幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

働くということ

2010年07月26日 12時46分55秒 | ひとりごと
 最近時間ができて
時々テレビを見るようになった。

いずれもNHKなのだが
今、お気に入りは
火曜の夜の「天使のわけまえ」            
朝連の「ゲゲゲの女房」
日曜夜の「竜馬伝」
の三つ。

これらが好きなわけは
台詞の中に学ぶべき考え方が
多く含まれているからである。


「天使のわけまえ」のなかで
最近印象にに残った台詞のやり取り。


お料理上手の主人公が
近所の奥様方に料理を教える教室を開くように要請され
自信がなくて悩んでいる時に大滝秀治が演じる祖父と交わす会話。

「お料理教室を開いて、って言われているの・・・」

「それは人様が喜んでくださる事なのか?」

「うん・・・」

「だったら、やれ!!
 人様のお役に立つのならやればいい!!」

「・・・でも、あたし、お免許も持ってないし・・・」

「免許なんか何で必要なんだ?!
 じいちゃんだって米作るのに免許なんか持ってねえぞ。
 おめえの料理はうめえ!!
 それを教えて欲しいという人がいるなら
 それで十分でねえか」



このやり取りを聞いてから私の中で
このおじいちゃんの言葉がずっとリンクしている。


「・・・人様の役に立つならやれ!!」
「免許なんかなくていい」


そもそも「はたらく」とは「はた(他)を楽にする」という意味からきているという。

「仕事」を意味する英語には
job,business,workなどがあり
これらはそれぞれ違う意味合いを持つ。

日本で一般に仕事というと
jobやbusinessをさしている様に感じる。
そして
jobや businessであれば
いろいろなことが回りからも許されてしまう傾向があるように思う。




けれど、本当はworkが一番大切なのではないだろうか。

workの中にはほんとうの「はたらく」が
含まれている・・・と私は考えている。

その「はたらく」には先ほどの
おじいちゃんの言葉のように
「人様が喜んでくださる」
が含まれていてこそなのだ。


Job や businessにworkが含まれている事こそ望ましいのだが
ここ暫くの日本では「稼ぐ」事の方が優先されて
「はたをらくにする」が軽視されてきたように感じる。


それゆえにそれを一番に唱えたおじいちゃんの言葉が
私の中で強く響いたに違いない。




そういえば
「竜馬伝」のなかで
貧乏のどん底だった岩崎弥太郎が
材木を売り始めた頃の台詞にも
同じようなものがあった。


壊れた家がたくさんあり
その建て替えのために
材木は売れてもよいはずだった。

けれど材木は一本も売れず弥太郎は借金が返せない。

そんな弥太郎に妻が
「何かおまけをつけてはどうでしょう」
とアドバイスする。

それを受け止めた弥太郎は「物」のおまけをつけた。

けれど材木はやはり売れない。

どんなおまけなら材木が売れるのか・・・。

途方にくれる弥太郎だったが
やがて彼はそれが「心」である事に気づく。


おまけに必要だったのは
「物」ではなく「心」
つまり
「相手に役に立つ事」「相手が喜ぶ事をする事」だと気づいてから
彼の材木は売れ始め
巨万の富を築くもととなっていくのだ。


彼は三菱財閥を築いた人だ。
それはBusinessである。

稼ぎに稼いだわけだがそこにもちゃんと「work」があったからこそ
あれだけの成功を収めたに違いない。


弥太郎の台詞でもうひとつ忘れられない言葉がある。

材木が売れ始め、子供が生まれ
幸せになり始めていた弥太郎が
その時不幸のどん底にいた人を手助けするシーンで言った言葉。

「わしはわしのためにするんじゃ!!

 岩崎家は今、幸せの絶頂にある

 幸せはひとりじめしちゃいかん!! 
 
