燃やしています。道子さんが声をかけると「自分が住んでるところはきれいにして気持ちよく暮らしたいから」。写真のような斜面をご夫婦で上まで草を刈り、道路左の下り斜面もずーっと下まで草を刈り、刈った草や笹を掃除してあります。ぼくがうちの前の50坪の空き地(だれかの土地だけど長年放置してある)の草を刈り、耕運機で耕し、菜花の種を播いたのとスケールがまったくちがいます。
 女性は自宅前の空き地を指して「ここも主人が掃除してます」。ひな壇状のいくつかの宅地は、ツツジが植え込まれ、プロの庭師の仕事のように見事に丸く刈られています。だれに頼まれたのでもなくただ「気持ちよく暮らしたいから」。たったそれだけのために他人の土地をこんなに丹精込めて手入れできるのだろうか。道子さんは「これが全部『あの世貯金』になるのでしょう」と納得してるようです。こんな人を見たら、ぼくの貯金なんて子ども銀行貯金程度だな。
 帰りに緑台入口の空き地を見たら、90坪250万円と看板が立ててありました。値切って200万円か150万円かでも買う人はあるでしょうか。バブルの頃の10分の1にもならない値段でしょうが、それでも売れることはまずないでしょう。そういえばぼくが5年前に我が家の土地を購入したときは、不動産屋さんのいう値段で買いました。「値切らずに買う人ははじめてだ」と10万円負けてくれました。そんな世間知らずのぼくたちが、大きなダマシにもぶつからずにいま田舎暮らしができているのは、なにか大いなるものに守られているからでしょうね。とりあえずまた裏山の愛宕さんにお参りしときましょう。
 緑台から旧の街道まで下りてきたら、なんと『嶋田百貨店』と看板のかかった店があったので丁稚羊羹とサインペンと豆腐を買って帰りました。15年前、篠山をウロウロしていた頃、一番山奥の村に大芋(おくも)百貨店という万屋(よろずや)と出くわしたことがあります。ビー玉とかモンペとか駄菓子を売ってました。いまでもあるかなー。
コメント (1)
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