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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

今年の草刈りは終わりました。

2010年10月25日 03時11分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 きのう草刈りをした土手の写真です。南側の土手の下から撮りました。村の墓地の下はナイロンコードで刈りました。これで今年の草刈りは終わりました。去年は年末にナイロンコードでもう一度全部の土手を刈りましたが、今年は土手の肩にリコリスの葉がこれから茂ってくるのでもう刈りません。それでも草はあまり伸びません。次に刈るのは来年の4月頃になるでしょう。
 今年は刈る回数を少なくしようと五月の連休に第一回目の草刈りをしました。前年末に短く刈ったので伸びるのが遅くなると思ったのです。しかし草はしっかり伸びており、草の量が多くてとても疲れました。回数が問題ではなく、草の量が問題です。量が多いと刈るのも片付けるのも消費するエネルギーがちがいます。
 刈り払い機を動かして草を刈るのは、ほんとうは気持ちのいい労働です。
 来年は回数を少なくすることを考えず、今なら気持ちよく刈れる、という基準で草を刈ります。うちのととなりの境目に放棄田があります。債権がからんで放置されているらしく、田んぼは背丈を越すセイタカアワダチソウにおおわれ、土手も背丈を越す雑草におおわれています。となりからその土手を刈ってほしいと苦情が出て、村の衆が総出で刈ることになりました。一昨年のことです。
 ぼくも老人会長について草刈り機をさげて参加しました。でも草に圧倒されてふもとから土手にとりつくどころでなく、田んぼの畦を刈っただけです。村の若い衆(ぼくら老人から見ると)が背負い式の草刈り機で力強く刈り上がっていきます。高い土手は見る見る草がなぎ倒されていきました。とてもぼくの出る幕ではないと思いました。
 いまの畑のぐるりの草刈りが、ぼくにはちょうど似合っています。この土手だからぼくの草刈りの美学が成り立ちます。
 来年も気持ちよく草刈りができますように。
 
 
コメント (2)
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