 幸せはちゃんと人様にも分けておかねば
 そのうち、こんようになる」                 



照れ屋の弥太郎が
自分が助ける事を
相手に負担に思わせぬようにと口にした言葉だ。


これはまさしく宇宙の法則なのだ。


お金も、幸せも全てが宇宙を巡るエネルギー。

だから、回してこそなのだ。

自分の所で溜めようとする事は
流れを止めることでもあり
流れを止めてしまえば、
やがては自分の所へもまわってこなくなってしまうのだ。


本当に成功する人や
お金持ちは
必ず寄付や奉仕もしている。

彼らは意識するしないにかかわらず
この法則を心得ているのである。


「人様の役に立ち」「他を楽にし」「ひとりじめしない」という
幸せの法則をこれらの番組は
ちゃんと教えているのだ。

                                    

・・・だから
わたしはひかれるのだ。

知ってはいても人はすぐに忘れてしまう。


その忘れがちな大切な事を
見ている番組が思い出させてくれ
しかも確信を与えてくれる。

ありがたいことだ。





もうひとつ、最近見始めた「ゲゲゲの女房」は
「内なる自分を信じる」事が成功をもたらす
と言う事が実証されていておもしろい。


自分の好きなことを信じる。

自分の内なる声を信じきる。

目先の利益や経済に振り回される事なく
それを貫く。


その結果
すぐには思ったようにはならずとも
じっと耐えて
努力し続けて
信じて待てば
必ずチャンスがやってくる。                  


という、
これも宇宙の法則なのだ。


水木しげるの実話であるだけに
宇宙の法則は事実だと言う事が
信じられて嬉しくなる。




強く思うこと
信じること
努力し続ける事
人様の役に立つ事
独り占めせず皆で分ければもっともっと流れてくる事



それらを
再確認させてくれる番組や台詞が多くなってきたように感じるのは
わたしだけなのだろうか。


どうせテレビを見るなら
人のうわさや批判
辛く悲しいニュース
お金だけを儲けようとする情報などを見るのではなく
見た後に
自分の波動を高める事ができるものをセレクトしたい・・・           
と思うのである。

みたらしだんご

2010年07月24日 12時48分23秒 | ひとりごと
 京都下鴨神社の西側のとおりにある
「みたらしだんご」やさんに行きました。

みたらし団子の始まりのお店らしい。


そもそも「みたらし」とは「御手洗」であり
下鴨神社の奥、
瀬織津姫さまの祀られているお社の下の湧き泉の「御手洗」
そこの泡の形から考えられたお団子なのだとか・・・。



私の住む愛知のみたらし団子よりも小粒で
上品な感じになっている。



しかも、お店で出してくださる時は
4つと1つに分けて
人型にして出してくださる。


        


御手洗祭の祓いと同じ意味で
式紙さまみたい。


機会があれば
ぜひどうぞ 

伏見稲荷

2010年07月24日 12時45分07秒 | ひとりごと
 連休の最終日 19日

京都深草の伏見稲荷へ詣でてきました。


この日は娘が通いだした「ゆにわ」の講習会。

数霊の深田先生のセミナーに参加して以来
「お稲荷さん」に深く傾倒している娘は
「ゆにわ」に行く前にぜひ
伏見稲荷に参拝したいと言い出したのです。


「ゆにわ」の講習会は12時からなので
その前にお参りする時間は充分あります。


しかも
なんと!!
“海の日でお休みの夫”も同伴で!!・・・です  




 できるだけ朝の清浄な気の中でお参りさせていただこうと
3時半に我が家を出発し6時頃到着。



しかし!!
夏の朝の6時は遅すぎました 



陽は高く上っているうえ
もうすでに暑い!!!

