幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

自己満足

2017年03月17日 09時45分44秒 | 暮らし
去年の夏から
ベランダに転がされたままの冬瓜一つ。

気の毒に
いつも
横目でちらりとされながら
お料理されることもなく
半年以上。



夏の厳しい暑さの中
秋の大風の中
そして冬の寒さの中
何一つ保護されることもなく
埃をかぶり
無視され続けて時間ばかりが過ぎたのです。




だって、冬瓜て硬くて切るのが大変なんですもの!!

だって、冬瓜て中年二人の食卓には大きすぎるしィ~~~!


もうこんなに時間たっちゃったからどうせだめだろうなぁ。


でもまだ、腐らないのね。


中はすでにダメかもね。



・・・などなど言い訳いろいろ。

とにかくかわいそうな冬瓜さんは今日まで転がされっぱなしだったのです。

ごめんね~~~~~~冬瓜さん 



・・・なーんて謝られてもねぇ~~~、ですよね、冬瓜さん 







が!!!!

なんの風の吹き回しか
今朝ついに、その冬瓜に触ってしまったのです。

そして

「ごめん!!  許して!!!」


と言いながらごみ袋に放り込んだわたし!!!

そう、今日はごみを出す日。

いつまでも転がしておき
気にしているくらいなら、潔くさようならしてしまえばよいのです!!





と、思ったはずですのに
小心者の私はうしろめた~~~くて、
ゴミ袋の中の冬瓜が何だかとてもかわいそうで、
いまさらなによ、と思いながらも、
やっぱり申し訳なくて、
5分後には
再びそれを拾い上げ
しかもまな板の上にのせていたのです 



ああ、
ついに
ついにそのひがやってきた!!!

可愛そうな冬瓜が今やっと、ついに包丁を入れてもらえたのだ!!

おめでとう、冬瓜さん!!
おめでとう!!!





ざっくりと二つにわれた冬瓜は真っ白いまま美しかった。


あら~~~~~~
偉いわねぇ、冬瓜さん!
貴方、あんなに冷たくあしらわれていたのにまだ頑張ってたんだ・・・・・・




う~~~~~ん、
でも、やっぱり最盛期のようにみずみずしくはなさそうねぇ・・・・・

調理してはみたもののお味がまずくて食べられなかったらそれこそもったいないしねぇ・・・・・・




というわけで、
おそるおそる一口生で食べてみる。

食べられるけど、おいしくもない。

はてさてどうしましょう・・・




 

こうしてみました   

                              

                     


果たして効果があったかどうかはさておき、

こんなことしている自分、
結構好きでした



あ、ちゃんと、
冬瓜汁にしていただきましたよ 

夫はフツーに食べていました 



今日の素敵

2017年03月17日 09時37分55秒 | 暮らし
春暁 振り返れば有明の月


久々に夜明け前を撮った。

                                                      この群青色、やっぱり最高!!



何気なく、振り返れば

あらまあ!!    


                                                        有明のお月さま



なんて素敵なんでしょう!!

期せずして
夜明け前の美しさと
有明の月の両方を 見せていただけるなんて・・・・・・・



ああ今日も佳い日。
幸せな日。





そして、日の出です。    


                                         春分も近くなって朝日の場所が随分北に移動しました。
                                         もうすぐ、ベランダから見えなくなってしまいます。 



新しい一日の始まりです。

今日も生かされて
有難いことです。  

愛を伝える言葉

2017年03月17日 08時38分23秒 | ひとりごと
I love you.


外国人はなんと頻繁にこの言葉を使うのでしょう。


けれど、よくよく観察していると
日本人のそれとはかなり意味合いが違っているときもあるような気がするのです。

いえ、「日本人の」といってはいけないのかもしれません。
少なくとも、「私の」という方が正確でしょう。


私にとって「愛している」とは最上級の「愛」の表現であり
とても大切で、重みがあって、崇高で、そう簡単に誰にでもいえる言葉ではないのです。






夫と恋をしていたころでさえ
「愛している?」と聞かれたら、何の迷いもなく「愛している」と答えられたかといえば
こたえは「否」でした。


大好きで、寝ても覚めても彼のことばかり考え、いつも一緒に居たくて・・・・・

でも、その感情が「愛」かといえば?????でした。

間違いなく「恋」はしていました。
でも「愛」であったかどうかははなはだ疑問でした。


お付き合いを始めてから現在までちょうど40年。

今も「愛しているか」と問われれば?でいっぱいになってしまいます。
恋心などとうに冷めてしまっていますしね(笑)


それでも
家族としての「情」は間違いなく存在します。
全くの他人様よりは一応大切に思ってもいます。

でもそこに「本当の愛」があるかどうかとなると・・・・・・?????????????

だから、そうやすやすと「愛しています」とは言えないのです。



娘に対してもそうでした。

可愛くて、大切で、いつだって私の一番の宝でしたし、
何が何でも、私が守ってあげなくちゃ、って思ってきました。

でも、時々はうっとおしくもなり、「この子がいなければなぁ」などと思ったことさえあるのです。
それなのに「愛してる」なんて言ってよいのでしょうか。

本当に私はこの子を愛してるのだろうか、といつも自問してきました。


親にだってそうです。

まして、友人に対してや
親せきの子供たちへの思いはどうなのでしょう?





「愛」とは私にとってはそれほど深くて、崇高で、尊い感情であり言葉なのです。

「大好き」「大切」「可愛い」「失いたくない」「力になりたい」「守りたい」

そんな、感情は間違いなく存在はするけれど
「愛」となると、まったく自信がなくなってしまいます。


なのに私の知っている外国人たちはいつも、誰にでも
「I love you]
と言えてしまう・・・・・・

不思議で、嘘っぽくて・・・・・





娘、夫、親、友人、動物たち、
植物や、鉱物や、生活用品たちや、
たくさんたくさん
いとおしくて、大切で、有難い者たちに
私はどんな言葉を上げればよいのでしょう。
どんな言葉を使えばこの思いの真実が伝えられるのでしょう。




「愛しています」
はやっぱりどこか嘘っぽい・



「あなたが大切」

「ありがとう、あなたがいてくれてとても幸せ」

なら、嘘っぽさはないように思います。



私はまだまだ「愛」という言葉を自分の中に定義できないし
それ故にまだまだまだ、当分は使えないのかもしれません。               

                                           朝陽を受けてサンキャッチャーが
                                           壁に創り出してくれた虹色の光