幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

求めよ されば与えられん

2012年05月15日 08時22分40秒 | 波動
 「浅見帆帆子の日記」より

“ 「求めよ、そうすれば与えられるであろう。
   探せ、そうすれば見出すであろう。 
   門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう」
 
  っていう、新約聖書の言葉。

   大きくなってから思い出したことなんて一度もなかったのに
  当時の小学校の聖書の先生が教室の引き戸に手をかけて
 
  「遠くから部屋を見て人影がないからといって、
   誰もいないと思ったらそこで終わりです。
   そばまで近づいてみて、静かだからいないと思った人も、
   やっぱりそこまでです。
   ノックしてごらんなさい。
   きっと手ごたえがありますよ




   といいながら、廊下に出て、
   教室のドアを開けたり閉めたりしていた授業を思い出した。

   教育ってこういうことかも。
   長い時間かけて実るもの。”



“ あのあとずっと、Kさんという人と、
 「求めよ、そうすれば与えられるであろう」
 について考えている。
  今の私の「求めてつかみたいこと」はなんだろうと思った。

  私は求めて努力して、それでも与えられない時というのは
 まだその時期が来ていないんだろうと考える。
 または、それが与えられるにふさわしい人になっていないということ。

  努力して、自分がそれにふさわしくなって
 時期がめぐってくれば、
 かなわないことなんてないんじゃないかな。


 そう考えると、絶対無理なことというのはないだろうし
 人生楽しくなる。”



 浅見帆帆子はすごい。
 わずか23、4歳でこんなことが言えたのだから。

 私などは40歳半ばまで
 生きることがつらく
 思うようにならないことばかりで
 人生が楽しいなんて言えなかったもの。
 
 



 でも、今は言える!!
 
 人生は楽しい。

 おまけに
 この頃の私はおかげさまでラッキーなことが多い。

 でもそれは
 自分はラッキーだと信じ始めたからかもしれない。



 
 自分の思考が現実を導く三次元。

 「嫌だ」と思えば「嫌なこと」がどんどん増える。
 心配すれば心配したことが起きてくる。

 そんな中で
 たとえば都合の悪いことが起きても
 それを気付きへのヒントだと捉え
 一生懸命に文句を言わずに取り組めばよいのだ。

 「嫌だ」とか「ついていない」とか思わずに
 ただ、淡々と解決策を練ればよいのだ。
 
 反対に
 ラッキーなことがあれば
 感謝して感謝して、口に出して感謝して
 周りにもそのラッキーを配ればよいのだ。

 そうしているうちに
 本当に幸運で安らかな日々ばかりになってくるものなのだ。



 
 そうなるには
 まず
 心配をしないこと!!

 心配したことも必ず現実になるのだから
 心配しそうになったら
 意識してそれを止め
 その反対のうまくいっているほうをイメージするに限る。

 すべてがうまくいき
 みんなで喜んでいるところをイメージしよう。




 こんな話をすると
 心配性の人に限って
 「そんなことできない」
 という。

 「それができれば、苦労しない」
 という。




 できないんじゃぁない。
 しようとしないだけ。



 



 だれでも
 思考回路には癖がついている。

 生まれる前から持っていたり
 生まれてのちに擦り込まれたり・・・

 その癖を
 すぐに改善することは無理でも
 行きつ戻りつしながらも
 徐々に徐々に訓練していけば
 必ず、なりたい思考回路を手に入れることはできるはずなのだ。
 (IQなどは無理だろうけれど…)





 私たちは守られている。
 
 生まれる前から守られている。


 その守りの力を強くするのは
 信じることと感謝すること。


 自分を導き、守ってくださっている力を信じ切り
 絶対大丈夫と信じ切り
 どんな小さなことにも感謝する。


 これを根気よく繰り返しているうちに
 だんだんと心配をしなくなれるし
 幸運を引き寄せることも多くなるのだ。


 そうなれば
 やがて
 必ず、望んだものは最適の時期に与えられ
 人生は楽しいと言えるようになるだろう。