能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

父粟谷菊生から聞いたおもしろ楽屋裏話 2

2006-04-25 04:32:52 | カルーク面白楽屋裏話

菊生 いきさつは兄貴がよく知っていたよ。やっぱり長男だからね。

明生
 我が家はどこの出身なのだろうか……

菊生
 出はね……。僕も小さいときは広島だとばかり思っていたんだが。浅野家のお抱え能楽師だからね。ところが和歌山の佐竹家から広島の方に縁組があって、それについて行ったとか……

明生
 和歌山?

菊生
 そう、広島は福島正則が幕府に届出なしにお城の石垣の修繕して、いや本当は届出していたのかもしれないがね……とにかく難癖つけられて失脚して、その後に譜代の浅野家が入ってきた。それについて来たわけだ。分家は赤穂に行って忠臣蔵に巻き込まれる。

明生 そう、それで粟谷家の最初の能に関連する人は誰になるの?

菊生 益二郎のおじいさんの新三郎からだよ。お父さんはこの道をやらないで呑んだくれだったそうだよ。

明生 酒飲みの系統は今に続いているね(笑)

菊生
 そうだな。益二郎は一人っ子で、10歳のとき経政を舞うのを十四世六平太先生がご覧になってスカウトされ12歳で内弟子入りしたわけ。六平太先生は子供がいないから喜多を継がせようという話もあったけれど、うちのおばあさんが「粟谷の家を継いでくれなくちゃ困る!」と頑張ったんだよ。
おばあさんが頑張らなければ、家元になっていたかもな!(笑)
続く


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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やっほ~ (なな)
2006-04-25 04:39:34
初めまして、新着ブログを彷徨ってます

アシアト残しておきました。テヘっ
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佐竹家というと (アッキー2)
2006-04-25 13:06:30
佐竹家というと、ルーツを遡ると東北のような気もしますね。

伊達家と争っていた東北の雄は佐竹家ではありませんでしたっけ?
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Unknown (ふぐ)
2006-04-26 00:05:50
楽屋話には関係ないけれど 今日はありがとうございます 今後のブログが楽しみです
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サポート (粟谷明生)
2006-04-26 07:35:26
只今、ブログの構造改革を目指しています。

写真を多く、リンクも沢山貼るようにします。

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アッキー2さんへ (粟谷明生)
2006-04-26 08:26:43
佐竹家と粟谷家の家紋は瓜二つ、そっくりなんです。

日の丸扇が外丸にかかっているのが、我が家です。

秋田に行くと、日の丸扇の家紋を使ったお店がありますが、佐竹さん系統なんでしょうかね?
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確認というか (田村麿)
2006-04-26 09:51:42
少し判りづらかったもので。



粟谷家の元は佐竹家で、浅野家(外様大名です)が和歌山から広島に転封になった際についていったってことでしょうか?
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説明になっているかな~~ (粟谷明生)
2006-04-26 15:50:45
浅野は和歌山から笠間に移るように言われ、次に広島へと動かされたようですね。笠間に入るとき、前にいた佐竹は秋田に行かされたようです。

広島に行けてよかったです、赤穂なら皆切腹だもん。
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追加 (粟谷明生)
2006-04-26 22:33:33
この件についてはもっと細かく調べる必要がありそうです。



粟谷と浅野、そして配置換えについて深く調べる必要を感じました。



二三年後に記載しますからご期待下さい!!
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佐竹家と粟谷家 (陸奥院麿)
2006-04-26 23:04:48
佐竹のおどのさまの家紋は源頼朝から五本骨の日の丸扇にせよ!と戴いた家紋。したがってこの家紋を使用する家は清和源氏の流れ・・・。特に秋田藩主二代義隆の肖像画は粟谷家の関係者としか思えないような肖像画です。まだご覧になっていない方、是非ご覧下さい・・・。粟谷家の特徴がよく表れています。

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こんな人? (アッキー2)
2006-04-27 00:21:57
肖像画、見つけました。



http://www.city.akita.akita.jp/city/pl/pb/koho/htm/20020222/2-22-9.html
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