清浄な空気などどこへやら 


おまけに
参拝の方々やら
散歩の方々など結構いらして
とても
ひっそりと静かにお参りさせて頂ける環境ではありませんでした。

それでも
20数年まえの
物見遊山とは違い
心を込めて
お参りさせていただけたのはなによりでしたが・・・。




境内では
独りでお参りするほうが
いろいろと感じることができるので
娘とは別行動にしました。


が、さすがに
夫を外って置くことは憚られ
仕方なく同行する事に・・・


「おかげさまで夫婦そろってお参りさせていただくことができました」
・・・と
とりあえず感謝しながらお参りしてきました。



伏見稲荷はそのお山全体がご神体でもあり
全山をめぐると2時間はかかるそうです。

さすがに
それは無理なので
奥社奉拝所の少し上の熊鷹社、三ツ辻辺りまで行ってきました。


ずっと夫が一緒だったせいか
私自身の波動のせいか
ぜーんぜん
な~~~~んにも感じませんでした 


普通でいい!!
感じなくていい!!
感謝できればそれでいい!!


・・・とは思うものの
なんだかやっぱり寂しい・・・
せっかく三時起きできたのに・・・・・ 



ま、今回は娘のお付き合いでもあり
私が招かれたわけではなかったのだろうけれど
神社詣は独りで行くに限りますね 



      かの有名な千本鳥居



                              



   
         途中から二手に分かれます。
         私は左を行きました。
         なんだか、一二三祝詞を唱えたくなって
         大きな声で唱えながら歩きました。




      奥宮の隣 白狐社のお狐様
           唯一ここで、目頭じわ~~~になりました。



    奥宮に向かって左手
    千本鳥居の始まる処の奥に
    いらした二匹で輪を作っているお狐様
    ・・・誰かが供えた油げはまだ新しかった・・・



       奥社奉拝所の裏にある御霊さま
       ・・・石、でした。
       丁度、朝日が木の間から差し込んで
       なんだか後光みたいでした。




        重軽石
        願い事が叶うかどうかを占う石
        岐阜の「おちょぼ稲荷」にもありました。
        ・・・ためしてみたら・・・どうも叶わぬみたいでした 



本殿はただ今修築です。

ちなみに、
ご朱印帖を受け取ってくださったのは さま

ご朱印帖をお渡しくださったのはさま ・・・でした 


Temple du Jade カフェ  水ご飯

2010年07月22日 12時52分48秒 | お料理
 ようこそTemple du Jade カフェへ。

本日のお越しを心よりお礼申し上げます。


さてさて、夏も本番になり
朝から暑いですね。


そんな朝、
前日の残りご飯を使ってのサラサラメニューを
ご用意いたしました。


ただ、このご飯
作り方はとても簡単なのですが
材料の調達が難しいかもしれません。


まず、ご飯が美味しくなくてはなりません。
ジャーの匂いなどがついていると
とたんにまずくなってしまいます。


また、なによりも水が天然の美味しいものでないと
味が生きません。


昔の人には
粗末にも値したメニューですが
今は逆に
一番贅沢な一品となってしまいました。




秋田の米どころの
裏に湧き清水のあるおうちのおばあちゃんが
T.V.で紹介してくださったメニューです。



当店では本場福井のコシヒカリ100%米を
ガスと土鍋で炊き上げ
長野県の飯島町与田切公園から汲んできた
「コスモの水」を使用いたしました。



冷めても美味しいご飯と
冷たくて味のある水のハーモニーを
是非
ご堪能くださいませ。




それではごゆっくりとお召しあがりください。



        水ご飯セット 700円 


           

