~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
第三 大なる章
12、二種の観察
「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて動揺に縁(よ)って起こるのである』というのが、一つの観察〔法〕である。
『しかしながら諸々の動揺が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している
修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。
750、およそ苦しみが起こるのは、すべて動揺を縁として起こる。
諸々の動揺が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。
751、「苦しみは動揺の縁から起こる」と、この禍を知って、
それ故に修業僧は(妄執の)動揺を捨て去って、
諸々の潜在的形成力を制止して、無動揺・無執着で、よく気をつけて、
遍歴すべきである。
~ 感謝・合掌 ~