幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

逃した魚は大きかった?!

2011年10月04日 10時13分03秒 | ひとりごと
 かなう寸前の夢がひとつポシャッた。

それが「チャンスを逃した」ということなのか
それとも「難を逃れた」ということなのか
今の段階ではわからない。

しかし、夢に関しては
ここであきらめてしまえば「できなかった」ことになるが
実現するまで続ければ「かなった」ことになる。

かの松下幸之助氏も言っているではないか。

「成功とは成功するまで続けることだ」
と。


要はわたしのその「夢」のひとつが
本当に叶えたいものであるかどうかということだ。

もしかしたら
心のどこかで拒否していたのかもしれない。

随分前まではそれがやりたくてやりたくてしようがなかったが
今はちょっと引いている部分があって
心の隅っこで
「いまさら、面倒くさいな」
と思っていたような気もするのだ。

だから
その思いが
情報空間に伝達して
今回の「ご和算」につながってしまったような気がする。


外見上の原因は私ではない。
しかし
本当の原因は「私」ということなのかもしれない。




今回の件が
ご和算になったことを知った姉は

「ま、それで、損失が出たわけでもないし、よかったじゃない。
 こういうことも〝御縁”だから・・・」

と言った。


確かにそうだ。

物事、御縁のある時はとんとん拍子に進むものだ。
ところが
最後の最後に来てダメになってしまったということは
「何か」あるのだろうし
「何か」を示唆されているに違いない。

もしかしたら、その話が進んでいれば
あとで困った事態になったのかもしれないと思えば
これは
私の守護、指導霊さんたちが頑張ってくださったことになるだろう。
そうだとすれば
なんと有難いことか。

しかし
先に述べたように
己の中に「何が何でも」という
がむしゃらさがなかったことや
「本当にこれでよいのだろうか」
と、躊躇したことが原因だとすれば
私は自ら自分の夢を絶ったことになるのだ。

ということは
やりたい、やりたいと言っていながら
本当にそうなりそうになると逃げてしまう
単なる「やりたい症候群」に過ぎないではないか。


・・・それって、なんだか悲しいし、情けない。



話がダメになってがっかりしている。
なんだか
とてもよい物件だった気がするのだ。


その寸前まで
腹をくくり切れない自分がいたのに、である。




やはり
夢は必ず叶うものなのだろう。
自分の思いさえしっかりと強ければ
、だが。