はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

さっぱりわから~ん  計画停電  

2011-03-15 00:54:34 | 日記
昨日から 臨時停電なんてありました
臨時停電は 東電が昭和26年に設立されてから 初めての事だそうだ

グループ1 から グループ5まであり 
中には何度も名前が出てくる市町村もあったり
オマケに一日に2回に分けて停電するグループがあったり
停電はその中の一部の地域であったり
電力が足りたので 停電回避したり
テレビを見ていても さっぱりわから~ん

東電の説明する人も 説明を聞いている記者ならび
視聴者も さっぱりわから~ん

今日もこうなるのかも さっぱりわから~ん

はい 赤だして~ 赤ださないで 白出して~
白出す感じで 白出さない!
赤出さない感じで 赤ださない
はい パンツ脱ぐ感じで パンツ脱がない
パンツ脱がない感じで パンツ脱がないか考えて
やっぱりパンツ脱ぐ(あそ~れ)
停電する感じで停電しない 停電しない感じで 
やっぱり停電しない感じでしたりして
えんえんと つづくのである

今日もかもね

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東北地方大地震 平成23年3月11日 横浜市中区

2011-03-12 10:32:53 | 日記
本日 東北地方で大地震発生
はげまるの生活圏内もかなり大変でした




信号機も電気が不通




大渋滞
徒歩で関内方面まで歩く




いつもの川
流れがおかしく  逆流していました





JR関内駅
ホームの蛍光灯が落下したりしたそうです
もちろん京浜東北根岸線は不通




タクシー待ちの人達
タクシーもほとんど来ない 大渋滞の影響大





携帯電話がほとんど使用不可
公衆電話に並ぶたくさんの人達
はげまるは ipodとイーモバイルで情報を得ていました





ショーウインドの倒れたマネキン





家の付近は地震直後から 電気が不通
復旧は翌日の深夜2時過ぎでした

皆さんの 安全を願っております
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異国情緒あふれる港町  横浜(69)    桜木町デパート と 横浜エイトセンター

2011-03-10 00:50:28 | 日記
みなさん  「桜木町デパート」って 耳にした事ありますか

はげまるは初めて耳にしたもんで よく分からないのであるが
先日ご近所のにあるクリーニング屋さんの オジサンが
(はげまるよりオジサン)
 
「都橋商店街と 横浜エイトセンターはよ~兄弟みていなもんで
そんれには(それには)「桜木町デパート」が 絡んでいたんだよ~」
と 未だに とうほぐ(東北)なまが抜けない語りで教えてくれたのである

テナ事で急遽 対談と相成った次第であります

これから先は はげまるの質疑
とうほぐ出身の おじさんの応答で話を進める事にする

ここで紹介する事にする
「今日は宜しくお願いしま~す 芋畑掘ぇ門さんで~す (仮名)」(はげまる)

「ドォンゾ(ど~ぞ)ヨンロスク(よろしく)」(おじさん)





「あの~ おじさんはいつ頃 横浜に来たのですか」 (はげまる)

「オエが(俺が) スウダン(集団)スウソク(就職)でね
ウイノ(上野)ば着いんたのは戦後まもなくでよ~
そんれから横浜さにきたんだども 車とかねバスとかね沢山見てね~
ドデしたな~(動揺した)ぺな」 (おじさん)

「あの~ 桜木町デパートって 今のデパートみたいだったんですか?」
  (はげまる)

「イインヤ(いいえ) ツゥサイ(小さい)飲み屋がテェ~クサン(たくさん)
中に入っていててよ~ん
オエ(俺)ら 毎日シンダケ(一生懸命)働いてよ~ん  そんれでも(それでも)
夜になるとよ~コンドク(孤独)で寂しいからよ~ よくソゴ(そこ)に
通ったんんだ~よ~

ソゴ(そこ)でなぁ メンコエ(かわいい)若いお店のオバコ(おね~さん)の
ヤッコエ(柔らかい)肌触ってよ~ どぇりゃ~楽しかっただなべ~
そのネッチャンのネメエ(なまえ)はよ~ 」
(おじさん)

「・・・・あの~  そろそろ本題に入りたいんです」(はげまる)

ンダ (はい) 
 (おじさん)

おじさんマダマダ話足りないみたいで
少し残念そうである

ここからは おじさんに少し黙っていてもらう事になった

さてとそろそろ 本題に入りますか


(このおじさんの奥さんは 名古屋方面出身 その他
いろいろな方言が交じり込んでいるな~なんて思った はげまるである)







