これは3日前の話、
今日ネタがないのもあるが、自分の記録のためにも、ここに記載しておく。
松尾大社の宝物館には女神像と二体の男神像がある。
拝観時間がないのに、どうしても見たくて~~
「東京から来ましたので~」とお願いすると~~
「では急いで見て下さい!」
とお返事。
お庭を拝見、宝物館に向かう。
解説して下さる年配の男性が待ちかまえていた。
「さあ~~どうぞ!」
すると、カセットテープをカチャッと押す。
聞いていると、この人テープの声を遮るように自分なりに説明し出した。
「あれ~~~!いない!」
「生憎、メインの女神像は太宰府にお出ましなのですんまへん」
拝見出来なく、残念至極!!
等身大の写真が置いてあるだけ
どういう訳か、我々気に入られたのか~~
この方いろいろと説明を続ける!
もう拝観時間をオーバーしているのに~~
大丈夫?とこちらが心配になってきた。
その中で、おもしろい話があったので、書き留めておく。
女神様の着物の着方だが~~~
よく見ると、左前。
襟が左前は今は死者となったときだけ。最後、父もそうだった。
「じゃ~~女神様は死んでいるの??」
との私の質問に
「着物のこと、おたく、なんて言います?」
「着物?」
「呉服とか、和服とかいいますやろ~~」
「そうですね、私は着物をよく着ますが呉服だと~~
女性のお召し物というイメージですね~」
「呉服の呉の字はな~~~中国ですねん、
和服の和の字は~~日本ですねん」
飛鳥時代は中国そのまんま、だから呉服。
呉服は左前で着るのが当たり前。
それを変えたのは奈良以降じゃないかと思います、
和服の和で逆にした」
「なるほど、呉と和の違いですね、面白い!」
「時間があったらもっと話したいことたくさんありますが~~
また来て下さい、もっと説明したいので~~」
「はい、また来ます、ほんものの女神像を見なきゃね」
帰りがけ思い出した。
『昭君』の後シテの装束の着せ方はこれだけ、
左前で着ける。
「理由は?」
と聞くとまちまちだった。
「鏡に写っているから逆!」
それと
「中国人は逆に着るらしいから~~」
うそ~~と思ったが、これが正解かも。
襟を合わせた時、下になるのになぜ「前」なのだろう???と・・初歩的な疑問ですみません。
全くお話は変わりますが、NHK-FM の菊生先生の
「頼政」「勧進帳」聴かせて頂きました。最近、先生の独吟をお聴きする機会がなく過ごしておりましたが、「勧進帳」と「頼政」ではお声の感じがかなり変わられたように感じたのですが、それは喉の手術によるものなのでしょうか?
それにしても、お謡でこれほどの情感を出すことがお出来にになる方は、やはりそう滅多には出ないだろう、と言うことを改めて実感し、本当の意味で「日本の宝」であられる、と思いました。いま一度「生」でお聴きしたい・・かなわぬ夢なのですね。
父は弁慶の声、頼政の声という違い出しているとは思えません、ただ役になりきると自然とそのようなうたいかたというのが出るのではないでしょうか。
以前喉の手術して声がきれいになったら、お医者様に
きれい過ぎると文句を言ってましたが、その手術はたいへん大がかりなものでしたので、お医者様はそれを聞いてがっかりしたでしょうね~~
国が、当時最高の先進国だった中国に倣って、
着物は右前にきること!
と決めたんです~
それ以前の高松塚の飛鳥美人などは、
着物が左前ですね~
わたしが聞いたところによりますと、「右前」の「前」は「さき(先)」の意味だそうです。「前(さき)の副将軍、水戸光圀公・・・」とおんなじ使い方ですね。で、右身頃を「さき」に身に添わせる着方、なので、「右前」ということだそうです。
中国の騎馬民族の衣装は弓を引くために左衽になっており、騎馬の風習と共に漢民族の衣装も左衽になりましたが、騎馬民族の侵略を恐れ嫌い後に右衽になりました。
日本でも古代は左衽の服を用いていましたが、遣隋使・遣唐使の派遣により中国の影響を受けて719年右衽の令がしかれ右前のあわせ方が定着しました。
右衽・左衽の知識、着付講師の試験の出題にありました。
数年前に受験した際の拙い記憶で恐縮ですが、このような回答で概ね正解であったかと…。しゃしゃりでてきてすみません。f(^^;
呉服屋さんに聞かずに済みました、
着附講師の試験問題にあるとは~~
なるほでね~~
只今、広島におりますが、メールに関してトラブルが
発生しましたので受信不可能となりました。
詳細は、本日の投稿で書きます。
またいろいろとご回答があるといいな~~と
思っています。
では、皆様有難う!!!
「先」は日本語では、「前」という意味もあり、同時に「この先」などと使った時には、「これから(今後)のこと」の意にもなり、面白いものだと思いました。
また、他の方々の着物の襟の合わせ方に関するコメントも大変興味深く拝見しました。長い歴史の中で、襟の合わせ方などの風俗・習慣や、言葉の使い方にも様々な変化が生じるものですね。
普遍的な演劇として鑑賞するのと同時に、お能を通してこんな風に、歴史的、文化的知識を得て行けることもまた、ひとつの大きな楽しみです。
自分自身で調べる、というのが基本かとは思いますが、一人の能楽師さんのブログを通じて、自分とは違った生活をされていらっしゃるだろう、いろいろな方々から知識を頂ける、というのも、大変有難いことと感じました。また、ここに初歩的疑問を書いてしまうかもしれません。
ですから、明生先生、ウィルスなどにはめげずに、「ちょいワル親父」より、「ブログのまめ男」(良い意味です!)今後ともぜひお続け下さいますように。