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長い歴史の波に洗われ今に生きている能の面(おもて)。
能面(のうめん)は室町時代に創作期が起こり、それ以降は模写期となる。江戸時代は完全な模写の隆盛期で、よくもまあそっくりに真似して打てるなあ、と驚くばかり。
江戸期の名家は越前出目家、大野出目家、近江井関家などがあり、いずれも三代古元休満永、是閑吉満、四代天下一河内家重などの名手を生んでいる。
面打ちには形や彩色などに決められた約束ごとがあり、それを守ってきている。能面展に伺うと、どこの家のなになにの写しと書かれていたり、また面打師本人からの説明も面白く聞ける。模写技術は面打師の基本の「き」だ。
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しかし、その一方で表情に新たなものが生まれて来てもよいのではないか、と思う。新種の面がほしい、と常日頃思っている。
誤解のないように補足するが、決して型破りな異形の面を所望しているのではない。あくまでもルールにのっとって、そうでありながら、新たな表情がほしいのだ。模写という本筋の精神は崩さず、でも少し創作を加えた二刀流であってもいいと思う。鼻の形を少し高くしたから、もう規範の「痩女」ではない、なんて言われない時代にしたい。
私は次回の10月の粟谷能の会で『求塚』を勤める。前シテは「小面」(こおもて)をつけ、後シテは「痩女」(やせおんな)を使用する。
女の加齢の果ての表情、究極の女に「痩女」と「老女」がある。「老女」は時を経て痩せた
老いた顔でソフトさが残る。それに対して、「痩女」は急激な変化、急に痩せなければならない深刻な、ハードなものが表情に出てほしい。
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私の想像する『求塚』のシテ・菟名日処女はとても美しく、そして少し艶めかしい女だ。二人の男から同時に愛され、その罪で地獄に落ちる。女が二人の男に何をしたというのだ、ただ愛されただけではないか。
愛は罪なものという仏教思想と時代背景を理解しないとこの曲はわからないのか・・・
いや理解しなくてもわかるかも・・・・と思案中だ。
地獄に落ち、肉体が痩けて窶れて(やつれて)いった形相を「痩女」という種類の面を使用して演じる。
秋の名曲『砧』も同様に「痩女」を使うが、こちらは芦屋夫人という中年。前シテは中年顔の「曲見」から「痩女」になる。
一方『求塚』は若い「小面」から「痩女」となるから落差は数段大きくなる。若く美しいものが、アッという間に窶れるのだ。ただ痩せただけではない、ストレスを感じるような。
だからこそ、昔さぞお綺麗だっただろうな~と、そう思わせる面で勤めたい。今、馴染みの面打師に我が儘を言い、協力を依頼している最中だ。
写真 求塚 シテ 粟谷能夫
毎回のコメント有難うございます。
そんなに反応なさらなくてもいいよ(笑)