コノ写真は 桜川新道の昔の姿 そうなんです


桜木町駅から横浜に通ずる国道16号線と平行に流れていた桜川
それを埋め立てている頃の写真であります
ここからは参考資料をもとにして 話を進めて行く事にする


<資料① 
1952年になるとドブ臭い桜川の埋め立てが始まり、
露店小屋の飲食店は撤去され、中区役所裏の2階建ての建物に集められた。
これが「桜木町デパート」である。>


ここで「桜木町デパート」の名前が出てきた
1952年とは はげまるがまだ4歳の頃であるので
知る余地もないが 川沿いに露店小屋の飲食店が
沢山あった事がわかる



<資料②
昭和27年、桜川を埋め立てて道路を造ることになり、
横丁の酒場は立ち退きを迫られた。
その収容先として建設されたのが「桜木町デパート」だったのである。
毎晩、サラリーマンで賑わっていたという。>



「そうそう オモシェ(たのしい)ところでよ~ 」
(またしても勝手に登場した おじさん)
「ジャンコ(田舎)からよ~オヤズ(親父)さんが出てきた時もよ~・・」

ここで はげまる おじさんの口を左手でふさぎながら

さてと・・・  では次の写真行きますか

どたばた がた~ん~ん 
  (おじさん いやがって暴れている)







はい これが「桜木町デパート」です

写真からは見れないとと思うが 大きいサイズで見ると
入口の上のあたりにある看板あたりに
「酔郷と味覚のセンター」という字が見てとれる

ここからの話は又又 資料をもとにして話を進める事にする


<資料③
建物内部は3坪ほどに仕切られた店が、約140軒並んでいた。>

<資料④
 桜木町デパートの入口は、現在の交番横にあたる。
1階正面は不二家。その前の路上にはウナギの釣り堀もあった。
 「ライカ」、「いざよい」、「ヒンメル」、「太平山」、
「山茶郷」、「小西」など、みんなここにあった店だ。>


洋食の「小西」さん ここから出たのか~
よく食べた思い出がある



<資料⑤
1972年、高速道路建設のため桜木町デパートの立ち退きが決まった。
その中の一部は長者町のエイトセンターや都橋商店街2階へ集められた。
 桜木町駅前から始まった「呑み屋の戦後」は、
こうして各地区に散らばっていったのである>



ここで今回の準主役でもある 「横浜エイトセンター」
の名前が出てきた

ここから冒頭の おじさんの言葉
「都橋商店街と 横浜エイトセンターはよ~兄弟みていなもんで」
の話が確認されたわけである


「うぐうぐうぐ・・・」

おじさんが話したいみたいであるが ガムテープで口をふさいでいる

さらに違う沢山の資料をみてみる



<資料⑥
 ちなみに埋め立てられた川は桜川新道となり、
今では「紅葉橋」とか「雪見橋」などバス停にその名残をとどめてる。
名前はデパートであるが、いわゆる今で言うところの百貨店ではない。
一部、荒物屋みたいなものが入っていたものの

大半が飲食店という2階建ての雑居ビルだった。
総店舗数は100軒以上。毎日ハシゴ酒したって、
全店制覇するには1年くらいかかる飲兵衛の殿堂であったという。>



ひぇ~  100軒以上の飲み屋が一同にビルの中にあったなんて
すっげ~~^^



<資料⑦
 昭和39年、派大岡川の中に橋脚を建てて根岸線が開通し
、桜木町から磯子方面への足が確保されたわけだが、
その線路に沿うような形で新しい道路を建設するということになり、
その障害物となったのが「桜木町デパート」だった。

 その結果、昭和47年ごろ建物は解体撤去され、
中に入っていた酒場は市内各地へ散った。
そのうちの40数軒は長者町8丁目に新しく建築した
「エイトセンター」へ入居。
さらに一部は都橋商店街にも移転したと聞く。>



