はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(70)    親不孝通り 続編 「横浜亭」「キャンドル」

2011-09-19 07:26:14 | 日記



前回の散策でコノ「横浜亭」の外観がもう完璧渋いので
今度中を散策しますね

なんて書いたのであるが
しのさんという方から貴重なコメントをもらいました

<ちなみに横浜亭ですが、建物は古いですがお店自体はここ10年くらいじゃないかな?
ただ、店内はインテリアを含め油ギッシュで古臭い感じで、
とても創業10年とは思えない伊勢佐木町臭がします(笑)>

なんてコメントでした

ようするにだね 外観はすごく渋いのであるが 中の店自体はそんなに古くない
まあ 掃除が行き届いてなく油ギッシュ臭い
創業10年とは思えない伊勢佐木町臭がすると書いてある

う~ん 外観が古いビルなので わざと掃除をしないで
渋さを演出しているのかもしれない

鎌倉あたりにもよくあるんだよな~
わざと古い建材で店を造って さも昔からここにありますよ~
みたいな店がね
外から見てみると 店の従業員は若いアルバイト風な女の子が2~3人なんてね
まぁ 観光客目当てなのであるが

どうせならね アルバイトもだね はげまる世代よりほんのちょっぴり上の世代の
じ~さんば~さんを使ってだね 客からの注文を
「え~ え~っ  なぁに~」
耳の補聴器を押さえながら聞いてね
客の対応をするとかしてもらいたいものだね

是非「横浜亭」さんの姿勢を見習って欲しいものである



尚 このあたりのコメントは 「横浜亭」関係者からクレームがきたら
即座に消滅されるのである フェルプス君  
(スパイ大作戦から)
  
ははは ど~もど~も   ほ~んと いつも古くて ど~もスイマセン。。(三平)


話をもとにもどしてみますね

「横浜亭」

入ってその伊勢佐木町臭さを嗅いでみたい気もするが
アルコールが無い というのがつらいなぁ

それに ふと思い出したのであるが 
はげまる かなり昔にこの地下の店に入った記憶がある
うる覚えではあるが 軽食喫茶みたいな感じで
赤のじゅうたんだったと思う (たぶん)
それがかすかな記憶として残っているのである

テナ事で今回の散策は中には入らず遠巻きに様子見する事にする
そう遠巻きにね





「横浜亭」の入口の上あたりである






入口横の赤いタイルは 本物である 手で触って確認する






階段の両側のタイルは タイル風壁紙であり 手で触って確認する





こちとら遠巻き見学者である
中から店の人に見っかって 「いらっしゃ~い」 なんてなったらえらいこっちゃ~


抜き足さし足  にゃ~ん  にゃ~ん





入口の窓ごしにそ~っ中を見てみる
電気はついていて営業中みたいであるが 誰もいない
はげまるは そ~っとガラスの窓ごしに写真を撮り終えると 
早足で階段を上がって一目さんに逃げたのである
(逃げるのが癖になっているな)





親不孝通り出てみると 「横浜亭」と同じビルにある「きゃんどる」の看板が目についた





う~ん  なかなか渋いな今度入ってみる事にするかなぁ。


ここで☆☆☆さんから緊急レポートがはいりました



<横浜亭は、昨年の夏に訪問しました
この2階は使われているのだろうか?・・
勝手な願望としては、私立探偵事務所か、
飲んべぇだけど腕ききの闇医者かなんかが住んでて欲しい
そんな魅惑的な古ぼけ感に、
私の足は自然と地下に吸い込まれていきました

入り口にはテレビ番組「シルシルミシル」が取材に来たとの張り紙
「あ、思ったより気安い店なのかな?」と少し安心して店の中へ
中に入ると、テーブル、照明、床の素材辺りの雰囲気が80年代っぽい感じ
メニューはハンバーグ&オムライスとかハンバーグ&かにクリームコロッケなど
ボリューム感ありしかもライスおかわり自由で味噌汁がついてくる

スープじゃなくて味噌汁ってとこがB級っぽくてこれまた素敵
私はそんなに食えないので単品でハンバーグとライスを頼みました(もちろん味噌汁つき)

