「年をとると注意忠告してくれる人がいなくなる」
とある先生がおっしゃていた。
「お父さんは色々なことを言って下さったよ。
今、感謝の気持ちで一杯だ」
父が聞いたら、さぞ喜ぶだろう。
注意や忠告というのは言われた時はちょっとムッとするが、
それが本当のことならば、時間が経つと~~
「あ~~有り難いことを言っていただいた!」
と思う。
先日、愛弟子4名様に携帯電話の応対と喋り方、
メール作法についてのご注意を受けた。
まあ~~
内容はいつも家内から言われているものと~~
ほぼ同じ。
「あ~私のためによく言って下さいました!
これからは気を付けましょう!」
言われているうちが華、感謝、感謝。
賢い者はここで終わらせる。
私はここで終える。
凡人はここで妙な気を起こす。
以前の私だ。
「そうか~~、でも、あなただって~~」
とか
「そんなことない!自分のことを棚に上げて~!」
と。
すると~
おわかりですね。
たいへんなことになる~~~~
結局、注意した方もされた方もボロボロ。
凡人よ、よ~く心しておきなさい!
「注意・忠告する人というのは~~~
概して注意・忠告されるのは~~
好きじゃない」
んだよ。
その時ボロボロになっても、冷静になった時、賢い人は「なぜそんなこと言われたのかな」と考え、本当の助言・忠告を選択し、受け入れていけるのだと思う。
「あばたもえくぼ」で、誰かを好きになると全部受け入れられたり、何も言わないで自分が我慢することが相手への愛だと思える人もいる。それができる人は幸せだろう、と思ったりもするけれど、そうなると好きになられた方は、とんでもない勘違い人生を送ることにもなりかねない。
一人の助言、忠告はその人一人だけのもの、ということもあれば、たまたまその人が言ってくれただけで、同じ考えの人がうしろに百人もいることもある。怒ったり傷ついたりしながら、そのあたりを見極めて行くのが賢さかもしれない。
助言や忠告が好きな人・・・って、いないと思う。いたら、けっこう気持ち悪い。人間って好きな人にほどきついことを言ってしまう変わった生き物なのかも。
ただ、「こんなこと言ってくれるのは自分のことを好きだからだ」と考えてしまうのも、おめでた過ぎる。
でも、「へんなところをへん」って言われてさっさと逃げちゃうような人は、きっと何年たってもへんで、いずれ逃げちゃう人だからストレスの材料にならなかっただけよかった、と考えて・・若い人でもそうでない人、いると思います。でも数が少ないのかな~。先が思いやられるような・・・・・
反応が早すぎて、小生只今、ついていけないかも(笑い)