能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

『八島』から武士の建前と本音

2018-09-17 00:34:51 | 言いたいこと・伝えたいこと 
今日から新城の謡のお稽古は『八島(やしま)』です。

『八島』は修羅物と呼ばれる、二番目物のジャンルで、源義経のお話です。

内容は、源義経の霊が前シテは老人、後シテは当時の甲冑姿にて凛々しく登場し、この世への執心、修羅道での絶え間のない闘争ぶりを見せ、夜明けと共に消えて行くお話です。

勝利者の爽やかな印象が全編に漂う作品で、作者の世阿弥も「申楽談義」で
「『忠度』『通盛』『八島』の三曲は良く出来た作品!」
と自身で述べていて、能楽研究家の権藤芳一氏も
「サッパリとした後味のよい終わり方です」
と書かれています。

私は『八島』をこれまで3度勤めていますが、30代の初演では確かに演じ終えて気分もサッパリ!でした。

が、平成16年の再演では、そのサッパリ感って、どうなんだろう?と、違和感を持ちはじめました。
そして源義経と言う武将はどんな人物なのか、とも。

武士(もののふ)の「表と裏」「建前と本音」を知りたくなり、武士が命をかけて戦う本音が知りたくなりました。

そこで見つけた私の答えは「自分や部下へのご褒美」でした。

判官贔屓の夢を砕くようですが、武士の主君や殿上人を崇め奉る忠義心は素晴らしく見習うところもあるのでしょうが、その腹の底には領地・金須・名誉などの物欲が隠され、そこが本音ではないでしょうか。

義経は、最初は兄頼朝に褒められたい、と思っていましたが、次第に部下や女性を養う金須が必要となり、勝つために卑劣な戦法もとりました。
そして遂には後白河法皇から五位の名誉を賜りますが、この先走りのご褒美が、頼朝を怒らせてしまい義経の人生はそこから大きく変わり悲しい結末を迎えます。

『八島』は武士の忠義心を扱う作品として江戸時代や昭和の初期までよく演能されて来ましたが、これからは作品の表面上の立派な精神と行動力と共に、裏面の真実も知っておくことが大事だと思っています。

作者の世阿弥は、きっと義経の裏面を後世に伝えたかったのではないだろうか?と私は勝手に思い『八島』を演じ謡っています。

写真 『八島』シテ粟谷明生 平成16年4月16日 撮影 和楽カメラマン 石田 裕

最新の画像もっと見る