やはりこのような古きよき洋食屋においては、ライスに塩をふりかけ
いくら食べにくかろうが、ご飯はフォークの背に乗せて頂くのが鉄則
味は懐かしくおいしく☆☆☆でした

そしてもうひとつ驚いたのがここのトイレ
「もしかしてこういうところのトイレは、
最近あまり見ない一段高くなった和式便所かな?」
などと期待してドアを開けると、なんとそこにトイレはなく
、地下に通じる階段が・・・

「こ、これは隣の妖しい店につながる秘密通路なのでは?」
などと警戒しながら降りていくと、新たにもうひとつのドアが・・
開けてみるとようやくそこにトイレがありました
トイレ探索家のはげまるさんには、
ぜひ再再訪していただきたい物件であります>


☆☆☆さん 貴重なレポートありがとうございました


う~ん トイレだけでも入ってみたい
せつにそう思うはげまるでありました。


追加記事

「横浜亭」先日から なんとか地下二階にあるトイレを撮るつもりで 
何度となく夕方出向いたのであるが いつも看板の電気が消えていたので
う~ん   これは怪しい  もしかしたら閉店かもな~
なん思っていたら

やはり閉店でありましたので 報告とさせていただきます

  



「横浜亭」の看板は明かりは点いて無い



解体工事が始まっているみたいである
また 新しい店でも出来るのかなぁ


今度 散策探検隊の服装でもして出向いて
工事中のおじさんにお願いして 撮影でもさせてもらえないかな~


「あの~  スイマセン 地下のトイレ撮らしてくれませんかいね~」

多分 気がふれたハゲのおじさんと思われ断られるのがオチだろうな

トイレだけでも撮りたかったなぁ 
       残念無念。










コメント (7)
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異国情緒あふれる港町  横浜(109)   本牧ベース (2)

2011-09-16 00:48:32 | 日記
前回から続きであります

コメントをいろいろ書きたいのであるが
なにしろ中に入った事が一度も無いので書けないのである

みなさんと同じで 
「へ~  こんな感じだったのか~「本牧ベース」は・・」
と見ているしかないのが  少し  つらいなぁ


ここでベースの中がどんな感じだったかを
貴重なコメントを頂いたので 紹介する事にする


よんぼうさんからです


「懐かしいですねぇ~

 凄くよく撮れている写真で、ちゃんと勾配が解ります。
 PX側ゲート方入ると平地ぽいのですが、少し歩くと直ぐ坂になり、
 その坂で当時珍しかったローラーストや未だ日本で見なかったスケボウとして遊びました。」

 友人にキニックやインターナショナル、センジョの方々が多かったので、
 結構出入りさせてもらっていました。」

「又、年一回の盆踊り大会や、ハロウィンはとても楽しみでした。」



うらやましいですね~  くゃし~~ぃ
センジョはセント・ジョセフ(今はもうない) キニックて何の略なのですか
今度教えてくださいね

よんぼうさんコメント ありがとうございました


次の人は ほんと地元の地元 浜爺さんからのコメントです


「ベースの思い出とは・・・
 もう時効だと思いますが、先輩達と夜中にフェンスの金網を切断し、
 非常口を作った事や、MPの連れている犬に追いかけられた事や、
 友人が威嚇射撃された事などなど・・・数え切れません。」

「確かにフェンスの中にはアメリカがありました。」

「こちらは兄のお下がりを着ている時に、中の子供たちは、
 バミュウダにボタウンダウンでしたから・・・・
 こちらは坊主で、向こうは七三分け。」

「よくフェンスの向こうとこちらで喧嘩をしました。
 最後には、ホースの放水を浴び逃げ帰るのですが・・・・
 楽しかったですねぇ~
 今でも昨日の事の様に思い出します。」


さすが地元ですね
>先輩達と夜中にフェンスの金網を切断し、
 非常口を作った事や、

うひゃ~  泥棒団みたいで楽しそう


>MPの連れている犬に追いかけられた事や、
 友人が威嚇射撃された事などなど・・・数え切れません


ひゃ~~ 寿より凄いですね~
(比較される寿も凄いなぁ)

またまた うらくやしい (うらやましい と くやしいを重ねてみました)


え~  お次の人も地元も地元 これ以上地元はいねえだろうが~
の ゆたかさんからのコメントです

(なんか昔の深夜ラジオ番組のパーソナリチィさんみたいになってきたな)


