明生 それで……、粟谷家最初の能楽師は誰?

菊生 よくわからないけれど~、益二郎のおじいさんの粟谷新三郎が謡の師匠で~ここからかな、その子はこの道をやらないから、新三郎にとっては孫が二代目の跡を継いだことになるのかなあ……。

明生 その粟谷新三郎は茶屋と同じ人?

菊生 その新三郎より以前の人だと思うけれどねえ……それが茶屋になっているんだよ、墓石ではね……。

明生 じゃ、お茶売って泡食ってアワヤになったのでいいね。(笑い)

菊生 それでいいだろうよ(笑) 親父は一人っ子だった。おばあさんは、とにかく寂しいので多産系の人と結婚させようと思ったんだろうね。それで10人兄弟の小鷹狩家、小鷹狩家は浅野家の家老の家なんだが~~、その四女の末(スエ・末子とも)と結婚させた。それで僕らが生まれた。小鷹狩家は梅興、花、長男明、春、母の末、信、幸治、登、勝治、和子の10人兄弟で長男の明に3人姉妹がいて真ん中が小鷹利繁子、嫁に入って森繁子、ペギー葉山よ。

明生 あ……そういう関係なのか

菊生 ペギー葉山が「永六輔さんとトークショーをやるから、お兄ちゃん謡を謡っていいかしら?」と言うから「いいよ、昔教えたじゃないか」と返事したことがあるよ。謡ったのかな?

明生 それは初耳だな。ペギー葉山さんに謡を教えたのはいつ?

菊生 子供のとき。僕も教えたし、親父も教えたよ。『湯谷』で「寺は桂の橋柱・・・」って教えたら、「寺は坊主の住むところ」とふざけて謡っていたよ。

明生 ペギー葉山とは従兄弟ということだね。

菊生 そういうことだ。

続く


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