        もずくとモロヘイヤの味噌汁、糠漬け三種、トマトと茗荷の亜麻仁油賭け、明太梅干、ピーマンのおひたし




          ご飯を冷えた水でよく洗います
          水切りをして茶碗に盛り付け
          すぐにお召し上がりください


          時間がたつと
          ご飯がふやけておいしくなくなります
                                     

          食卓の上でご飯の上に
          糠漬けや梅干をのせ
          冷たく冷やしたみずをかけます

          あとはお茶漬けのように
          さらさらとお召し上がりください



さっぱりして
お水の美味しさと
ご飯の美味しさが
身に染みる
とてもありがたいメニューです。




材料がそろうなら
是非一度
お試しください。




本日も
ご来店ありがとうございました 


またのお越しを
心よりお待ち申し上げております    
           

言葉の重さ

2010年07月21日 23時23分32秒 | ひとりごと
知り合いが流産した。
 
もう30代半ばの彼女。
否認治療に通っていた。



彼女は子宮筋腫を持っているため
医師と相談して顕微授精の方法を選択した。


この顕微授精
もともとデメリットが多く
流産しやすいようだ。


彼女も着巣僅か1ケ月で流産した。




・・・ということを
私は今日初めて聞かされた。


知らなかった。
彼女が不妊治療に通っている事すら知らなかった。



私は私の教室に通ってくださる方や
新しくできた知り合いに
あまりその人の背景の事を
こちらからは聞かないようにしている。

なぜなら、
人にはそれぞれの事情と思いがあり
こちらが何気なくたずねた事でも
その方にとってはとても辛い事である場合もあるからだ。


特に、
結婚や子供のあるなしは
本人がどう捉えているかでとても大きな問題となってしまう。


「ご結婚なさってらっしゃるの?」
「お子さんは?」
「二人目は・・・?」


たったこれだけの言葉が
ひどく相手に負担をかけてしまうことだってあるのだ。



普通に結婚し
普通に子供を授かったものには
その苦しみは理解できない。
だから何気なく、特に悪気もなく
その言葉を口にしてしまう。


けれど
そこに思いやりが欠けている事を
認識せねばなるまい。


人にはどんな事情があるかわからないと言う事を
いつも心して会話せねばなるまい。



特に
大多数の人にとって当たり前であることを話題にする時
そうでないことに苦しんでいる人がいるかもしれない
という気配りが必要なのだ。



いつか、そのうち
本人が話し出すのを待ってあげるのも
優しさという愛の形だと
私は思っている。



                                 
                               ゴーヤの花
                               育て方が下手なのか
                               咲いてもあまり結実しない。
                               それでも、充分に美しいし
                               日陰用の緑のすだれにはなってくれている。

                               野菜のゴーヤがならない、と思えば悲しい。
                               しかし、美しい花をありがたいと思えば感謝になる。

                               全てが、捉え方、考え方次第なのに・・・・・

                                                   


私はいろいろな事情から娘を一人っ子にせざるを得なかった。

そんな私に周りは
「一人っ子は可愛そうだから
 早く二人目を作りなさいよ」
とせきたてた。
中には
「一人っ子にするくらいなら
 始めから産まない方がいい」
とまで言う人もいた。


・・・そんなこと
いわれずとも
私自身が一番わかっていた。

でも、作れなかったのだ。

言われる度に辛かった。



今は、
これが自分の選んだ
今生における最高の条件だと思っているから
これでよかったのだと納得している。



けれども
つい最近までは
いつも
娘に申し訳ないと自分を責めてきたのだ。




子供のあるなしも
結婚も
同じことなのではないだろうか。


自分で意図的に避けている場合は別にして
望んでいるのにできない時
それは今が時期ではないか
今生ではできないことが最高の条件であるか、
のいずれかではないだろうか。




結婚も子供も
できるにこしたことはない、と私は思う。

けれど
したいのに、欲しいのにできないときは
あまりその「~たい」に捉われない方がよいような気がする。

捉われてしまうと
自分も周りも苦しくしてしまう。



この世の事は
全て与えられること。

生れる前に
自分の魂レベルをより成長させるために
自分で設定した事・・・
そう、腹を決め、今の状況を受け入れ
必要ならば与えられる!!・・・と
信じてみてはいかがだろうか。




そうして
悲しい思いを少しでも避けるためには
自分が
そういう状況である事を
自分から周りに伝えていく事も
大切なのではないだろうか。

もちろん
あくまでも冷静にであってほしいが・・・。





今日
彼女がそのことを伝えてくれた事に
とても感謝している。


教えてもらえたおかげで
私なりに彼女への配慮ができるし
また、
彼女の望みが叶うようにと
陰ながら祈らせてもらう事ができるから・・・。