「私、中学の頃はあの中を通って学校に行ってましたもん。
 本当は立入禁止 だったんでしょうけど、
 徒歩は黙認されてましたよ。」

「下界の町じゃ考えられないような遠近感のある、
 こざっぱりした町でしたね。」

「アメリカ人がスーパーからデッカイ牛乳を持って出てきたりして、
 『でかっ』って驚いたりしたことも思い出しました。
 ムダに広いガソリンスタンドもあったりして。
 みーんな記憶だけになっちゃいましたね。 」


ひゃ~  基地の中を通学道路にしていたなんて す・す・すっげ~~
ほんと本牧の子供達はアメリカしてたんですね~

またまた  おら くやしいだ


それでは そろそろ音楽に行きますか

鶴見区の 波毛野抜佐エ門さんからのリクエストで
ゾンビーズの「テル・ハー・ノー」

なんて行きたくなりますね


それでは RIOさんから送ってもらった「本牧ベース」第二弾です















































































































本牧の大御所「本牧ベース」如何でしたか
本牧がまだアメリカしていた時代の香が  ぷ~んと感じてくれたら
  うれしいなぁ。

ところでみなはん
 
 ごぐっ ごくっ  ふ~~ぅ
(水を飲んだ音)

本牧にはまだ すっげ~~~ 最後の大物の散策が残っているの知ってますか

え?  三渓園?  

ふははははは 

黄金バット風な笑い方 
(誰も知らないぞ)

三渓園は素人が散策するところであります
こちとら変な場所散策のプロである  冗談じゃないょ~~





<参考までに
黄金バットは戦前の紙芝居時代に生まれたヒーローです>



予告編

じゃじゃじゃ~~ん

戦前から横浜でその名をとどろかせ 男なら机を叩いて泣いて喜ぶ散策
  「本牧チャブ屋」
(女性の人 ごめんなさい なんせ好きなもんで)



<神奈川新聞「激流」からのモノです>





それにしても 悩ましく楽しいホテルの看板だなぁ
どんな色のネオンだったのか カラー写真を見てみたいものである
 
想像は空想を呼び 空想は夢をはこぶ
(う~ん  わらながら御立派な文だな 自画自賛万歳三唱)


乞うご期待^^ 
尚 参考資料集め 現地調査  生き証人捜し(無理かもな)
等いろいろひとりでやるので しばし時間を要すると思う

10月10日の体育の日までに書きたいなぁ。
(関係ないか)
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異国情緒あふれる港町  横浜(108)   本牧ベース (1)

2011-09-13 00:47:45 | 日記
「本牧ベース」が無くなってから  そろそろ30年目である
と言う事は 30歳より若い人は絶対 「本牧ベース」の実物を見た事は無いのである
(あたりまえではないか)

何故そんな当たり前だのくらっか~ の事を書くのかと言うと
はげまるが母と病院に行く都度 あのあたりを車で通る
「本牧ベース」あたりを車で走っていると
「う~ん このあたり ず~っとフエンスがあって ベースの住宅が眩しいくらいに
並んでいたんだよな~」

なんて思う事がある
そうなのです 今現在 「本牧ベース」があったあのあたりには
その形跡がまったく無いのである
あるのは さびれたマイカル本牧あたりのビル群 マンション群である 

