はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(113)   本牧チャブ屋(1) 戦前篇

2011-09-26 07:15:15 | 日記
さてさてみなさん お待たせいたしました
横浜本牧と言えば その昔から外国にまで名前をはせ 歴史にもさんさんと輝いて残る 
男なら泣いて喜びながら読み  女性ならあきれながらもしっかり読む

  ドンドンドドドドン (太鼓の音です)

本牧チャブ屋のお話しであります

「本牧チャブ屋」の歴史は古く はげまるが生まれるはるか前の話なので 
生々しい歴史など書けるはずが無いのが
ホント残念  くやしぃなぁ
 

テナ事で その歴史を軽く引用記事ですすめる事にする


 第一話

「小田原から引き移って来た私の家、最初に住んだ家は本牧の海岸にあって、
他の家よりも一層海につき出てゐる木造二階だての西洋館だった。

東向きのヴェランダの直ぐ下にはコンクリートの崖の裾まで青い波が寄せてゐて、
港へ出入りする大小の船はいつも目の前を通って行った」
こうには、私の家と呼応する如く海に突き出たキヨ・ハウスと言うチャブ屋があった。

『キヨ・ハウスの名は亜米利加までも響いてゐる。』と、
そう云はれるほどの名高いチャブ屋で、東京の人は或は知らない者もあるが、
横浜の港へ出入りする外国の船員であったら知らない者は恐らくなかったであろう。

私の二階の書斎からは、恰もその家のダンスホールが真向いに見え、
夜が更けるまで踊り狂ふ乱舞の人影につれて、夥しい足踏みの音や、
きゃっきゃっと云ふ女たちの叫びや、ピアノの響きが毎晩のやうに聞えるのだった」

 谷崎の筆によって、賑やかな女たちの暮らしぶりが伺える。
谷崎は引越しの翌年、台風に見舞われキヨ・ハウスも被害を受けた。
大正10年、谷崎は「山手267番地A」へと居所を移す。その後
、震災ののち神戸へ越すまで時折「チャブ屋」を訪れている。
谷崎作『痴人の愛』のナオミは「チャブ屋」の女がモデルだ 」



谷崎とは 谷崎潤一郎さんの事であり
まあこんな感じであったそうである
そう毎夜毎晩 酒池肉林であったみたいである  いいな~いいな~


第二話
これも引用記事

<チャブ屋(チャブや)は、1860年代から1930年代の日本において、
日本在住の外国人や、外国船の船乗りを相手にした「あいまい宿」の俗称。

チャブの語源には諸説あり、英語の軽食屋「CHOP HOUSE(チョップ・ハウス)」
が訛ったもの、という説が有力。
ほかにアメリカ式中華料理を指す「チャプスイ」が語源、という説もある。

1階はダンスホールとバーカウンターでピアノの生演奏やSPレコードによる伴奏があり
、2階に個室が並んでいた。>


ふんふんふん  へ~


もうひとつノリ がいいから行きますか

第三話
これも引用記事

<一般的な日本人が出入りする場所とは言えなかったものの
、洋楽やダンスの愛好家の間ではチャブ屋の存在は口コミで広まっていた。

ジャズや映画の評論家である植草甚一は、まだ独身だった昭和十年代、
チャブ屋に十日間泊まり込み、ジャズ浸りになったことが何度もあるという。
後年、「チャブ屋で聞いた洋楽がジャズへの愛の入り口となった」と述懐している。>


テナ感じで その頃の本牧チャブ屋さんの全容が少しは理解出来た事と思います


さてと これからははげまるの散策であります
今回の戦前の「本牧チャブ屋」の記事を書くのに 
この本がなかったら書けなかった本がある
今ではもう無い 野毛の老舗ジャズ喫茶「ちぐさ」の吉田 衛(まもる) 氏が書いた
「横浜ジャズ物語」ちぐさの50年である

参考
<「ちぐさ」は開店は1933(昭和8)年。 横浜市中区の、JR桜木町駅に近い 野毛商店街にあった
 20歳のときに店を開た
 戦争ですべて焼けてしまい 残ったわずかなレコードから店を再開した 
 まあ横浜の音楽の生き字引みたいな人
 なにしろ現在でも 日野テルマサさん秋吉敏子さん渡辺貞夫さん他
 日本の超一流ジャズメンが若い頃みなさん毎日通い続けたそうである>




