5月19日、今年の4月から私の仕事のお手伝いをしていただくことになった「メッセージテクノロジー」の植村文明氏と高尾潤氏の三名で二本松市の視察に行って来ました。
東京発16時40分の「やまびこ」に乗車、郡山駅にて在来線に乗り換えて20分ほどで二本松駅に到着しました。タクシーで15分ほどで、宿泊地・岳温泉「陽日の郷(ゆいのさと あづま館」に到着、いい湯と美味しいお食事をいただき堪能しました。
面白いメニューにびっくり
福島県と言えばアサヒビールです。アサヒの工場があるので地元ではアサヒビール一辺倒なのでしょうが、「麒麟もありますよ」と敢えて記載するところに私大笑いしてしまいました。
翌日20日は二本松市教育委員会の文化課長の市川博夫氏のご厚意によりまして車を手配していただき、まずは二本松市教育委員会へ表敬訪問、そのあと休館日の大山忠作美術館を特別に拝観させていただきました。
私、館内をひとりじめして学芸員の東前さんがひとつひとつ作品の説明して下さるという、超VIP待遇に満足度は120%でした。
昼食後、「二本松城跡」から城主丹羽家の菩提寺「大隣寺」高村智恵子の生家「智恵子記念館」最後に「二本松神社」にお参りして帰路につきました。
ではその一部を写真でご紹介します。
戊辰戦争二本松最大の激戦地・大壇口戦場における少年隊の奮戦姿を彫刻家・橋本堅太郎氏が平成8年にブロンズ制作しました。その前にて、植村氏と。
二本松少年隊の事は、少年の戦死というあまり悲劇と賊軍扱いのため近年まであまり表舞台には出ないようにしてきた経緯があるようです。
「箕輪門」は箕輪村山王寺山のご神木を用いた櫓門です。
霞が池には藤棚があり、ちょうど藤が見頃でした。
本丸まで車で移動、見晴らしのよい本丸跡にて、御世話になった、市川氏と植村氏と、後方にうっすらと残雪の残る安達太良山が見えました。
丹羽家の菩提寺「大隣寺」には、霊廟、墓所をはじめ少年隊の供養塔があり、参道入口には少年隊副隊長・二階堂衛守戦死の地碑があった。初代のお墓にご挨拶。
高村智恵子の生家は昔のまま古い建物現存していますが、記念館は近代的なとても綺麗な建物でした。生家「長沼酒造」の前にて
最後は駅前にある「二本松神社」に参拝。
本殿に「源頼政鵺退治の図」があったようだが見落としてしまいました。
参拝後、運良く安藤宮司さんにお会い出来ました。安藤さんから「二本松に是非能楽堂がほしい、建てたい、よろしくお願いします!」と仰っていただきました。
二本松市を一日でこんなに効率よく拝見出来たのは、市川博夫氏のお陰です、御礼申し上げます。市川様、どうも有難うございました。
二本松市はもともと喜多流でしたが、今はその愛好者もかなり減少しているようです。
将来、二本松市で能公演を企画し、そして喜多流の謡曲ファンが増やしたい、そう努力したいと思い、また近いうちに二本松に行きたいと思いました。
写真 粟谷明生
文責 粟谷明生
東京発16時40分の「やまびこ」に乗車、郡山駅にて在来線に乗り換えて20分ほどで二本松駅に到着しました。タクシーで15分ほどで、宿泊地・岳温泉「陽日の郷(ゆいのさと あづま館」に到着、いい湯と美味しいお食事をいただき堪能しました。
面白いメニューにびっくり
福島県と言えばアサヒビールです。アサヒの工場があるので地元ではアサヒビール一辺倒なのでしょうが、「麒麟もありますよ」と敢えて記載するところに私大笑いしてしまいました。
翌日20日は二本松市教育委員会の文化課長の市川博夫氏のご厚意によりまして車を手配していただき、まずは二本松市教育委員会へ表敬訪問、そのあと休館日の大山忠作美術館を特別に拝観させていただきました。
私、館内をひとりじめして学芸員の東前さんがひとつひとつ作品の説明して下さるという、超VIP待遇に満足度は120%でした。
昼食後、「二本松城跡」から城主丹羽家の菩提寺「大隣寺」高村智恵子の生家「智恵子記念館」最後に「二本松神社」にお参りして帰路につきました。
ではその一部を写真でご紹介します。
戊辰戦争二本松最大の激戦地・大壇口戦場における少年隊の奮戦姿を彫刻家・橋本堅太郎氏が平成8年にブロンズ制作しました。その前にて、植村氏と。
二本松少年隊の事は、少年の戦死というあまり悲劇と賊軍扱いのため近年まであまり表舞台には出ないようにしてきた経緯があるようです。
「箕輪門」は箕輪村山王寺山のご神木を用いた櫓門です。
霞が池には藤棚があり、ちょうど藤が見頃でした。
本丸まで車で移動、見晴らしのよい本丸跡にて、御世話になった、市川氏と植村氏と、後方にうっすらと残雪の残る安達太良山が見えました。
丹羽家の菩提寺「大隣寺」には、霊廟、墓所をはじめ少年隊の供養塔があり、参道入口には少年隊副隊長・二階堂衛守戦死の地碑があった。初代のお墓にご挨拶。
高村智恵子の生家は昔のまま古い建物現存していますが、記念館は近代的なとても綺麗な建物でした。生家「長沼酒造」の前にて
最後は駅前にある「二本松神社」に参拝。
本殿に「源頼政鵺退治の図」があったようだが見落としてしまいました。
参拝後、運良く安藤宮司さんにお会い出来ました。安藤さんから「二本松に是非能楽堂がほしい、建てたい、よろしくお願いします!」と仰っていただきました。
二本松市を一日でこんなに効率よく拝見出来たのは、市川博夫氏のお陰です、御礼申し上げます。市川様、どうも有難うございました。
二本松市はもともと喜多流でしたが、今はその愛好者もかなり減少しているようです。
将来、二本松市で能公演を企画し、そして喜多流の謡曲ファンが増やしたい、そう努力したいと思い、また近いうちに二本松に行きたいと思いました。
写真 粟谷明生
文責 粟谷明生