人間にせよ 動物にせよ 建物にせよ はげまるの毛根跡にせよ(おまけ)
無になると残るは思い出ノミとなってしまうのが この世の必然なんでおわす

はげまるが この散策を書き始めた動機はその
毛根跡捜しではない
その思い出を少しでも後に残せるか どんどんどどどん(またです)
それしかないのである


何故こんなに前置きが長いのかと言うと
それだけロコさんの時と同じ 今回の「本牧ベース」
書くのがすごく楽しいのである
 

ここから本文で~す


20年以上前にロコさんの店「ダイナマイト」で知り合ったRIOさんから
外人さんのサイトから拾った 昔の本牧ベースの写真を送ってもらった

早く写真を載せたいな~本牧ベースの事書きたいな~
と思っていたのであるが  その前にロコさんの事を書きたかったので
ず~っと我慢していたのである

それがなんとか終了したので今回やっとお披露目と相成りました

RIOさんの写真がなければ書けなかった今回の散策であります
感謝感謝^^です





かなり古い1953頃の写真である

これからの三枚の写真は転載可の写真をパソコン画面から写したモノ

フエンスの凄いが 走っているバスも凄いなぁ



ここからは横浜本牧グラフティからの抜粋記事を参考多少改編しました
横浜本牧グラフティさん ご勘弁のほどよろしくお願い申し上げます

http://www5.ocn.ne.jp/~matida/gallery2.htm

<  > 内が その横浜本牧グラフティさんからの引用記事
少し改編してあります


<現在ベース跡にはマイカル本牧は(もう名前は変わってしまったが)
商業施設や高層マンションが林立しているが
ベースがあった50年代から70年代はじめ頃、本牧界隈のどの店も多国籍の外国人であふれ、
R&Bやロックやジャズが流れ、派手なネオン管が夜を彩っていたて
元町方面から麦田トンネルを抜けると、そこはさながらリトルアメリカだった>




<Yokohama Beach DH-Area(横浜海浜住宅地区:NASGUBU BEACH AREA)は、
敗戦と同時に米軍が日本を占領統治する進駐軍の住宅として約70ヘクタールの敷地を接収し
急ごしらえしたベースキャンプ>

<エリア内には910戸の住宅のほか、学校、銀行、PX(物品販売所)、映画館、ボーリング場
野球場(ナイターも可)、テニスコート、チャペル、消防署、ガソリンスタンド、変電所、
将校クラブなどの施設が整い、一つの都市を形成していた>


昔から 僕の地元仲間の何人かは 外人の友達に連れて行ってもらったとか
親父がベースで働いていたからよくPX(基地内のスーパー無税である)
から内緒で手に入れたモノなんかを持ってきてもらったとか
そういう うらやましい話は耳にタコぐらい沢山聞かされてきた

「いいな~  本牧が地元の奴は~  くっそ~  こちとら横浜の田舎
鶴見だもんな~  (鶴見の人ごめんなさい)」なんて
いつも思っていたのである 


<周辺住民達はフェンスの外から青い芝生に立ち並ぶパステルカラーのハウスを眺め
アメリカの豊かさにふれ、憧れをつのらせたそうである>


そうそう はげまるもまだハゲてなかった時代に 15円の市電に乗って 窓から口をあけて
本牧ベースあたりを見ていたものである
「すっげ~な アメリカだ~」  なんてね

FEN放送を進駐軍放送と呼んでいた時代の話である






何しろ広い敷地に小奇麗な一軒家 もちろん庭があって
その緑が目に眩しいくらいであったのを覚えている






<70年代ーベトナム戦争が泥沼化していた時代
本牧の夜は妖しいまでに華やいでいた
しかも本牧の夜は遅いので 若者たちが集まり始めるのが夜9時、10時
深夜遅くなって来た頃から活気を呈してきていた>

前線へ送られる不安を振り払おうとするGIたちと
日本の若者達(もちろん不良達も沢山いた)がふんずまみれて
毎夜どんちゃん騒ぎと喧嘩騒ぎであったそうだ

チャン街も凄く怖かったが 本牧はもっと近寄りがたい位に怖い場所であり
地元の仲間が居なければ とても行けなかった思い出がある


<80年代に入ると、ベトナム戦争の終結以来
空家のハウスが増えゴーストタウンの様相を呈してきた
82年には星条旗が降ろされて ベースは跡かたもなく消えていった>


<90年代に入るとマイカル本牧や高層マンションがベースの跡地に林立、
ひと頃は全国から多くの人々が本牧を訪れ、観光地と化したが
今現在は寂れ荒廃さえ来している

当然本牧あたりも 若者達の夢の跡である

<横浜本牧グラフティさん貴重な資料ありがとうございました>





<全面返還されたのは1982年、接収から37年後>
この写真は はげまるが撮ったモノ
山手警察の前あたりのベース跡に「木下大サーカス」が来たときの写真

とにかく ベース跡は じぇんぶ空き地 更地であった

 

さてさて御立ち合い
これからの写真はすべて RIOさんから送ってもらった写真であります
写真の量が多いので二回にわけて載せる事にしました

コメントは書きません 
みなさんごゆっくり見てくださいね






Yokohama Beach DH-Area(横浜海浜住宅地区:NASGUBU BEACH AREA)









































































































如何でしたか  次回 お楽しみにね。
コメント (24)
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異国情緒あふれる港町  横浜(107)   シーメンズクラブ 本牧埠頭