今ではもう存在しない「ちぐさ」の看板は現在 横浜のジャズ評論家として有名な 柴田浩一氏が創ったモノです





ちぐさのマッチ




店主 吉田 衛さんの後ろ姿です

前からは怖くて撮れなかった(ほんと)





この本が出版された時ここ「ちぐさ」で買った本





そのとき吉田さんが書いてくれたサイン  先日ネットで見たら 
サイン入りは2万円以上の高値がつき
サインがなくても1万ぐらいの高値がついていて
小心物のはげまる おもわず手が わなわなとふるえたのである


この本の 前書きの一遍を載せる事にする

「吉田さんの話は昭和初めのジャズ・レコード喫茶店の開業から
さらに遠く大正時代のミルクホールにまでさかのぼり
戦前のダンスホールやチャブ屋の華やかなりしころ
そして戦後のジャズ・ブームへと果てしなく広がっていった」

ほらね ジャズはもとより ミルクホール(大正時代) そいて今回の
本牧チャブ屋さんの話まで出てくる すっげ~ 本なのです





さてこれからが本番である
吉田さんがうる覚えで書いそうであるが 戦前の本牧チャブ屋街の地図である
現在の山手警察の裏あたりの通りみたいであるが
なにしろ形跡はまるでないので そんなもんか~みたいに読んでね 


そしてこれからが 本番の 本番  大大本番~なのである

このちぐさの本の前書きの次のページに出て来る
戦前のダンスホールとチャブ屋のマッチコレクションである
(鼻息も荒しのはげまるである)


提供者は千代崎清蔵さんである

ここで吉田さんと千代崎清蔵さんの関係を本の一節をまるごと
載せる事にしました


「横浜の南区井土ヶ谷中町の住む 千代崎清蔵さんである
思い起こせば、あれは私が小学校に入る前で、寿町3丁目にいたころ
すぐ近くに千代崎さん一家が居を構え、終始行き来していた
大正8年の横浜の大火のあとのこと・・
清蔵さんは私よりだいぶ年上だが、弟の勝蔵さんが同じ位の年頃だったので
よく一緒に遊んだものだった・・」


千代崎さんは吉田さんが神奈川新聞に毎週連載されたいた「戦後ジャズ物語」が
本になる事を知ってマッチコレクション資料を持ってきたそうである


谷崎潤一郎さんが一時住んでいた所からよく見えた
キヨホテルのマッチまで出てくる

そんな御宝コレクションである 覚悟を決めて無段記載しました
(もう やぶれかぶれだな)



それでは千代崎清蔵さんのマッチコレクションをご覧ください










「ひや~  すっげ~  びっくらすたなぁ~もぅ」
   と思った事と思う


「小さすぎて 個々のマッチがよく分からないでないか~ 」
「もっと はっきり見せろ~  この~」と日出町のミュージック・ホールの
罵声に近い声も聞こえてきそうである


はい テナ事で マッチひとつづつ 拡大してみました





































一番有名だったキヨ・ホテルのマッチですね













みなさん 如何でしたか
ほんと 横浜異国情緒あふれる
じぇ~んぶ戦前の本牧チャブ屋(小港の方が多い)のマッチ

たぶん その当時のマッチの配色とデザインの素晴らしさに
開いた口がふさがらなくて季節外れの蚊が飛び込んだり
あまりの素晴らしさにエンピツを鼻の穴に入れてしまったとか
(そんやつはおらんか)
とにかく感動した事と思います

ちぐさの親父さん そして千代崎清蔵さんに
 ほんと感謝ですね

尚戦前の本牧チャブ屋さんの事をねほりはほり もっと知りたい人は
おのおの調べてくださいね
はげまるのブログにコメントをくれた檀原照和さんが書いている
「消えた横浜娼婦たち」にも詳しく書かれております


次回は 戦後の本牧チャブ屋  書きますね。
(行った事ねぇけんどよ~)


御断り
尚 戦後の本牧チャブ屋編は情報集めで時間が少しかかると思うので
少し間をおきますので あしからずね
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8 コメント

