「日本人が9割間違える日本語」(PHP文庫 本郷陽二著 本体¥571)を読み、私は完璧な日本人であることを証明してしまった。もちろん、これは決して嬉しいことではないのだ。
「最近の日本語って乱れていない? 特に、あれよくなくない?などは言語道断!」
と大人ぶって氾濫している日本語を嘆いても、自分自身がこの有様ではもうお恥ずかしい限りだ。ちゃんとした日本語を知らなくてどうする!と今自分に怒っている。
今、東京五反田にある「池田山舞台」での粟谷明生謡曲・仕舞教室のパンフレットを作成中だが、そこに
「和の習い事、とり分け能楽のお稽古は敷居が高く、またどういうものなのか想像もつかない、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに敷居の高さはあるかもしれませんが、お稽古をしてみると意外にそう感じない、とのご感想がたくさんあります。・・・」
と書くつもりだったが、どうもこれは正しい日本語ではないので書き換える必要がありそうだ。
「敷居が高い」の本来の意味は
「不義理や不面目なことがあって、その人の家に行きにくい」
ということ。したがって「借金を返していないから、あの家は敷居が高くて・・・」というのが正しい使い方で、私は「高級すぎたり、上品すぎたりして入りづらい」という意味に誤用していた。
また「あいつは姑息な奴だな」
と言うのも、私は「ずるく、卑怯な奴」と解釈していたが、本当の意味は
「根本的な解決ではなく、一時しのぎにすること」を言うらしい。
では、この例はいかがかな?
「全然、の次には肯定と否定のどちらが来るべきか?」
私は全然の次は否定と習った。がしかし、最近では「全然いい、全然OK」などと言うので、「あれは間違いだね」と言うと、
「いや、あれ実は大昔は全然の次は肯定だったらしいですよ。それが近代になって否定に変わった、とも言われていますよ」と。
つまり言葉は生きていてどんどん変わるということだ。
でも変わるからと言って、あからさまに間違えるのも、この57歳ではみっともないので、
読み直して9割の間違いを5割程度までに引きあげたいものだ。
粟谷能の会チケット情報
S席 残席僅少
A席(残り5枚)
B席(残4枚)
D席E席 残席僅少
C席 完売
文責 粟谷明生
私は個人的に、ら抜きは耳障り以外の何ものでもないと思っていて、ら抜きをする必要を感じないし、また、ら抜きをする根拠も存在しないので、しません。
また、先日会ったアメリカからの留学生は、やばい!とか、おつかれさま!という現代語の理解に苦しむと言っていました、それも、やはり、根拠がないからだと、私は、思っています。
言葉なんて、ペナルティーがなければ、なにを話そうといいのですよね?
しかし、そこに採点が入るとなると、皆様・よい子に変身・・日本語はいささか面倒かも。