幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

朝からラッキー?!

2012年05月14日 14時31分34秒 | ひとりごと
 朝8時20分、電話が鳴った。

仕事に出かける夫の車を見送り
ついでに、玄関先をお掃除し終え
さあ、次は・・・

と、言う矢先だった。

年配の聞きなれない女の人の声が
戸惑いがちに尋ねてきた。


「あの~~~~~
 お聞きしますが、お宅って
 写真、やってらっしゃる?」


 へっ?!
写真???

うーーーん、10年ほど前は仕事の関係もあって
かなりカメラに凝ってた時期もあったけれど、
今、写真のことで尋ねられるようなことは何もないはずだ。


「いえ・・・

 あの、

 それは・・・???」


 などと、応えに戸惑っていると
彼女はさらに言葉を続けた。


「お宅の近くに写真をやっているところがあるはずなんですが・・・
 名前と町名を言って104で尋ねたら
 お宅しか載っていないということで・・・」



そうなのよね。

この頃の104ときたら、まるで役立たずな時があるのだ。

 まず、電話帳でしか調べないから
電話帳に載ってなければアウト!!

おまけに
例えば
「カメラの○○」

「○○カメラ」などと言おうものなら

「お届けがありません」
と言われてしまう。

昔、近所のNTTの交換手につながっていたころは
かなりあいまいな情報でも
交換手さん同士が情報を提供し合って
いろいろ探してくださり

「あー、それそれ、それです!!
 よかったぁ、どうもお手数おかけいたしました」

なんてこともよくあったのだけれど
全てが合理化され
地方のNTTではなく中央につながるようになってからは
ホント、
電話帳以下になってしまった。

まったく
NTTさん、何考えてるの!!
ホスピタリーも何もあったもんじゃないわ!!

と、文句の一つも言いたくなる現状なのだ。



 で、お気の毒に
その御婦人も
「写真屋さん」「○○」という名、「△△町」というキーワードで探してもらった結果
我が家の電話番号を教えられてしまったようだ。

それで代金を取られているのだからたまらない。



 
 

 確かに、わが町内には
うちと同じ苗字の写真屋さんがある。

だが、正式な店名を知らない。

「○○カメラ」?「カメラの○○」?「○○写真」?「写真の○○」? 


正式名を教えてあげたいがわからない。
う~~~~~ん、なんていうんだろう。




 その時ひらめいた!!

そうだ!!
毎年配られる町内地図があるではないか。





「ちょっとお待ちくださいね。
 名前と番地がわかるかもしれませんから」

恐縮する相手を待たせて
それが貼ってある所へ急いだ。

地図は大きいのだが、軒数が多く
従って名前や番地が小さくて
老眼の目には読みづらい。

それでも何とか頑張って
お店の正式名と番地を教えて差し上げることができた。


これで、あの方は104で本当の番号を教えてもらうことができたはずだ。

うーん、よかったよかった。




 とまあ、こういう成り行きだったのだが
電話を切った後
私は声に出して叫んだ。


「朝からラッキーの出来事をありがとうございました。
 嬉しいです。感謝です」



 はてさて、それがなぜだか
あなたはお分かりになりますか?

もしかしたら

「朝から、迷惑な電話がかかってきちゃったわ」

なんて、思う人もいるかもしれません。
でも、私にとっては間違いなくラッキーなのです。




 近頃の私は
自分の運気を上げるために
毎朝目を覚ました直後
起き上がる前に

「幸運の女神様、いつもありがとうございます。

 今日も一日よろしくお願いいたします。

 よろしければ、今日も、女神様のお手伝いをさせてください。

 今日も成長させてください。

 人のお役にたたせてください。


 私は今日一日
 ラッキーなことだけを選択いたします。

 今日もとても幸せでした。

 本当にいつもありがとうございます」

と祈っている。


これは

“人は運をよくしたければ
 感謝することと
 親切にすることが一番だ”
 
というのを信じている私が
「運をよくする」方法などを書いている本の中の言葉を
私なりにをミックスさせたものなのだ。


他にもトイレ、鏡、玄関だけはピカピカに磨き上げておく、
ありがとうを毎日呪文のように唱える、
断捨離をする、

など、実行してその効き目を実感していることは山ほどあるが
上記の祈りもかなりの効き目がある。



この祈りの言葉の後に起き、
最初に発する言葉を「ラ」の高さから始めると
その日一日はたいてい
とても良い日になる・・・ように思うのである。


 そんな私にとって
家に居ながらにして
誰かを手助けできたことはこの上ないラッキーなのだ。

なぜなら
誰かを手助けしたということは
自分の幸せ貯金、ラッキー度が増えたということであり
誰にも会うはずのない家の中でそれができたということは
ラッキー以外の何物でもないからだ。



 アハッ

損得勘定オンリーの私?! 

ちょっと、あさましい?????




 でもいいのだ!!

小林正観もいっているではないか。

「尊徳勘定せよ」と。