古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

見逃してはいけない谷垣発言

2009年10月30日 05時51分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 政権交代後はじめての臨時国会冒頭、鳩山首相の演説に各党の党首が感想を述べた。その中にあって自民党の谷垣総裁は、民主党議員の拍手を「ヒットラーの演説に拍手するヒットラーユーゲントを思い出した」という趣旨の発言をした。
 ちょっと待て! 国会議員を擁する政党の党首が『ヒットラーユーゲント』を持ち出すその感覚を、私は、見逃すわけにはいかない。
 谷垣さんが野に下る自民党の党首になったのは、それはそれでかまわない。パンチは効かないが無難という選択を自民党は行ったのであろう。「みんなでやろうぜ」と声を掛けて党を引っ張っていこうとするのもかまわない。それをよしとする人たちが応援すればいい。他党を評するのに、様々なけなし方、揚げ足取りもあるだろうが、自分の人格に跳ね返ってくるものだから、それはそれでかまわない。
 だが他党議員の拍手を評するに、軽々しくヒットラーユーゲントを持ち出す感覚を持った政治家が党首になっているのが許せない。
 ヘルベルト・フォン・カラヤンは人気絶大な指揮者だった。その彼は第二次世界大戦中ナチ党員であったため、戦争が終ってから厳しく糾弾されたときがあった。彼がはじめてアメリカのカーネギーホールで公演したときは、「ユダヤ人がチケットを買占めてしまい観客は二人だけだった」という映画も製作された。(『愛と悲しみのボレロ』)フランスでもナチスに迎合した人たちは糾弾された。ドイツでもナチ党員への厳しい告発と糾弾が行われた。
 日本では戦前・戦中時代に特高警察が暗躍した。「あいつはアカだ」と風評が立つだけで逮捕・拷問され、『蟹工船』を書いた小林多喜二のように警察で拷問死させられた。その特高だった者たちは敗戦後どう告発され、日本人はどんな反省をしたか。竹槍を持たせて主婦らを駆り立てた在郷軍人たちは、敗戦後は口をぬぐってなんでも人のせいにしなかったか。
 右でも左でも大きく振れるラベル貼りをするのは、日本人にはとても危険なことだ。いとも簡単に非難を集中させ、抹殺する社会風潮をつくる。
 うまくまとまらないが、あの谷垣発言の政治感覚は見逃すべきでない。
コメント (1)
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