女性が一人で外出しにくい村の改善に努めました。村の市場とモスクの建物の間に位置する事務所の敷地を村の女性が通過しています。なぜ、庭を横切るのか尋ねたら表の道は男性が往来して、ここの通路は女性たちが往来する通路だったとの説明に納得しました。
村の女性が経済的に自立する方法として、ジュート(黄麻)の手工芸品を作って欧米のボランテイア団体が販路を設けているので、それらの団体のルートに参加して村で手工芸品の活動を始めました。最初に日本人の女性メンバー1人が首都ダッカで短期間の研修を受け、同時に村では手工芸品の制作する女性への働きかけを行いなした。元々ジュートは村々で植えられ、雨期の前か雨期に収穫して水に浸して皮を剥いでいた商品ですから、村に材料は沢山あります。ジュートは昔、大豆やコーヒー豆などの穀物を入れる袋として日本でも使っていました。
基本的には、良質の綺麗なもので3つ網の紐を作って、刺しゅうしてマットを作ったり、シーカと言って物をぶら下げる紐の装飾品を作りました。村の女性もダッカに2週間ほどの研修に2人組で参加しました。殆どの女性が隣町のギオールしか出かけない若い女性が、首都のダッカに出かけるのは大変でったと思います。女性だけの外出は困難なので私も2人の女性を連れて行ったと思われます。その後、ダッカで研修を受けた女性や日本人女性が各集落で講師になり参加者が増えて行きました。
製品の単価が高い品物に、シーカの飾りで下側にジュートのくずを丸めて外側を綺麗なジュートで包む製品がありますが、なかなか綺麗な丸に出来ません。中年の女性が出来上がったシーカを持って来ました。私も製品の検参加していたと思いますが、軽いはずのシーカが重いので直ぐに不正が判明しました。柔らかなジュートの球を綺麗なジュートで包んで丸い球を作るのが難しいので、泥だんごが乾いて固くなって包むと楽に出来るので作ったと思います。叱りましたが本人は丸くなっていると抗議していました。商品価値の意識の難しさを感じました。文字を書けない人たちは自分の名前も書けないのですが出来上がった製品の代金を受け取る時に、ノートに自分の名前を書いて受領しなければなりません、グループ内に識字が出来る人に自分の名前の書き方を習って初めて自分で自分の名前を書いている現場に遭遇しました。自分の名前を書く緊張感が有りました。
自分の名前を書けなく、わからない書類に言われるままに書いて男性が自分の土地を取られたとの話も聞きました。