幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

ただ、眺める

2011年10月15日 22時06分50秒 | ひとりごと
 夫がまた、癇癪をおこしている。

人間
歳をとると成長する・・・とは限らないようだ。

残念ながら
実父もそうなのだが
年齢を重ねるごとに
いろいろなことに達観するどころか
どんどん
不具合な思考回路を訓練しているように見える。


こんな些細なことになぜ腹を立てるのだろう、と思うことや
笑って済ませられるようなことに
いちいちつまずいて、怒っているような気がする。


 おそらくこれは「癖」なのであろう。

思考回路というのは生まれてから今日までの「訓練」によって形成されるというから
自分が自分の思考を意識して変えることもできるはずなのに
彼らはわざわざ、面白くなくなる方へと
自分を導いているように見えてならないのだ。


しかも
そのきっかけを相手のせいにしている。


本当は自分の制し方次第だということに気づいていない。



かくいう私は
あやうく夫の癇癪につられてしまうところだった。
つられて
売り言葉に買い言葉で喧嘩になりそうだった。


 その時
先日の座禅のときのアドバイスが甦ってきた。


「見詰めてはいけません。
 見詰めると、吸い込まれてしまいます。

 目を閉じてもいけません。
 目を閉じると眠ってしまいます。

 ただ、眺めなさい。
 ああ、こういうことが起きていると
 眺めて、認識だけすればよいのです。

 そうすれば、己の心が波立つことはありません。

 そこへ
 自分の感情を入れるから
 辛くなったり苦しくなったりするのです。


 ただ、眺めればよいのです。

 それが
 無我なのです」




 で、私は今
腹を立てずに
「ああ、また、癇癪を起しているのだな」
と、眺めている。

怒ろうと思えばすぐにもおこれるし、喧嘩にもなる。

しかし
それもばかばかしい。

心を静め
ただ眺めていよう。


癇癪を起してしんどいのはわたしではない。

起こしている本人なのだから。