5月12日の読売新聞の朝刊に「顔・山崎有一郎さん97」が記載されました。
山崎先生は、今月の21日で満98歳、数えでは99歳です。
来月18,19日の二日間、白寿のお祝いが横浜能楽堂で催され
『翁』や琉球舞踊が上演されるようですので、
詳細は横浜能楽堂(045-263-3050)までお問い合わせ下さい。
山崎先生とは、昨年NHKテレビ・芸能花舞台「粟谷菊生の舞台」の録画の時に、
ご一緒に出演させていただきました。
ご高齢なのに、杖など使わずご自身の御足で歩かれ、お尋ねにもきちっとお答えになられ、頭も身体もすべてがご健康で、とても90代には見えません。
お歳を聞かされなければ、70代と思ってしまう方がおられるのではないでしょうか、それほど若々しいのです。
「矍鑠たるとは、山崎さんのためにある言葉ですね」
と、父が話していたのを思い出しました。
そのお元気のご様子は、楽屋中の能楽師のお驚でもあり、憧れです。
私もあやかりたい~、と思っています。
記事には「能楽愛好者は減っているが、生きている限り、能楽に貢献したい」
気がかりがある。
「楽屋で平然と私語をしたり、あいさつも出来ない能楽師が増えた。
ささいなことから能楽の根元が崩れる」
と苦言を呈すお言葉がありました。
お祝いの記事ではあるのに恐縮ですが、
気になったので、能楽師からの言い分としてコメントをさせて頂きます。
これから出番という時、
装束を着けている時に、
側で能と無関係の話をするのは確かに良くありません、
これは絶対に守らなければいけないことです・・・・・
が、しかし私は楽屋の雰囲気を乱さなければ、
周りの人の迷惑にならないような私語ならば、
少々、許されても良いのではないか~~と思っています。
父は、出番前、周りの人の緊張を和らげるために、
また自分にも、と、よくジョークや笑い話などをして、周りを和ませていました。
あいさつも出来ない能楽師・・・・?
挨拶をしない能楽師がいるのでしょうか・・・・
驚いています。
能楽堂の楽屋内で挨拶をしない能楽師はいないと思いますが・・・・
これは横浜能楽堂の職員さんにしない、という意味なのでしょうか?
私語の件、挨拶の件、気になる苦言ですが、
あまり真相が読めないのが気になってしまい、コメントしました。
もしかするとこの記事、山崎先生の本音部分ではなく、
取材した人の感覚なのかもしれない、
などとも思い、読み返しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/9e/a29e81607cd4424adb46f6bf1ffaf539.jpg)
毅然として、先生がブログで反論されているのを見て、大変立派な態度であると思い、書き込みました。
「挨拶」と、言ってもいろいろあるし、単なるお辞儀程度なら、年齢を経まして難聴も出ますし、視野もせまくなりますから気づかないことも考えられます。
「最近の若い者は」とは、私の業界ではアリストテレスの時代から言われていたという記録があります。しかし、次に時代を担うのは次の世代ですから、芽を摘むような書き方は避けてほしいものですね、読売さん。
コメント有難うございます。
ちょっと気になってしまい、そうなると気が治まらない性分でして・・・・えへへ
昔、故・後藤得三先生と先代御宗家の故・喜多実先生が楽屋で、「菊生君、どっちかが勝ったかね?」と相撲の取り組みや野球の結果などのお話されていましたが・・・・、
それはそれで、なんだか和やかな空気が流れていたように覚えています。
なんでも、迷惑にならなければ・・・・と思いますよ
或る能の会の前、山崎氏が話を受け持たれ、その話を聴いた(聴かされた)ことがあります。時に調子で放言される方でしょう。しかし、山崎氏のおかげもあって、横浜能楽堂で面白い番組を観ることが出来ます。
しかし、白寿ですからね。たとえば、「野口兼資先生が出て居られた頃の宝生とくらべ今の宝生は」とか云った話なのかも知れません(笑)
さて、私語の件、「私語」と言われますと、良くないものの様に(私の場合は)感じられます。けれども、字面では否定されている様に読めるとしても、粟谷明夫さんが述べられた如きは、山崎氏も肯定されるかも知れません。
しかし、四、五十年前までは伝承されていた場への配慮が段々と疎かになっていないかダメになって来てはいないかという問題は(能楽界に限らず社会全般の傾向・流れでしょうが、)、特に能楽界を担う方は考えるべきかもと、四、五十年前以上に録音された能楽のレコードを集めつつ。