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本牧 (rio)
2011-09-26 08:27:24
ある先輩に昔はhonmokuじゃなくhommokuだったと、言われたことが あったけど、本当に、hommokuなのですね?本牧に何代もいるのに、うちの親とかは 横文字がダメでこの記事で確信しました。HOMMOKU カッチョイイ~~
返信する
Unknown (はげまる)
2011-09-26 14:24:04
rioさん

ひゃ  気が付きませんでした
ほんとHOMMOKUですね なんか異国の地名ぽくていいですね 

返信する
浜っ子のセンス (☆☆☆)
2011-09-26 15:51:11
うわぁ・・・マッチ
しかもこの凝ったデザイン・・
スターホテルのは船旅で疲れた人々のオアシスを表しているのでしょうか?
CAFE FRISCOのトド?が上陸する画はなにやら意味深な遊び心を感じます。
そしてモボとモガのダンスシーン、色合いも、画のタッチも、すべてがお洒落

CITY HOTELのセェテーホテルは時代を感じさせる発音ですが
こういうのを見ると、どうしても妄想が加速します

外人「CITY HOTEL」 力車夫「ああ セェテーホテルね」

外人「CITY HOTEL!」 力車夫「だから せえてーほてるだろ!!」

こんな伴淳三郎のクイントリックスのCMみたいなやり取りがあったはず
もう、あったことにしておきましょう

いずれにしてもこの時代のチャブ屋は単なる性処理場にとどまらず、
音楽や建築デザインから文学にいたるまで
様々な文化を育んだ経緯があるからこそ魅力的なのだと思うのです。
外から横浜を見たときに感じる浜っ子のセンスのよさは
古くからの舶来文化との交流で培われてきた血なのだと、あらためて感じました。
返信する
浜っ子のセンス は凄い (はげまる)
2011-09-26 18:39:55
☆☆☆さん

ほんと浜っ子のセンスはその明治大正時代からのDNAなのですかね

ばんじゅんさん外人さんのコント最高ですね
ばんじゅんさんの なまった喋りが ぶぁ~って蘇ってきました
はげまるも古い人間ですね^^(わらい)
返信する
訂正 (☆☆☆)
2011-09-26 19:21:02
間違えました
クイントリックスは伴淳三郎じゃなくて坊屋三郎でした。

伴淳三郎は「とわいにんぐちーぷりーず」の方でした。

知らない方にはものすごくどーでもいいことですが、訂正してお詫びいたします。
返信する
坊屋三郎さん   (はげまる)
2011-09-27 12:01:27
☆☆☆さん

坊屋三郎さん  これも古いですね今の若い人誰も知らないですね エノケンさんの時代ですもんね(わらい)

ちなみにクイントリックス 名前は覚えておりますが その画面の記憶がないので脳から自然消滅したみたいです
最近多いです  しょぼん
返信する
マッチコレクション (よんぼう)
2011-09-28 10:26:26
凄いですねぇ~

このコレクションは・・・・
チャブ屋の話だけかと思いましたら、こんな隠し技が有りましたか。
デザインのさることながら、局番が2ですし、横浜本牧小港ですもんね。

それに「ちぐさ」のおやっさんの後姿・・・

みんなは凄い人、怖い人と言っておりましが、自分には凄く優しい人で、行くと奢ってくれたりしておりました。

父がおやっさんの友人だったことも有り、初めて伺ったのが、中学の時に父に連れられ行き何度か父の用事や届け物をしに行きまた。

その当時自分はバリバリのロック小僧でしたので、JAZZはあまり聴いていなく、今思えば
もっと聴いておけばと後悔しております。

今夜はおやっさんを思い出しながら、アートブレーキーなんぞ聴きながらいっぱいやるつもりです。
返信する
ロック小僧仲間ですね (はげまる)
2011-09-28 15:19:42
よんぼうさん

ど~もです

>デザインのさることながら、局番が2ですし、横浜本牧小港ですもんね

そうそう すごいですよね

ちぐさのおやじさんと知り合いとはいいですね

はげまるが通いだしたのは ジャズを聞き出した頃でその頃は新参者でしたから もう怖かったデス
こちらも ロックやってたから 人も曲もちんぷんかんぷんでしたよ
返信する

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