幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

お米のお話 その1

2016年10月17日 14時46分22秒 | 暮らし
新米の季節ですね、

ぴかぴかでふっくら炊けた新米のごはん。
これを口にするとき
ああ、日本人でよかったなぁ~
と、心底思います。



さてさて
私は北陸のコメどころで生まれ育ちました。

だからずっと、実家の米を自慢して生きてきました。

だってちょっと前まではわが実家でとれるお米は本当においしかったのです。

すごく田舎だったので
私が子供のころは
稲刈りも手作業、
稲架(稲架)と呼ばれる稲を掛けるもので天日干し。

脱穀した後だって
家の前の庭に敷き詰めた蓆(むしろ)に広げて、これまた天日干しです。


干してかき混ぜ
また干して
夜になれば取り入れて
お天気と相談しながらまたお日様に干す。

学校から帰ると玄関まで行くのに庭の隅っこを爪先立って歩かなければならないほどでした。

その上を赤とんぼが飛んでいたりして
その光景はとてものどかで平和でした。

ま、よくよく考えれば、母にとっては何日もの間
米を出して仕舞って
混ぜて干してまた混ぜて
気の長い大変な作業だったことでしょう。


それが済めばうす摺り。
どこかから機械を借りて
近所数件が集まりあっての大仕事でした。


こうして、まじりっけのない正真正銘我が家産の米は
やがて玄米となって俵に詰められ、蔵の奥の「いらず」と呼ばれる貯蔵庫に保管されるのでした。




風も、空気も、水も、気温も
全てが稲を、お米をおいしく作り上げてくれていたのです。

もちろん、最も大きな力だったのはお日様の恵み。
そして、休みない父母の愛情と労力。


だからすごくおいしかった。
そして
「実家から送ってきた交じりっ気のないコシヒカリです」
と、胸を張っておすそ分けすることもできました。



けれど、
水が汚れ、抜ける風の質が変わり始め
両親は老いました。

私たち子どもは
その連れ合いも含め
田んぼを作ることはできません。

やがて田んぼを作るものがいなくなって
他人様にお願いするようになり
それは農協で一括されて混合され
だれが作ったのか
どの地域でとれたのか
全く分からなくなってしまいました。



おまけに、コンバインで即、籾になり
乾燥機にかけられて
あっという間に袋詰め。


そうして、田んぼの貸し賃分の米が手元に戻ってくるのです。


ふと気づいてみれば

「実家から送ってきた新米です。
 お味は保証できませんけれど・・・」

と、ご挨拶しながら配っている私。


何だかお米にも作ってくださった人にも限りなく申し訳ないと思いながら
でも、確実にお米の味は落ち
新米といえども
昔のような感動はなくなってしまったのです。


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