~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
第三 大なる章
12、二種の観察
「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『神々と悪魔と共なる世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・
人間を含む諸々の生存者が(これは安楽である)と考えたものを、諸々の聖者は
〈これは苦しみである〉と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』
―――これが一つの観察〔法〕である。
『神々と悪魔と共なる世界、道の人・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が
〈これは苦しみである〉と考えたものを、諸々の聖者は〈これは安楽である〉と如実に
正しくい智慧をもってよく観ずる』―――これが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している
修業僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。
759、有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り、触れられるもの。
考えられるものであって、好ましく愛すべく意に適うもの、―――
760、それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般に認められている。
又それらが滅びる場合には、かれらはそれを「苦しみ」であると等しく認めている。
~ 感謝・合掌 ~