能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
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謡蹟『求塚』の3人のお墓参り

2011-05-05 15:27:40 | ミニ 写真探訪
平成23年5月1日に『求塚』の謡蹟めぐりをして来ました。

能『求塚』は菟名日処女(うないおとめ)という女が小竹田男(ささだおのこ)と血沼益荒男(ちぬのますらお)という二人の男に想われ、処女は母親にどちらの男を選んだらよいか相談します。

すると母親は、生田川の水鳥を射止めた者に娘を奉ると言うと、二人の男は喜んで一羽の水鳥を射止めます。一人は頭を、一人は尾を・・・

処女は再び思いわずらい遂に、「思い侘び我が身捨ててん、津の国の生田の川は名のみなりけり」と詠み生田川に身を投げてしまいます。

それを知った二人の男は悲しみ、女のあとを追い、二人刺し違えて空しくなりました。

死後、大焦熱の地獄に堕ちた菟名日処女(シテ)は、僧侶の読経により地獄の苦しみから助けてほしいと念願します。

『求塚』の謡蹟めぐりです。
写真をご覧下さい。


その菟名日処女のお墓は阪神電車・石屋川駅下車徒歩5分ほど


処女塚の交差点の側に処女塚古墳があります。


古墳の裏側には二つの石碑がありますが、写真左が万葉の歌人、田辺福麻呂の歌碑です
「古の小竹田壮士の妻問ひし、菟原処女の奥つ城ぞこれ」と書かれています。


石屋川駅より梅田方面に少し戻り住吉駅で下車すると、東求女塚古墳があります。
案内板には地方豪族の墓ではないか?とも書かれていましたが、血沼益荒男の墓という説の方を能楽師としては信じたいものです。


東求女塚全景


石屋川から三宮駅方面に西灘駅があります。下車徒歩3,4分で、小竹田男の墓と言われる西求女塚古墳があります。


男二人の墓は処女を挟んで東と西に離れています。



西求女塚古墳の案内板



昭和30年と刻まれている昔の石碑は今にも倒れそうに傾いています。



平成24年10月14日は粟谷能の会 粟谷菊生七回忌追善能となります。
私はこの『求塚』を勤め、父の供養をしたいと考えています。




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