2011-09-10 00:31:49 | 日記



「シーメンズクラブ」  仲間達は「シーメンズ」と呼んでいるバカでかい店である

その昔は とにかく外人さんがわんさかわんさかいて
流石 港横浜だな~  なんて感動したのを今でも覚えている 

<オリンパスC-3040>




ここ数年 その外国の船員さん達の姿もまばらになってきて
寂しい限りである

<オリンパスC-3040>





ここ「シーメンズ」は 食事はもちろん バーもあり ビリヤードあり
売店では 外人さんが好みそうな日本製のお土産なんかも販売している

<リコーGRD>





<リコーGRD>







本牧ふ頭にある「U.S.S.シーメンズクラブ」
「U.S.S.」とは「United Seamen’s Service」の略であり
外国人船員のための福利厚生施設 もともとは外国人船員のみの利用に限られていたそうである
74年に山下町からこの地に移転したのを機に一般の日本人も利用できるようになった

はげまるがここ「シーメンズクラブ」に初めて行った頃
まだ本牧には 「リキシャルーム」 「V・F・W] 「I・G(イタリアン・ガーデン)」
「ベニス」 「アネックス」  なんどが昔のままにあった時代であり
よく飲酒運転でみなさんうろうろ徘徊していたよき時代であった

ここ「シーメンズクラブ」は アメリカの兵隊さん達中心の本牧地区と異なり
ヨーロッパ系 東南アジア系の船員さん達が多くみられ 
とにかく日本人はまばらな時代であった


<オリンパスCー2000> 





ここに入ると まるで日本ではないに どこか外国の地に来ている感じになり
良く行ったものである
夕方から夜までここで飲んで食べて  深夜は本牧
なんて定番コースも何度もやった思い出がある


<シグマSD14>




ほらね  外国してるでしょう

<オリンパスCー2000>



<オリンパスCー2000>





さて みなさん中に入ってみますか

<オリンパスCー2000>





これはハロウインの時期の写真だね

<オリンパスCー2000>  




右側がレストラン  右奥がバーであり
左側にビリーヤードが出来る台がある

<シグマSD14>






この頃のコンパクトデジタルカメラは 現在のように夜でもばっちり 
手ブレなしで撮れるカメラは ほとんど無い時代であった

<2004年撮影 オリンパスCー2000  ここから二枚の写真も同じく>





よく100円玉で遊んだものである




今は この楽しいアメリカ製のゲ^ーム機械類はありません
たしか5年前には無くなっていたと思う





得意の隠し撮り カメラをテーブルの上に置いてセルフタイマー撮り

<キャノンS90>





ビックサイズのハンバーグステーキ

何しろ外人さん相手であるから 他のメニューもサイズが大きいのである
もちろん値段はお手頃価格でリーズナブルである

ポークカツとか ステーキなんかも うっめ~うっめ~(山羊ではないぞ)
美味かったな~

<リコーGRD>





<フジ 200XR>






この「シーメンズ」は10数年前に中を改装していて
昔のカウンターは現在よりかなり低かった
はげまるは昔のカウンターのほうが なんか好きだったのである


その昔の低いカウンター時代から かならずこの隅に座っていた外人さん
高く改装されてもこの隅に必ず座っている
話をしたら 「この椅子は俺のもんだ~誰にも座らせねぇんあだ~」 
 なんて英語で話しておりましたよ

女性のほうは バーの中で水割りなんかを作ってくれていたバーテンダー
さんである

最近たまに行くのであるが ふたりの姿が見れないのが少し残念なのである


<オリンパスC-3040>




今ではあまり使われたいないレストラン





そのレストランのステージ





ビリーヤードの隣にある部屋 





両替場所





トイレ






<シグマSD14>





「シーメンズ」の裏には駐車場 そしてデカイ テニスコートがある


<キャノンS90>




そしてみなさん
重大なお知らせなんです

<キャノンS90>





レストランは5月13日で終了

ごほ!げぼ!   もうあのボリューム満点のヂィナーは食べられないのである
う~~~ん   残念である 
どんどんどどどんどんとこい  (はじまりましたよ)

