古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『甲山事件』を思いました。

2010年10月09日 04時33分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 政治家の小沢一郎さんが検察審査会によって強制起訴されることになり話題になっています。ぼくはこの『検察審査会』というものに疑問を持っています。小沢さんのこととは無関係ですが、その疑問をきいてください。
 1974年(昭和49年/ぼくは37歳でした)3月、知恵遅れの子らを収容する西宮市の甲山学園で事件が起きました。園児二名が浄化槽で水死体となって発見されたのです。西宮警察が捜査に入り、内部犯行として学園職員を取り調べ、学園の保母をしていた沢崎悦子さん(二十二歳・彼女はその後結婚して山田という姓になりました)が犯人として逮捕されました。彼女のアリバイがはっきりしない。それが逮捕の理由でした。
 当時ぼくは西宮に勤めていましたが、ぼくの関係する団体がこの冤罪裁判を支援することになり、沢崎さんと支援者の方にお会いして話を聞いたこともあります。いっしょに話を聞いた先輩があとで、逮捕拘留して取調べを受けていたときに一度自白させられたことに関して、「プロの刑事が一日中すごんだりなだめたりしてガンガン詰めたらな、二十歳すぎの女の子ならなんでも『ウン』というてしまうで。あの子はやっとらへん。見たらわかるがな」と息巻いたことを今も覚えています。
 沢崎(山田)悦子さんは確たる証拠もなく不起訴になり釈放されました。ところが亡くなった園児の遺族が『検察審査会』に不服申立てをして、沢崎さんは再逮捕・起訴されることになりました。その後の長い経緯はネットに載っています。『検察審査会』は、警察や検察の描いたストーリーに乗って結論を出し、冤罪事件をつくったといまも思っています。
 その後この裁判は「再審を含まない刑事裁判としては稀に見る長期の裁判となり」、沢崎(山田)悦子さんが四十八歳のときに無罪となりました。彼女は二十二歳から四十八歳までずっと被告という立場に置かれたのです。その間に弁護団は中坊公平さんら239人にふくれ上がり、神戸地裁で最後の無罪判決が出たときは、多くの人が喜んでいる姿がニュースで放映されました。
 その中に『絵本』というお話の作家・松下竜一さんの姿がありました。体調がよくなくても、極貧の作家生活をしていても、九州から駆けつけた彼の正義感に心を打たれました。(松下さんはぼくと同年生れで、2004年67歳で脳出血により亡くなりました)
 遺族の心情をくんだのか、検察が裏であやつって警察の書いた筋書きに乗せられたのか、『検察審査会』は「起訴すべきだ」と結論を出しました。そして長い年月の間に、冤罪をつくりあげた者たちは次々と交代し、誰が悪かったのやらうやむやです。山田悦子さんだけがいつも被告の立場に立たされていました。無罪になってみたら21世紀でした。
 検察審査会は「とりあえず起訴して裁判でシロクロつけたらいい」ではいけないのです。取り調べた検察のストーリーに乗せられてはならないのです。
コメント (1)
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