これが 横浜エイトセンターの出来た概要である

尚 都橋商店街も 野毛の本通りにあった露天商のために
横浜エイトセンター同様 横浜市が建てたものだそうだ

桜木町 野毛あたりに 終戦後の雑踏の中で生まれてきた露天商は
こうして 桜木町デパートから 二つのビルへと移って行ったのである






はい これが「横浜エイトセンター」

昭和47年築であるから  今から38年前か~
すっげ~~
はげまるがマダ はげてねぇ時代だ





「横浜エイトセンター」の看板には 協同組合という字もみられる

そう この飲食店ビルは 横浜市が建てた飲み屋ビルなのである
今では考えられないな~ 
お役所が飲み屋のビルを造るなんてね






看板は夜ともなると 心地よい怪しい姿をかもしでしてくれる
明りが点いてない看板も多々ある 店が入ってないのだろうな
なんて考えられる

さて次回は 横浜エイトセンターの中を散策してみますか

そうそう おじさんはガムテープを口にしたまま 寝ておりますよ。

<おじさんとの話は はじめの書き出し以外
対談はすべてフィクション(創作)であり
おまけに かなりいいかげんです  ははは>

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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(53)   野毛  中華「第一亭」

2011-03-07 00:36:09 | 日記



前回 書いた「相馬コウタ」君が お勧めの店 「第一亭」
近所には「第二亭」 「第三亭」なんどは無い

とにかく「第一」 なのである

上の大きい目立つ看板には 「中華 第一亭」とあり 周りを
「ラーメン」 「餃子」 「ホルモン鍋」 「ホルモン炒」
その下の赤い看板にも やはり「第一亭」とあり 周りを
「舌尾頭耳豚足」 「スタミナ料理」 などなど

まぁ とにかく書けるメニューを書けるだけ看板に書きました~
的でもあるが これが野毛^^  野毛の看板の楽しさなんですね
黄昏時に のんびり歩いていると 看板を見ているだけで楽しくなってしまう

それが野毛なのである

さて 「第一亭」
場所は  B級横浜散策(49)でも書いた 狭い裏道 
石鹸の館(ソープランド)が数軒ある道の先端あたり位置している




外にある ショーウィンド  
変わり種で 「豚足うまに」 「しじみ醤油漬」あたりかな





はげまるが 最初に注文した コウタ君御推薦の「しじみ醤油漬」
同時に注文したのは ウーロン杯

ここで店の中 そう「第一亭」の状況を書かずにはおられまい

はげまるが店に入ったのは 日曜日 のんびりの昼下がり 午後3時ごろ
のんびりガラガラと 店の入口のドアを開けたのである

そこは シリアみたいな 大戦慄緊迫の世界であったのである
 どんどんどんどんどどど~ん とパソコンの机を叩く
(はじまりました)

テレビだったら ここいらでCMでも入れたくなるな

店の中はそこそこ広く 超満員 
空いている席は入口の手前テーブルのみ
しかも相席である
その席に座ってから気が付いたのであるが 
お客さん全員がはげまるの上のあたりを見ている

なんと はげまるの上の方には デカイTVが設置してあったのである

そう  はげまる以外の客 全員が競馬中継を見てる
流石 場外馬券場がある野毛である

はげまる一人対30人以上の客が 相対自しているのである
思わず ピースマークでもするかな~ とも思ったが
誰ひとりとして はげまるの存在など眼中には無い





そうなのです  全員 はげまるの頭の上あたりのテレビを

みなさん 真剣に真面目に見入っておりました





得意の ま~いいか^^~ と
「しじみ醤油漬」を食べてみる  
醤油にニンニクがかなりしみ込んだ 絶品の美味さ
酒のツマミには最高^^~

競馬に興味がないはげまるは
シジミの殻で 醤油の残骸スープをすすって飲んだりして
一人の世界に入っていったのである





次に注文した「八宝菜炒」

ニンニクの小片が沢山入っていて もう うみゃ~てうみゃ~て
文句無し 500円  いいぞ~





はげまるの座っている テーブル写真

目の前に座っている デブのおじさん (はげまるよりかなり若い)の
競馬新聞が見える






八宝菜の皿の中は 跡かたもなく きれいに食べつくされている

これは はげまるが皿を両手で持って 八宝菜の汁を吸ったあとである
もちろんウーロン杯をおかわりして これから「シジミ汁」を
またまた 皿ごと飲むのである

なんたって はげまるの行動なんて 誰も見ていないのである
コノ場で 布団をひいて 寝転んでいても
誰一人気が付かない感じである
気楽は  いい  いいな~





「第一亭」のリビア内戦状態は 4時少し前には  
すっかりと冷静さを取り戻していた
先ほどまでいた 沢山の人達は雲散霧消
残っている客は少ない

負けた馬券をいつまでも眺めながら ブッブッ独り言を言う人
店の人や 仲間と負け具合を反省している人達などが 
負けの余韻を楽しんでいるのである
(楽しんでねいぞ こ~の)