かろうじて土曜日曜以外の平日はバーのみ営業と書いてある

みなさん行かないとお店無くなってしまうかもよ



実はその昔の「シーメンズ」をポジ写真も撮った記憶があるが 
ポジが見つからないのである
今捜索中なのだが 前の奥さんと別れた時に紛失したかもしれない

おね~さんの場合はあきらめがつくが なんともくやしいではないか

見つかり次第 ここに載せますからね


<キャノンS90>





「シーメンズ」対岸には その昔 バスバー「ジャックナイフ」のバスが留っていたのであるが
今は違う場所で営業しているそうである

今度散策する予定でありますよ

<キャノンS90>



今回登場したカメラさん達
<キャノンS90>
<リコーGRD>
<シグマSD14>
<フジ 200XR>
<オリンパスC-3040>
<オリンパスCー2000>

実は  はげまる
いつ再発してもおかしくないくらいの病気なのです


病名は「新しいカメラ欲しい病」
困った事に半年に一度ぐらいは再発してしまう おっそろし~い病気なのである
治療薬はまだ見つかってない

治すには新しいカメラを買うしか手がない難病であり
この病気仲間は巷には沢山いて(もっと重症なお人もいる)
また  それを食い物にしているお店やら雑誌等も沢山あるから
困ったものである


はげまるの部屋の戸棚を開けてみると いままで可愛がっていたおね~さん
じゃなかった 古いカメラがわんさかわんさかと出てくる
はげまるは薄情な人間ではないので
たま~に
「お~ぃ  ごめんね 元気してるかい~」 なぁんて
声のひとつでもかけてやる事にしている


はげまるは新しいカメラを手に入れると 一週間ぐらいは枕元において
なぜなぜしたりするのが常である
真夜中になると戸棚の中の昔のおね~さん じゃなかった カメラ達が 
ひそひそ話をするのである

「また 新しいカメラを枕元において なぜなぜ しているのよ~」
「ほんと 私だってその昔 かわぃい~  かわぃい~なんて言われた時もあったのよ~」
中には男みたいなカメラもいて
「お~ぃ  このハゲ野郎  いいかげんにしろょ!!」

しかたなく可愛がってくれる友達にあげたりしたりしているのだが
戸棚の中にはまだまだ フィルムカメラからデジタルカメラまで沢山あるのである


救いはおね~さんと違い 一度買ったら後はそんなに金がかからないし
(レンズ沼にはまるとえらい目にあうが)
怪我も骨折もしない (なんなんだ)
それが救いであるな。





追記
今 モノクロフィルムに初挑戦中 自分で現像するのである
はげまるが昔愛用していた 真黒で男みたいなゴツイ昔のカメラさんが
泣いて喜んでいるのである
コメント (14)
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 異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(69)     幻のやきとり屋さん  寿町 (8)

2011-09-07 04:23:57 | 日記
今回の題「幻のやきとり屋さん」を見て

「お^^~  あの凄い焼き鳥屋さんか あの 焼き鳥が置いてない焼き鳥屋か~」

と分かる人ははげまるのブログのお得意さん じゃなかった 常連さんですね

実はあれから あの焼き鳥屋さんの場所に行ってみたら閉まっていたのである
それも廃業していたみたいで 
「あ~あの コルク水没のサントリーの水割りは
もう飲めないのか~」

なんてあきらめていたら






日曜日の夕方 寿町をほろ酔いで はげチャリに乗って徘徊していたら

「う~~ん?  あ~~ん ?」 どこかで見た やきとりの赤ちょうちん






「くんくんくんくん」 なんか匂うな~






はげまるは 確認のために はげチャリから降りて 
慎重に用心深く メニューをねめるように確認をした
「う~ん  やきとりのメニューがないぞ」

これは間違いない ぴしゃぴしゃぴしゃ 
(はげ頭を叩いている音)

<お断り 
あのね これは文を面白くするための演出で 実際そんな事はやっておりません
はげまるは正常であります  ほんと>

「また やきとりの赤ちょうちんを餌にして 客を呼び込んでいるみたいである」

そんなこんなしていたら あの コルク水没のおか~さんが中から出て来たのである

はげまるは旧友に再会したみたいにうれしくなり 早速外の椅子に座ったのである 
(ほんと変わった性格だな)





