幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

祈り そして明日へ

2017年03月11日 17時32分54秒 | 波動
今日は3月11日

東日本大震災の起きた日

地震と津波と放射能によって
たくさんの命がなくなり
心に傷を負い
涙と悲嘆と絶望に覆われてしまった日




ご遺族、被災者の方々を思い
心より追悼申し上げます。



なくなったたくさんのお命が
迷うことなく光となって上昇されますように。
たくさんの愛を育む素となられますように。


                               

久々に・・・波動画です

2017年03月11日 16時49分12秒 | 波動
ブログはお休みしていましたが
個人様の波動画は
たくさん降ろさせていただいていました。


その中からニ三ご紹介しますね。 





                                  この頃、依頼者の波動が「宇宙人」であることが増えました。
                                  このかたはお若くてとてもかわいい方です。
                                  なんだか楽しそうな宇宙人様?!

                                  土星まで出てきたのは初めてです。





 



       宇宙人?とまではいかないにしても
       なんだかとても楽しそう 



       「私、生きていていいんですね?!」

        というコメントをいただきびっくりでした。

        魂はこんなにも嬉し楽しで生きようとして生まれてらしたのに
        たくさんの括りを抱えて
        しんどくていらっしゃるのでしょう。


        ご自分は存在するだけで周りを明るく楽しくしているのだと
        自身を認め、
        自信をもってくださいね
        と
        お伝えしました。



        何といっても   
           
         あっぱれ
        あっぱれ   
               あっぱれな      
                
   
     

         ですもの。
         何を悩むことなぞあろうや、です                                  

宮古島にて

2017年03月11日 16時28分25秒 | ひとりごと
宮古島の滞在中
來間島の「青空」いう雑貨屋さんに案内してもらった。

友人のお気に入りのお店。

「きらり」「こころ」という二頭のメスのヤギが
のんびりと飼われている。

店主曰く
「ヤギの顔をした犬のような子たち


確かに
名前を呼べば来てくれるし、草を上げれば食べてくれた。
おとなしくてなっつこい瞳をしていた。


そのお店で見つけた沖縄のパワー。

                               




               



                      お日様ってこんな風に描けるんですね。

                      朱雀様も沖縄風になるとこんなに愛らしいのですね。




・・・・・・私もそのパワーとデザインをいただいて・・・・・


                                            





うう~~~ん 
まだまだのようです 

宮古島にて「受け入れの法則」

2017年03月11日 15時08分17秒 | 波動
うつ病になった友人の付き添いで宮古島に10日間滞在してきた。

沖縄へ行くことなど考えてもいなかった私の突然のバカンス。

それはまさに神の図りごと。
自分でも想像もしなかった時間。


毎日、目が覚めれば
美しい水平線とイソヒヨドリの声に満たされた。  




掃除もしなくていいし、お風呂だって使いっぱなし。

夜は早くにご飯を済ませ
友人と語りたいだけ語り
朝は7;00過ぎまで眠らせてもらった。


こんなに
自分のためだけに
ゆったりと時間を過ごしたことがあるだろうか・・・・・

自分の人生なのに
いつも誰かのために動いていたような気がする。   







たぶん
普段なら

夫のこと、
仕事のこと、
お金のこと

などなどいろいろ先に考えてしまうから
こんなに長い休暇を自分自身に与えたりはしない。

「贅沢」
「自分ばかり?」
「妻なのに?」

そんな言葉が私に歯止めをかける。


けれど
今回は
大切な友人の「うつ病」を癒すために、
彼女の最悪の事態を避けるために、
という〝のっぴきならぬ″名目があったが故の
否応なしの選択だった。

それは
夫にとっても同じこと。

彼女の最悪の事態を考えれば
私を止めることははばかられたのだ。






という、事態を神様は与えてくださったのだった。




でも、ふたを開けてみれば
彼女にはもちろんだが
むしろ私自身に必要なプログラムだったと心底思う。




すでに癒されていたつもりでも
私の中にあるいろいろな負の記憶やエネルギーは
まだ私自身を縛り痛めていた。
従来の思い癖を手放せずにいた。

10日間
毎日
自分を見つめる機会があったし
「思い」と「現実」の作用の関係も見せられた。

鬱だと言いながらも
スピリチュアル的でかつ臨床心理士の彼女は
もっとも高度なワークで私の「くくり」を解除してくれた。

私たちがたくさん話し、ゆっくりし、ワークするために
毎日
お天気が悪かった。

大坂の寒さから逃避したつもりの彼女の思いとは裏腹なお天気。
二人ともかなりのハレ女なのに
風が強かったり、雨が降ったり・・・・・
ああ、何のための宮古島!!・・・と嘆こうと思えば嘆くことが山ほどの悪天候だったのだ。