店の猫ちゃんも 店が一段落したので 出てきたみたいである
これから 各テーブルを廻って 負け組の人達を
慰めるのかにゃ~

野毛には 
ぅ~わかっちゃいるけどぉ やめられねえ^^~
(この乗りが分かる人は だびん 同年代だにゃ~)
の男達が集まってくる 気持ちいい場所なのである。
コメント (2)
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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(52)   関内  相馬屋と ピンナップ・ガール

2011-03-04 01:00:01 | 日記



関内の飲食店ビルの三階にある こじんまりしたバー「相馬屋」

写真の洋モク (呼び方がじじぃくさいか)
ポールモールは 酒のツマミに店主の 相馬コウタ君が
はげまるにくれたタバコである

もちろん気のきいたフルーツやら つまみは出てくるのだが
ようするに その日の最高のおもてなしをしてくれるバーである

はげまるがマダ 毛がふっさふっさしていた時代
横浜の町にアメリカの兵隊さん達が うじゃうじゃいた時代
フィルターが付いてない 両切りの ポールモールを何度か吸った思い出がある
もちろん濃い独特の赤のパッケージであった

アメリカの赤と言えば はげまるなら マルボロの赤を思い浮かべるが
このポールモールも味のある赤であるな~
なんて感じ入ってしまうのである





話は 出だしそうそう脱線するのである

ポールモールの赤もいいな~  なんて思っていたら
たまたま この記事をパソコンで見た
アメリカの赤 そうコダクローム風の真濃赤風の赤のポスターが目にとまった

アメリカの有名なピンナップガールであった ジェーン・ラッセルさんが死去の記事
86歳であったそうだ

ここで違う記事からの無断転載どぇす

<ピンナップ・ガール
ピンナップとは、
ピンで留めて壁に飾る写真のことをいう。
特に、 ... 第二次世界大戦当時、アメリカ軍の兵士達にも、
勇気を与えたり、故郷の恋人を 思い出す為にピンナップガールは、流行したという>


う~ん 戦争におもむいた若いアメリカ軍の兵士たちの
股間を熱く熱く熱く^^^^>したのだろうな~
なんたって 若い兵隊さん達 やりたい盛りだもんな
(ジャンケンではないぞ)


やりたい話で熱くなりついで 脱線ついでに
無断転載の当時のピンナップガールのブリキ絵板です
ブリキ絵でも アメリカしておるな~



ひゃ~ 想像するな~ LADY LUCK だって  LUCKの LをFに変えると
  ひゃ~^^~



READY RIDE だって  うっふ~ん用意いいわよ~乗って~テカ
このヒップ ヒップ ヒップ~プ~っ (ひとりで盛り上がっておるな)



やんやんやんや拍手喝采



MAIDEN(処女)AMERICA
わ~ぃわ~ぃ





と かなり盛り上がってきた所で 話を急遽「相馬屋」にもどす

冷静な 相馬コウタ君の写真

(なぁんか ガクットと盛り下がってきたな  ごめんコウタ君)

おほん (咳をした)

彼とは1年半ほど前まで はげまるが仕事でピアノを弾いていた店
「パラダイスカフェ」でバーテンダーをしていた頃からの仲間である

ジョン トラボルタ が大好きみたいで いつも髪型他服装も決まっていて
会話も上手い もちろん酒も上手い












奥のテレビには いつも洋物の映画が音声無し
字幕入りで流れている
一人の時は のんびりと字幕見ながら スコッチを飲むのが好きである

ぼ~っとね






はげまるの ジッポである

もちろん マルボロ ポールモール ピンナップガール同様
はげまると同年代で 横浜で遊んでいた輩たちにのアメリカ

輝く憧れであった時代のアメリカを代表する逸品である 








コウタ君も アメリカしているのがいい
 といつも感じてしまうのであるが
渋~ぃ 焼き鳥屋とか 渋すぎる居酒屋とか知っていて
話が合うのである

次回は コウタ君お勧めの 野毛の中華屋兼ホルモン屋兼競馬中継兼
何でもアリの所でも 散策しますね

お楽しみに。

追記
先日コウタ君に会ったら 髪が ぼさぼさに伸び ヒゲもはいてた
ジョン・トラボルタから ジョン・ズタボルタになっていた(笑い)

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