おか~さんに 「ど~も 久しぶり ここに店移転したんだ~」

おか~さんは じえんじえん はげまるの事を覚えていないみたいである

おか~さん 作り笑いしながら 「は・・・・ぁ」

はげまるは申し訳程度に書いてあった 焼き物の シシトウ ウインナー串 
2本で300円を注文した

おか~さん
  「あれ~ 今ないのよね 売り切れちゃった」 と ぬかすのである

はげまる 
  「うわ~ いいなぁ~ この感じ 前と同じだ~」と心の中でつぶやいた

はげまる
  「おか~さん このやきとりの提灯 あの前の店から もってきたんでしょ~」
   と聞いたら
おかあさん
  「そうだょ~」
はげまる
  「ところで前の店 名前はなんて言う店だったの~?」

おか~さん
  「あのね  名前は無かったのよね~」なんて またまたぬかすのである

はげまる
  「じゃ~ 今のこの店も名前ないの~」

おか~さん
  「そう ないね~  子猫の名前がココだから お客さん 
   ココってこの店呼んでいるみたいよ~」

またまた 投げやりで無責任なお答え

はげまるはここで鋭いはげ頭で推測したのである
あの焼き鳥の「ちょうちん」は ですね 
焼き鳥屋という意味では無く
実は この名無しのお店の場所を示す「ちょうちん」ではないかなんてね
そう まぁインディアンの「のろし」みたいなもの 

 
「う~ん  ここの「やきとり」の提灯はね  き、き、きっとね
 焼き鳥屋の提灯デハ な、な、なくてね
 お店のね  な、な名前がね  
「やきとり」 じゃないのかな~
 う~ん やっぱり さ、さっぱりわからないんだ な・・・」
山下画伯風





ウイスキーのメニューは書いてなかった
あのコルク水没のサントリーの水割りは 幻と終わってしまったみたいである

う~ん残念だな

とりあえず ヤッコ 200円とウーロン杯 300円を注文した
ヤッコの上にには ネギとオカカが 申し訳程度にのって出て来たので
得意の 唐辛子をまんべんなくかける

はげまる とにかく ソース 醤油 唐辛子 タバスコ等
タダでかけられるモノは すべて
いけいけどんどん となってしまう素晴らしい性格をしているのである
(こりゃ~  唐辛子とタバスコでハゲて おまけに頭がやられているな)





ヤッコをツマミで少し飲んでいたら おか~さんがどこかから
ショウガの袋(よくコンビニの弁当なんかに付随しているやつ)
を持ってきてくれてた どうやら隣の店からみたいである

おか~さん
「ヤッコには ショウガがないとね~」

はげまるはすごくうれしくなった






二杯目のウーロン杯と チャーシュー200円
隣には はげまるの一眼デジカメが写り込んでいる

寿で一眼ぶらさげて飲んでいる人はまず見かけない
コンデジだって見かけないくらいである

実は20年以上前に ここ寿で写真を撮っていて危ない目に遭遇た経験がある
一眼カメラはバックに入れて持ち歩いていて 
今バックからカメラを出したばかりである





おか~さん自家製 特製チャーシューである
 200円  脂身がかなり多いが すこぶる美味いなぁ

この店の主人は たま~に顔を出して すぐ何処かに遊びに行ってしまうそうである





前にも写真を撮った さくら(オス猫)と ココちゃん(新人)である

(ここからの写真はすべて一眼デジカメ撮りです)




 
しばらくすると新人の子猫 ココちゃんが はげまるが座っている横下あたりで
何かを真剣に見ていた







はげまるは椅子から立ち上がり ココの写真を撮った
猫は何か興味があるものに出会うと もう他のモノには目もくれない
その一点に集中できる習性がある

はげまるみたいに あちらこちらの おね~さんに目移りしてしまう 
なんて事は無い  えらいなぁ






ココちゃんが見ていた わんちゃん

なんだかんだで1300円の散財であった はげまるは1000円札と500円玉を
テーブルの上においた
おか~さんに「釣はいい~」よいって店を後にした







それからしばらく暗くなるまで 寿の違う場所で飲んだ
帰り際 「やきとり」の 店の前を通った時の写真
おか~さんの後ろ姿が写っている

みなさんご機嫌な時間を過ごしている感じである。


追記

寿ばかりに のめり込んでいると
他の散策ができなくなる恐れがあるので
寿町の散策は 今回みたいに散発的に書く事にしました


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