古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

脇川の教海寺と三木合戦

2011年02月04日 03時54分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 毎月1日には市報が新聞に折り込まれていますが、『くらしの情報』らんを見たら3月21日に文化会館で演劇の公演があります。演目は『もうひとつの三木合戦』……脇川と青竹の筒 (みき演劇セミナー公演)となっています。
 写真は脇川の教海寺です。ここの僧徒は攻囲された三木城になんとか米を届けようと青竹の筒に入れて川に流します。青竹は秀吉が本陣を敷いた平井山のふもとを流れ、三木城内の井戸に流れ着くようになっていました。ところが秀吉軍の兵士が青竹を拾い上げ、栓に槙の木が使われていることから足がつき、三木城の籠城軍に味方した僧徒が処刑されます。それが演劇になるのでしょう。ぜひ見たいと思っています。
 この教海寺の横に『脇川の念仏水』の泉があります。ここの水は『ひょうごの名水』(厳選55ヵ所)- 神戸新聞総合出版センター刊 にも載っており、先日訪ねたときも車を止めて水をくんでいる人がいました。この本にはこう紹介してあります。

 その昔、弘法大師が修行でこの地を訪れた際、老婆に水を所望したところ乏しい水を快く差し出してくれた。大師はそのお礼に杖で山すその窪みを突き刺したところ水が湧き出し、それまで水に困っていた村民を助けたという伝説が残っている。
 
 きのうは裏山に植えた木木に寒肥を入れました。竹を燃料に野菜くずを燃やしてつくった草木灰と鶏糞を混ぜ合わせ、ツルハシで掘った穴に施していきました。木を植えるようになって三年目ですが、竹薮に植えるのは感心しないと植木屋さんにいわれていました。でもほとんどの木は根付いています。今年もまた3月には何本か苗木を植えることにします。
 去年は裏山の竹を切り倒して頂上に達しました。そしてブランコをつくり、孫たちと弁当を食べました。でもハンモックにのって本を読んだり昼寝をしたりはまだできていません。「流し素麺」もまだです。そのためにも冬の間に竹を切らなくては。
 ところが切った竹を置くところがなくなりました。畑で草木灰をつくる燃料にしようと先日から丸鋸で切って運び、もう充分です。切った竹はまだ伐採していないまわりの竹薮に突っ込んでいますが、それもいっぱい。あと500本切ってどこに置くかなー。
 
 
 
コメント
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