能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
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2012-07-10 05:56:24 | 粟谷明生の日常
9日(月)は快晴のお天気に恵まれて、「下呂温泉合掌村」からスタートして「岐阜城」へはバスで一時間半かけて移動。
そびえ立つ天守閣には金華山ロープウェイを利用するとあっという間に山頂駅、しかしその後は10分ほど急な階段の坂道と天守閣の狭い階段をのぼると・・・・・
360度のすばらしい眺望が待っています!

では、写真にてご紹介します。
下呂温泉合掌村は国家指定重要有形民族文化財の「旧大戸家住宅」をはじめ、白川郷から移築した10棟の合掌造りの民家を再現した往時の生活を知る貴重なところです。遠い白川郷まで行かなくても、切妻合掌造り茅葺き屋根の民家は満喫出来ます。


合掌造りの合掌とは両手を合わせた形に似ているから、しかし手のひらの部分を60度ぐらいにひろげた形です。


旧大戸家の縁側にて粟谷明生


旧大戸家の炉端にて人形の仲間入り、同化していませんか?


旧大戸家の由来に悪七兵衛景清の名が書いてありました。

解読すると・・・・

平家落人大戸重則
抑其先祖ヲ尋ヌルニ、平家大将軍修理太夫経盛の子息也。大戸重則文治五年四月大和国吉野より都ゑ落来、悪七兵衛景清清水寺ゑ参詣の途中ニ出合、悪七兵衛へ殿申ケリ。平家亡びたり共景清か一念ハ巌もとうす。一度頼朝首府取平家御恩不忘と申ケリ。景清殿と暇をこひ、重則大津ゑ落来、建久元年五月八日、飛騨国白川郷上ヶ洞落来候。平家ノ赤籏、三条小梶むねちかノ名有。一ノ谷屋嶋水嶋室山ひよどりこゑ、五ヶ所経盛合戦之日記、源氏敵ヨリ来ル手紙を持来り候。

承久二年二月十日  

大戸重則死亡ス。

丸山ニ大戸重則墓あり。大戸重則子息大戸継則
なり。抑平家落人大戸重則より代々継胤来り候。大戸只右衛門京都ゑ登上いたし年ハ十八歳。慶安四年卯八月、源元祖長谷川内蔵之助尉殿、大戸只右衛門先祖尋ヌルニ、平家大将軍修理太夫経盛之御胤也。深く御信厚有て武道秘術を教へ、和を許シノ巻并ニ目録ヲ添ヘ、御渡シ被下候。承応四年未ノ三月ナリ。大戸只右衛門大戸平経則と改名有テ武名天下ニ伝ヘント致シ候。経則父親大戸左衛門病気之為メ、明暦弐年申七月、経則帰宅ヲ仕候。武士之道、命ヲ先トス。父深く御注意有テ、武道止メ医道ヲ学び、并百姓途世仕り候。大戸経則子息
大戸景則なり。


「岐阜城」は斎藤道三公、織田信長公ゆかりの城ですが、のぼりの階段は結構きつく健脚でない方にはあまりお薦めしません。


しかし、眺望はすばらしい


ロープウェイ乗り場に降りてくると面白いものを発見
広島の大上寿美子さんにお願いしてツーショット


と、まあ簡単にご紹介しました。
後日数点増やしてミニ写真探訪に投稿しますのでご期待下さい。

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