古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『北朝鮮 楽園の「残骸」』という本を見て

2009年10月28日 01時10分10秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 半年ほど前にネットで『北朝鮮・楽園の「残骸」』という本を購入して読みました。北朝鮮は閉鎖的な国で情報統制が厳しく、庶民の生活実態を撮影した写真を持ち出すことは不可能です。国内移動中はいつも『指導員』と称する監視役がつきまとい、すべての行動をチェックします。しかし東ドイツ出身の援助団体の青年は、北朝鮮国内での援助活動の日々に撮影した写真を、あるルートで持ち出すことができました。その写真集をなぜかこの一月ほどまたトイレの本棚に置いています。
 ふつうには見られない平壌以外に住む庶民の貧しい暮らしが多数の写真を通して伝わります。胸が痛みます。それでも便座にすわるたびについ本に手が伸びます。こんな残酷な国民生活がいつまで続くのでしょう。
 もともとは北朝鮮の国を『地上の楽園』的に見ていました。平壌少年芸術団の子どもたちのほほえましい舞台を見たこともあり、国民のために社会主義を実現している国と思っていました。いわば北朝鮮の宣伝にのせられていました。
 しかし『北朝鮮 秘密集会の夜』という本を読んで、あの国の恐ろしさを知りました。それから矢継ぎ早に『凍土の共和国』『どん底の共和国』『暗愚の共和国』『北朝鮮1960』(在日朝鮮人が北朝鮮に帰る運動の開始された年)さらにたくさんの暴露本を読んで、とんでもない国だったことを知りました。
 いまでは日本のすみずみまで、あの国は人間抑圧の極貧国であることが知られています。庶民は貧しい生活に苦しみ、飢え死にし、国家は核兵器を持とうとやっきになり、まるでピストルを欲しがるヤクザです。
 朝夕冷え込むようになりました。また冬がやってきます。全ての自由を奪われ、着る物もない、食べる物もない、どうやってまた一冬を越すか見通しも立たない、せめてたっぷり食べてから死にたいと絶望的な気持ちになる庶民がいまこの地上に存在することを、ただ意識するしかない自分を歯がゆく思います。 
 
コメント
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