それでも
宮古へ6度目となる彼女が
ぜひ私に見せたいと思ってくれる景色を見るための日と
私がどうしてもしたかったデイクルーズの時だけは
素晴らしく美しい空が広がり、風もないで
至福の時を与えてもらえた。


ちゃんとやりたいことはやらせてもらえて
でも必要以上にはしゃいだり動き回ったりして
疲労回復がおろそかになったり
見つめるべきことを見つめられなかったりしないように
雨風、低温の喜ばしからぬお天気は
私たちにinホテルを余儀なくしてくれたのだろう。




すべてはすでに図られている。
全てはすでに与えられている。

神様や、エンジェルたちや、ご先祖様をはじめとするお陰様方が
いつだって
守り
導いてくださっていると信じて
「今起きているのは最高のこと。
 いつかの私にとって必要なこと」
と受け入れさえすれば
どんなことも有難くてNO PROBLEM!!


これこそ山川紘矢氏いわく「受け入れの法則」だそうな。

そしてそのために神様はあらゆるところに「引っ掛けの法則」をしかけていらっしゃるのだとか・・・




耳鳴り

2017年03月11日 13時48分59秒 | ひとりごと
今日もにぎやかに耳鳴りが聞こえている。

耳に住むセミ 雪降る静けさはもう聴けない




こんな自由律口語俳句を作ったのはもう何年も前になる。

「季語がセミなのかユキなのかわからない」

と評され、理解してはもらえなかった。

評した人は私よりずっと年上だったのに・・・・。


「彼女はまだ、耳鳴りがしてはいないのね。うらやましわ」

とひそかに思ったものである。


最初は微かな蛍光灯の「ジィー」というような音だった。
気のせいかと思うほどだった。

けれどそれは年月とともにはっきりと大きくなり
私の耳の中、いえ、頭のなかが静寂に包まれることはなくなった。



原因は耳の働きの衰えにより脳が過剰反応して、自分の血液などの音までもとらえようとしているから、らしい。

そこへ意識を持っていけば音はかなりの大きさになり、
意識をはずせば全く苦にはならなくなる。


耳鳴りが何か他の大きな病気の兆候であることもあるらしいので何とも言えないが
私はとにかく「気にしない」ことにした。
気にさえしなければ普段の生活には差し障らない。


確かに耳は聞こえにくくなっていて
テレビのセリフが聞き取りにくいことが増えたし
夫の言葉を聞き返さなければならないことも多くなった。

でもこれは、耳鳴りのしない夫も全く同じだから
順調な老化なのだろう。


年を取るということはいろいろと不便になっていくが
しかし、もしかしたらそれは
過剰な情報をシャットアウトできる術でもあるのではないだろうか。


眼が見難くなれば「見なくてもいい」ということであり
耳が聞こえ難くなれば「聞かなくてもいい」という事だと思うことにしている。




何かの本に書いてあった。
「聞きたくない」と思えば耳が聞こえなくなり
「見たくない」と思えば目が見にくくなるのだと。

なるほど、病気とはそのようにしてできてくるのかもしれない。

けれど、必要ないものまでもキャッチしなくてよいように
神様が配慮してくださって「不便」さえも与えて下さっていると思えば有難いではないか。

聴かなければ
見なければ
心を乱さずに済むことは沢山あるもの。


年を重ねて
つくづくと
「穏やかに安らけく」日々を送りたいと願う私にとって
聞こえなくていいこと、見えなくていいことはいっぱいだ。

今はニュースも新聞も不安や恐怖、怒りを煽りたてるに余りある。

「しあわせ新聞」「楽々ニュース」なるものがあればよいのにといつも思う。

だから少々耳が遠くなるのもよし!!
眼が見にくくなるもよし!!

などと気楽に受け入れてしまうのかもしれない。               

                                                     

                                 夕焼け時になってきた  
                                 窓から茜色の光が差し込み
                                 サンキャッチャーが今日最後の虹を映し出す

                                 静かで美しい大好きな時間   

                                 こんな光景はいつまでもみえていてほしいけれど・・・・・