能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
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父粟谷菊生から聞いたおもしろ楽屋裏話6

2006-08-13 23:19:16 | カルーク面白楽屋裏話

その5からの続き

菊生 昔は素謡といえばまるまる一番全部やっていたからね。
ある日最後の一番がもう夜中の十一時近くなるというのに、
お婆さんが一人見所に残っていらした。

で~~~さすがに遅くなったと思われてか、帰ろうとなさったんだ、
その時に親父が物凄い勢いで走り寄って

「もう少しで終わるから、もうちょっといなさい、もうちょっと~~」
と引き止めたんだが

「ご勘弁下さいませ、もう終電が無くなります」
とお婆さん深々と礼をなさって帰られた。
お客さんのお婆様もすごいが、
そこで謡っている弟子がいるというのもすごいだろ?

明生 喜扇会ではたくさん謡わされた?

菊生 そう、一日が長いんだ、
そこで謡い込んできたから今でも現役でいられるんだよ。
朝から兄貴と二人でたくさん謡わされたよ。
文句なんか言えないんだ。でもそうやって覚えちゃうんだなあ。

ずっと謡い続けていると疲れてくる~~
そうすると頭の中がもう段々マヒしてきてね、
そのうちお弟子さんが何を舞うのか番組を見て確認をしないものだから、
シテ謡を聞いては~~

「あ~、何々ね…」
っという風にね。
いつだったか飛び入りで『壇風』があったんだ。
そんなの知らないからびっくりだよ~~。
兄貴と二人で

「あなたみたいに偉い方はもっとあとで~~
もっと遅くに出なければいけません!」
と言ってね~~、

さあ~~その間に兄貴と交代でトイレのなかで覚えたよ
「不思議や東風(こち)の風吹かば~」ってね。

明生 それで謡えたの?

菊生 謡えたんだろうな~~? 
忘れちゃったよ! 

こんな話しも、あるぞ。
地方の弟子からお稽古のお断りの手紙がきたんだ。
親父ったら

「フミミヌワレユク(文見ぬ、我行く)」

と電報をうって出かけちゃったよ。
 
明生 大阪の坂本正子さんがご自宅に益二郎先生の写真があったから贈呈して下さったよ。懐かしいでしょ?

菊生 「うお~、還暦頃の『安宅』の写真だ。
シテが親父。
ツレは右から幸雄、辰三、新太郎、親父に僕だ。

後ろに榮夫(観世榮夫)ちゃんに、最後が喜多節世ちゃんだ。」

明生 祖父さんは謡が上手かったらしいね。

菊生 そりゃ上手だったよ、子どもの頃から鍛えているし、声がいいんだ。六平太先生の地頭をだいぶしてきたよ。

声量があって節扱いがうまく。
だから廻りに何人いても親父一人が謡っているように聞こえたよ。

今は皆、謡のウキが遅いね。
昔は二字前三字前に浮かしていたが~~
実先生が一字前と変えられてしまってから、謡に華がなくなったよ。

「幽かになりぃて」
ではなく「幽かにぃな—あ—りぃ—て—え」だよ。
『松風』の「霞むひ—いぃ—に」は『船弁慶』の「おもむきい—いぃ」
と同じ、これが粋でいいんだ、
これ益二郎節だよ。

明生 型の方は?

菊生 サシマワシで右手を右に廻す時、
くっくっっと二段モーションになるんだ。
それが独特でこれもまた粋でね~~。

明生 手紙・はがきを書きまくったらしいね?

菊生 何でもすぐ書く、そしてポストに投函する。
郵便代たいへんなものよ。
郵政省から表彰されてもいいくらいだったよ。

明生 益二郎はどうして面・装束を集めるようになったの?

菊生 うちの親父が『桜川』を演ったとき~~ね
家元、14世六平太先生から茶色の水衣が出されたんだ。
堪り兼ねて僕は~

「先生!『桜川』ですよ!茶色じゃまずいんじゃないですか?」

と申し上げたんだ。
そうしたら先生ったら

「道中歩いているうちに汚れたんだ」
と屁理屈だよ。

さすがに父もくやしかったらしく、
こんな思いを子供たちにはさせたくないと、
少しずつ面、装束を集めるようになったんだ。

全部揃えたわけじゃないけど頑張って集めたね、
それを新太郎が引き継いだよ。

特に面ね。面、面って、集めてきては~~~、
自分で気持ちを入れるといって面をかけたまま寝てしまうから~~
それをねえさんが見て、

「あらっ!」
ってびっくり仰天。
それぐらいだから、兄貴が粟谷家の装束を増やしてくれたね。

明生 親父さんは収集しなかったね。

菊生 そうだよ。弟が装束を持ったり、弟が舞台を持ったら~~
みんな喧嘩しているよ。弟は損だよ。
どこでもそうだが、
特に観世さんや梅若さんは長男は仕込むけれど下には仕込まない。

だから榮ちゃん(観世榮夫)が喜多流のまんべんなく平等な制度に憧れて喜多に入ってきたんだよ。

明生 そうだよね。兄弟の不仲になるからね。

菊生 そう。どうしたってそうなる。
兄弟のうちはいいのよ。

そのうちそれに淀君がつくでしょ。

明生 子供も生まれると。

菊生 そういうこと。
だから喧嘩していないのは粟谷さんのところだけだというんで~、
茂山千作(当時千五郎)さんが

「菊生はん、あんたのところのようになるには~~

うちはどないしたらよろしいか?」

と聞くから、
「僕のところは何でも兄貴を立てて。マネージメントはいっさい次男坊。そして次男は装束も作らないし、舞台も持たない!」ってね。

明生 私もそうしているよ。

菊生 それでいいんだ。
僕と兄貴が仲良くやった背中を見ているから、能夫とお前も~~。

明生 仲良くうまくやっているよ~。


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